ヒーメロス通信


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第九回 井筒俊彦『神秘哲学』再読。小林稔

2015年12月14日 | 日日随想

第一部 自然主義とギリシア

 

第三章 オリュンポスの春翳

 

 オリュンポス神系の成立以前

 オリュンポスの神々がギリシアの始原的神々であると久しく思われてきたが、その後の比較宗教学的研究によって、前段階があったことが判明したのだと井筒はいう。ホメロスによって描き出されたイリアス・オデュセイアの生誕によって、ギリシア精神の新しい世紀が始まるのであった。青春の栄光を讃え、光り輝く永遠の美を讃えるこの芸術的世界は、自然界の出来事を人の如き霊力の働きと見る、つまり原始未開民族に共通の「自然義人観」、神聖かつ不気味な怪物たちを制覇したのちに開花したものであったという。ホメロス叙事詩は、もとは植民地イオニアの貴族階級の神観であり、やがてギリシア本土に渡り、先ず社会の進歩的な人々が受け入れ、一般大衆は反発や反抗を長い間経てオリュンポス神観は浸透して行った。イオニア種族は、「全ギリシア人の叡智を代表する知性の前衛部隊であった」し、宗教においても、原始的信仰をまず脱却した人たちであったという。

 このイオニア的精神の決定的一歩によって「偉大な人間的神々の支配が始まり、大地は新しい神々の誕生を祝して歓喜の声を上げ」、「久遠の美と青春の象徴たる古典ギリシアが生まれた」と井筒はいう。

 

  私よりもせいぜい四百年前の人たちで、ギリシア人のために神の系譜をたて、神々の称号を定め、その機能を配分し、神々の姿を描いて見せてくれたのはこの二人、ヘシオドスとホメロスなのである。

(ヘロドトス『歴史』巻二―五三)松平千秋訳

 

 地中海の青い海と澄み切った青い空のもとで、光に満ち溢れた大気に慈しまれたホメロスの世界、その二大叙事詩、イリアスとオデュセイアの成立時代から差異のあることが読み取れる。井筒の解釈によれば、イリアスは民族移動時代の闘争の歴史を反映したものであり、純空想的理想図が描かれていて、英雄たちは理想化を経た超人間的人間であり、神に近い存在である。それに比べて、オデュセイアにおいては自分自身の生命的現実を昔の英雄たちの運命に反映させるところに移ってきている。つまり現実に対する態度の相違である。オデュセイアの世界には経験的要素が混入し、現実的な翳が射しかけている。それは後のヘシオドス的要素、空想を去って現実に赴こうとする傾向がすでに見え隠れしている。しかしながら、この二つの叙事詩に共通する世界は、ともに詩的幻想世界に過ぎないのである。やがてイオニアが生んだホメロスの世界に新しい精神の動向が芽生え、そこからイオニアの抒情詩が始まり、イオニアの自然科学者たちが誕生することになるのであるが、彼らをより現実世界に駆り立てたのが、農民詩人ヘシオドスの叙事詩であった。


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