ヒーメロス通信


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井筒俊彦『神秘哲学』再読(六)

2015年12月02日 | 日日随想

井筒俊彦『神秘哲学』再読(六)

小林稔

  第一部 自然神秘主義とギリシア

    第一章 自然神秘主義の主体Ⅲ

「万物は神々に満ちている」(タレス)

 イオニアの自然学も、南イタリアのエレアの存在論も、西暦紀元前七世紀から五世紀にわたって出現した大動乱時代の只中、紀元前六世紀に、新宗教精神、つまりオルフォイズム・ピュタゴリズムの中から起こった思想である。「彼らの宗教体験のロゴス化がそのまま彼らの自然学なのであり、存在論であった」と井筒はいう。宗教と哲学は同一物であった。大文明が出現しては滅びて行った動乱の三百年、アジア、アフリカ、ヨーロッパが地中海をめぐって相対し、「社会的にも精神的にもあらゆる古いものが伝統の地盤から根こそぎにされ、次々に崩壊して行った」時代であるという。政治生活の分野では、神々の後衛を自負する王家が失墜し、個人が支配を握る下剋上の風潮が到来する。社会生活の分野では、貴族階級が内乱党争に揉まれ、ギリシア民族を統一支配してきたホメロス・ヘシオドス的叙事詩が凋落し、自我の覚醒からその想いを歌う抒情詩が興隆してくるという、「我」の時代の到来である。このような状況の中で新しい世界観の哲学思想が生み出されていったのである。

 この大変革の実相を詳細に論じ、いかなる歴史的苦悩のうちにギリシア人たちが自然神秘主義に近づいて行ったのかを、井筒は以下の論文で熱く語っている。ソクラテス以前期の思想家たちの宇宙は神々に満ちており、彼らの残された著作の断片もまた神々と精霊の気に満ちていると井筒はいう。それらに立ち向かう井筒も、私たちも、自然神秘主義思想に、古くからギリシア人特有の、超越的直観、「似たもの」を感受し共鳴しながら、ギリシア哲学の知性がいかなる神秘体験を征服して成立したのか、あるいはギリシア哲学は、西洋文化の礎となるべく普遍性の基底に神秘思想をいかに内在させているのかを読み解いていこう。やがて我々の意識の奥に眠る東洋思想の胚芽を呼び起こすため、井筒哲学の一歩となったギリシア哲学の森を踏破していこう。

 

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