ヒーメロス通信


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「部屋、声の痕跡」 小林稔詩集『遠い岬』より

2016年01月28日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』

  部屋、声の痕跡

小林稔

 

刃物の傷を記憶する円卓を、花々が織り込まれた絨緞の上にしつらえた、両腕の角度をそれぞれ違えた四脚の肘掛け椅子を向き合わせ、

うしろの白い壁に倒れかけるように立つ黒い戸棚がある。風に放った扉から盗み見られる頑丈な鋲を打ちつけた蓋のある宝石箱。銀製

の写真立て。その硝子に付着する埃が主人の幼年を隠匿している。背の剥がれ落ちた金文字の痕跡を残す革表紙の書物が置かれたかた

わらに青い硝子の水差しが黄ばんだレースの布を押している。壁に磔刑のように吊られた大きな鏡がある。反対側の壁に架けられた額

の畫が写され、薄明の丘を取り巻く水の流れに沿って走る道を家路へと急ぐ農夫たちの背後には、夜を孕んだ森の樹林の間隙を縫って

波頭が旗のように靡く海が見える。マホガニーの机が窓を背にあり、重厚な背凭れ椅子が室内の家具を統帥している。抽斗には羽根飾り

のある付けペンとインク壺が並んで、手前の真鍮のトレーに鉛筆が十数本、奥にはペーパーナイフが納められる。隣室に招く扉のない

通路からピアノの鍵盤を匿う流線型の艶のある蓋が姿を現し、夜の海を記憶する胴体を部屋の中央に横たえている。そのうえに置かれ

た左右のランプシェイドを立てる一対の照明スタンドに、硝子の格子戸に囲まれた中庭から射すやわらかな光線が届く。片隅の薄闇で

花台に載せたチューリップは四角い硝子の花器にその茎をぎっしりと寄せ水を吸い、赤い蕾を竝立させている。弦の忘れられた音は見

えない煙のように円天井から吊られたシャンデリアの縁辺を浮遊している。次に連なる隣室への開扉されてつづく廊下の暗闇で寝室と

浴室が控えている。パラフィン紙をいく枚も重ねられ透し見るような時の堆積に、の迅速に逝った過去の破片が呼びかけられるの

を待っている。静かな銃弾を浴びて倒れる兵士たちは意思を殺がれ歴史の餌食になる少年たちに換えられる。百年は過ぎ去ったように

思われた。陽光は萎え、室内を闇に沈め始める時刻の到来に明かりが一つずつ灯され円卓や戸棚や机をきらびやかに目覚めさせる。脳

髄からを引き連れて行った限りなく遠い土地への想いが、身体の間隙を擦りぬけて、私を呼び止める声を聴いた。

 

 

 



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