ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

アナムネーシス(想起)、小林稔第八詩集『遠い岬』以心社2011年刊より

2012年06月16日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』
小林稔第八詩集『遠い岬』以心社2011年刊より

アナムネーシス(想起)


ある日、石畳の路地に正面から風がやってきて
昔の情熱をさらっていった。
時間は記憶から血をぬいて、少しばかりの骨を路上にさらした。
いったい私は何をしようとしていたのか
こんなに長い歳月をかけて。
神経のように迷走する人生の道半ばで、繰りかえし聴いていた楽曲が
――コノ哀しみハ何処カラキテ、何処ヲタダヨイ、何処ニムカウノカ
という問いを湧き立たせ、私の胸ぐらをつかんで道に叩きつけた。

彼方から波がしきりに寄せる
やりそこねたことを霧散させるように。
だが消えてしまいそうな現在(いま)の思いを
かつての光と絶望をひきつれ
残された独居で、ひとり書き留める。
私にとって、生きるとはイデアの階梯を昇りつめることだ。
少年の美を捉えた瞬時の想起(アナムネーシス)、つまり肩甲骨のむずがゆさ。
時間をふりかえることは神々への道を辿ることだ。
とにかく私は詩人の道を歩んできた。
――背後で侮蔑と嘲りの声。
荷物と慣習をひとつひとつ棄てこの断崖に立った。
空を仰ぎ息を吐くと、波が岩塊に砕け飛沫をくり返す。
(涙を止めることができない……)
絶望に打ちひしがれているのではない。
私のこころは歓喜で震えているのだ。


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