ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

エセー『「自己への配慮」と詩人像』(五)小林稔個人誌『ヒーメロス』13号から転載。

2012年02月24日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
〔長期連載エセー〕
自己への配慮と詩人像(五)    小林稔季刊個人誌「ヒーメロス」13号2010年3月5日発行に掲載
小林 稔


20 聴覚の受動性とロギコスであるという能動性

前回は、哲学者の修練はロゴスの主体化である、というところまで考察した。一方、キリスト教のそれは、自己放棄に向かう過程で、告解という形式を取る。このとき主体は真実の言説において客観化を行なうのに対して、ヘレニズム・ローマ期では、真実の自己客観化ではなく実践や訓練において、真実の言説を主体化することであるとフーコーは『主体の解釈学』で論述している。その書物に沿って、真実の言説の主体化としての修練に必要な形式を詳しく見てみよう。一次的な形式の第一段階は聴くことや読み書きや語ることに関する技法や実践であるとして、フーコーは順次説明していく。
 まず聴くことは、口承的な文化にとってロゴスを集めることであった。アレーテイア(真実の言説)からエートス(行動の基本原則)は聴収から始まる。プルタルコスは『聴くことについて』という論文で、聴覚はすべての感覚の中でもっともパテーティコス(受動的)であると同時にロギコス(ロゴス的)であると述べる。視覚や触覚は避けることが可能だ、だが聴覚は外界に対して無防備であり、不意打ちを食らうこともあり、聴くことで驚いたり、動揺させられる、つまりそれが受動的ということである。また聴覚は他のどの感覚より強く魂を魅惑するものであるとプルタルコスは主張する。
 オデュッセウスという英雄はすべての感覚に打ち勝ち、自分自身を完全に統治し、快楽を拒むのだが、セイレーンたちの歌と音楽に魅了されてしまう話は、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』に現されている通り有名である。彼は水夫たちの耳を蜜蝋で塞いで聴こえないようにし、自分自身は帆柱に自らの身
を縛りつけて、誘惑を退けるのである。オデュッセウスは聴覚がいかにパテーティコス、つまり受動的であることをよく知っていたからだとフーコーはいう。プラトンが『国家』においていわゆる詩人追放論を論じていることもフーコーは示唆している。このことについては後の章で論を展開してみたい。聴覚の両義性としてプルタルコスは他の感覚よりもロゴスを最もよく受容できる感覚であることを主張する。「聴覚以外の感覚は、本質的には快楽(眼の快楽、味の快楽、触れる快楽)に導く」が「また、視覚的な誤謬、目の誤謬」にも導き、「悪徳を学ぶ」ものである。聴覚は、「徳を学ぶことのできる唯一の感覚である。」「徳はロゴスから、すなわち理性的な言語、実際に現前し、表現される言語、おとにおいて言語的に分解され、理性によって理性的に分節された言語から切り離すことができないからである」とフーコーはプルタルコスの主張を説明する。プルタルコスのいう聴覚の両義性は、ローマ期(一、二世紀)の文献でも見つけられるとフーコーはいう。例えばフーコーは、セネカの書簡集一〇八とエピクテトスを挙げている。
 セネカは聴覚の受動性の利点というものを考える。受動的な態度で臨んでもロゴスは魂になんらかの働きかけをし哲学を学ぶ人だけでなく、周りにいる人にも有益なものをあたえるとセネカは述べる。つまりロゴスによって覚醒されられるということであり、ロゴスの本性にもと基づくことであるという考えである。一方、哲学の活用という点では活用できる者とできない者の違いが生じる。ロゴスは自動的に魂に影響を与えることができるが、実際に活用するにはある技法が必要であるとセネカは説く。その技法は後に考察することにして、次にエピクテトスの『人生談義』では同じ問題を取り上げている。エピステトスは聴覚そのものが危険に晒されていることを指摘し、聴覚はロゴス的な能動的な活動を引き起こすが、一方でパトスの次元に属する何かがあるという。ロゴスはそのままでは現われず、「聞き手の魂まで至るためには発話が必要であるという。発話を可能にするには、言説的な組織に結びついた要素」が必要であり、一つはレクシス(表現法)であるという。聞き手は語られることだけでなく、レクシスの要素や語彙の要素に留まる危険がある。エンペイリア(能力や経験)とトリペー(熱心な実践)が語るときと同様に必要だという。有害なものになり得る聴覚の受動性を排除し、ロゴスを純粋な状態で受け入れるか、ロゴス的な聴取の純化をいかにすべきかという問題に移って三つの方法をフーコーは取り上げている。第一の方法は沈黙である。饒舌は哲学を学ぼうとする入門者が第一に治すべき悪徳であるという。「沈黙には深みというか神秘的なところがある」とプルタルコスは『饒舌について』で述べている。語ることを学ぶのはその後でよいということであろう。
 沈黙についてはすでにピュタゴラス学派が主張した古い規則であり、教育や議論の過程で五年間は語る権利を持たず、ひたすら聴かなければならなかったとフーコーは、ポルフェリオスの『ピュタゴラス伝』を読み解いて述べ、ストア派でもこの教えを継承していることを指摘する。「言語と対立する沈黙という節制の歴史が霊性においてどのような役割を果たしたのか」を考えなければならない。プルタルコスにとっては、教育の基本原則であるばかりでなく、「ひとは一生涯言葉の厳密な節制によってみずからを支配しなければならない」ということであったとフーコーは解読する。言葉の厳密な節制はいかなる点において必要なのか。プルタルコスは次のように考える。賢者が語るのを聴いたり、詩の朗誦や格言の引用を聞いたりしたとき、記憶し保持しなければならない。言説にすぐに変換してはならない。「沈黙のオーラや王冠で飾ってやらなければならない。饒舌な人はロゴスを保持できず、自分の言説に流しだしてしまう。饒舌な人は空の瓶であると。つまり沈黙がロゴスの所有に大切であるということである。フーコーはキリスト教的霊性では言葉と沈黙の配分規則はまったく異なるという。
フーコーが分析している聴取を純化させる一番目の方法は沈黙だったが、二番目の方法はある種の能動的態度である。物理的な面での態度とは身体の不動性である。聴取は聞き手に身体の平静さを要求する。身体は魂の平静さを表現すると考えられていた。魂の語られている事柄への注意や透明性の質を保証していると考えられていたとフーコーは論述している。

 21 聞き手と話し手の交流における注意の記号論

 魂が語られたロゴスを障害物なしに受け取るには身体は沈着冷静でなければならないと考えられていたが、一方ではロゴスを十分に理解し受け取られていることを聞き手の身体は示さなければならない、つまり話し手と聞き手の記号論的なシステムがあったことを、フーコーは、フィロンの『瞑想的生活について』という文献を引き論述している。聞き手は演説者の方に顔を向けなければならないと記されている。古代の身体文化の視点から興味深いとフーコーはいう。身体の動揺、意志に元図かない動き、自発的な動きに好意的でない判断をし、不動の彫刻的な造形が道徳的性格のほしょうとして重要であった。またそれは、演説者の身振り、説得しようとしている人の身振りは的確な言語を構成していると説明する。無作法な身振りや身体の絶え間ない動きは、魂や精神や注意の絶え間ない動揺の肉体的な現われと考えられていたとフーコーは解いている。フィロンは理解していることを示すような記号が必要であると考える。例え
ば、話に賛成したときは微笑みや頭の軽い動き、話についていけないときは頭をゆっくり横に振り、右手
の人差し指を上げるなど、つまりは沈黙の重要性を伝えているのだとフーコーは説明する。
 真実の言説のよき聴取の一番目は終えて、二番目は聞き手の契約、あるいは意志の表明を身体的な態度で示すこととは別の方法をフーコーは取り上げる。エピクテトスの『人生談義』に次のような話がある。師(エピクテトス)の話を聞きにきた若者の一人に、香水をつけ髪を縮れさせた若者がいた。彼は師に私に注意を払ってくれなかったことを訴える場面がある。エピクテトスは「君は私を刺激しない。君と議論してどうなるのか教えてくれ。私に欲望を起こさせてくれ。君自身の聴く能力を示してくれたまえ。」つまり、若者の着飾り髪をなでつけた姿では、哲学を聴くことはできないと師は言いたいのだ。この話にはソクラテス的主題が暗示され、ソクラテスのように少年の美しさという魅惑に抵抗するからだとフーコーはいう。しかし、真理を聴き取るためにエロスが必要だとするソクラテス的なものはない。ソクラテスは生徒に肉体的な美を感じ取るが、その誘惑に対しては屈しない。アルキビアデスが指導を求め自分を追いかける魂の美しさへの愛に基づく愛がソクラテスにはある。しかしエピクテトスが香水をつける若者を拒否するのは、真理にしか関心を寄せてはならないということに過ぎない、「師の言説における真理の聴取の非エロス化である」とフーコーは読み解いている。
 
  22 自分自身に対するすばやい視線で聴取を締めくくる

 フーコーが語る真実の言説のよき聴取の三番目は、哲学的言説は修辞的な言説と完全には対立しないということである。真理のロゴスを通して語られたことを捉えなければならない。聞き手の能動性を重視しなければならないということである。形式の美しさや、文法や語彙、ソフィスト的な瑣末な議論に注意を向けてはならず、表現の指示対象に向けるべきだということ。セネカの書簡集一〇八をふたたびフーコーは取り上げ説明している。ウェルギリウスの『農耕詩』からの引用で、「時は急ぎ去って再び帰らず」という表現がある。文法家が留意するのは、この詩人が「いつも病と老年をひとつにしている」ということであるが、セネカは詩人(ウェルギリウス)が老年に「わびしい」という形容詞をつけていることを指摘する。セネカの解釈は次のようになる。「最も美しい日々は最初に奪い去られる。だから私たちも歩みを早めて、最も先に逃れ去ってしまうものと肩を並べられるようにしないでよいだろうか。最もよいものはあっというまに過ぎ去り、最も悪いものがそれに続く。」セネカは似た引用を見つけたり、語の結合を指摘したりする文法家の方法をしりぞける。また、あるひとつの命題から始め、要素ごとに変化させ、行為的な教えへと近づいていく聴取もある。このような二つの側面(語られた真理と与えられる教え)から聞き取った後で記憶化の活動が始まるとフーコーはいう。聴取の倫理において伝統的に与えられる忠告が生まれる。「だれかが重要なことを言うのを聴いたとき、すぐに細々した議論を始めてはならず、沈思黙考して聴いたことを心によく刻み、自分自身をすばやく吟味しなければならない。」さらに「自分自身にすばやく目をやって、どこまで進んだのかを確認し、すでに持っている備えと比べてどのくらい新しいことを聴いたり学んだりしたのかを調べ、どの段階まで、どの程度まで自分を完成させることができたのかを見る」、このように魂が自分自身に注意を払うことによって身についた言説となると、フーコーは真実の言説の主体化について述べる。

23 思考の主体への働きかけを目的とする「省察」の概念

 真実の言説の主体化に必要な形式の聴くことについて考えてみたが、次は読むことと書くことをフーコーとともに考えていこう。ギリシア・ローマ期では作品の要約が重要視されている。作品をくまなく読み理解するのではなく、重要と思われる節を選んで読むことが広く行なわれていたとフーコーは指摘する。なぜならば、理論の基本原則を何度も呼び起こし、同化し、それについて語る主体になることが要求されているからだ、例えばエピクロスは死後弟子たちによって作られた要約によって知られていたという。要約のほかに、作家の命題や省察を集め文通相手に送ることがセネカとル伐りウスのあいだで行なわれていた。哲学的な読書の対象や目的は、ある作家の作品を知ることではなく、理論を深く理解することでもない、読書によって省察の機会を与えることであるとフーコーは分析する。この「省察」という言葉の意味を私たちの考えるそれとははなはだしく相違していることを指摘する。
 まず私たちが今日使っている「省察」の意味は、あることについて特別の集中力で思考しようと試みることであり、規則的な順序で思考を発展させることである。「省察」という語はフランス語ではmedeitationであるが、ラテン語のmeditatioから由来する。さらにそれはギリシア語のメレテーであり、動詞形はメレターンである。メレターンとは訓練する、熟練するという意味であり、ギュムナゼインと近い意味を持つが、ギュムナゼインは事柄それ自体に立ち向かう方法に対して、メレターンは思考訓練を意味する。つまりメレターンは思考によって自分のものにする訓練のことであるとフーコーは解いている。したがってラテン語に翻訳したメディターティオとは、真理が精神に刻み込まれ、なおかつ必要なときにはすぐに思い出し、行為の原則とすることができるようにする。真実を思考する主体から行動する主体への移行であるといえよう。さらにもう一つの役割をあたえている。それは主体が対象に働きかけることである。フーコーは死についての省察を例に挙げている。ギリシア・ラテン期の人々が死について省察するとは、死につつある人の状況に思考によって身を置くことだ。「思考によって、死につつある人あるいは今にも死のうとしている人になる、ということ」であるという。省察という実践の歴史をたどり直さなければならない、つまり古代における省察、gン視キリスト教における省察、十六世紀から十七世紀におけるその復活、あるいは新たな重要性というようにたどることだ、とフーコーは主張する。主体の思考に対する働きかけでなく、思考の主体への働きかけである。とりわけ十七世紀のデカルトが『省察』を書いたのは後者の意味においてであった。フーコーによると、デカルトはすべてを疑う主体の状況に身を置くが、疑いえるものの存在を問い尋ねることではなく、疑いえぬものを探求する者の状況に身を置くことであり、ここには、思考の効果の関係における主体の位置の移動があるという。デカルトの省察には古代における省察の継承があるということであろう。ギリシア・ラテン期では、「主体が思考によって虚構の状況に身を置き、そこで自分を試練にかけることという省察的な機能ゆえにこそ、哲学的読書は多くの場合作者に無関心であり、文や格言が置かれたコンテクストにも無関心なのだ」とフーコーは述べる。この時期に一般的である実践的な行為への強い主張を感じることができるのである。ある作品で作者が言いたかったことを理解するのではなく、自分のものとなる命題を見つけ出し、行動の原則とすることである。

  24「こうして思考したり書いたり文章を読んでいるときにも死は私を襲いうる」

 フーコーによると、一、二世紀には書くことは自己訓練の重要な要素となり強化されていたという。読むことと書くことは密接な関係を保ち、省察をする上で必須のことだったのである。セネカは読むことと書くことをバランスよくしなければならないと『書簡八四』で述べている。「読書によって集めたものを、文章の表現によって作品化しなくてはならない。書くことが作品化を保証してくれる。」また、エピクテトスは「省察し(メレターン)、書き(グラフィエン)訓練する(ギュムナゼイン)することが必要である。」と述べている。そして次のように結論する。「こうして思考したり書いたり文章を読んでいるときにも、死は私を襲いうる」と。つまり書くことは訓練の一要素なのである。この訓練は二つの利点を持っているとフーコーは分析する。一つは自分自身のための使用である。各琴で思考している事柄に同化することができる。魂や身体に植えつけられ習慣のようなものになる。実際、読んだ後に書き、それを声を出して読み直すことを習慣とするように勧められていたのである。真理やロゴスを自分のものとするための肉体的な訓練である。読み、書き、読み直すことはpraemeditatio molorum、災悪をあらかじめ予期する訓練の一部であったとフーコーは解く。もう一つは、他人に役立つための使用である。一、二世紀には文通が極めて重要な媒介手段であった。互いに自分自身について知らせること、相手の魂に生じていることを問い合わせること、それを知らせてくれるようにたずねることである。この活動には、相手の状態についてたずね忠告を与えること、相手に与える忠告を自分も記憶することを可能にする二面性がある。つまり文通によって恒常的に自己指導の状態に身を置きつづけることができるのだとフーコーは要約する。
 十六世紀のヨーロッパで内面の日記や人生の航海日誌、文通が復活したことにフーコーは関心を寄せている。しかしその内実は大変違うものである。セネカの書簡やプルタルコスの著作では、自伝を書くということは見られないが、キリスト教の影響(例えば聖アウグスティヌスの『告白』)があり、十六世紀では自伝が中心的なテーマであったことに注意する。「どのように真理を語る主体になるか」というテーマから「どのように自分について真理を語ることができるか」というテーマへの移行があったことをフーコーは指摘している。
 
  25 自己について真理を語ることが主体の自分自身との関係の基本原則となる瞬間

 キリスト教では、師のすべての言葉は聖書のエクリチュールとの関係においてなされるが、キリスト教の霊性や司牧制に見出され、多くの場合異なった人間によって、教育、説教、告解などの役割が分かれ、さまざまな軋轢があるとフーコーはいう。しかしフーコーの関心は導かれる者が何か言うべきことを持ち、真理を語らねばならないという点にある。このとこはそれ以前の世界、古代ギリシアヘレニズム、ローマの世界にはなかったものだからである。導かれる者が語るべき真理とは彼自身の真理である。それは救いのために必要な手続きであり、主体の自己練磨や自己変容の技術として司牧的な綱領に書き込まれ、西洋の主体性の歴史あるいは主体と真理の関係の歴史において大変重要な瞬間であるとフーコーは指摘する。この瞬間、自己について真実を語ることは、共同体の帰属のために必要な要素になったのだという。告解を拒否するものは破門されたのである。
 古代ギリシア、ヘレニズム、ローマでは自己の真理を話すことは必要とされなかった。もちろん司法機関で宗教的な実践においては告白は要求されたが、キリスト教に見られるような霊的告白とは異なるとフーコーはいう。主体は真理の主体にならなければならず、真実の言説を師から聴くことから始まるのである。前記したように沈黙が尊ばれたのである。ソクラテスは相手の無知を気づかせ主体を試練にかけので
ある。対話や語録で導かれる者から奪い取る言葉は、つまりは師の言説に真理の全体があるということを示しているとフーコーは解釈する。さらにフーコーは師の言葉とは何かを論述していく。「真実のゲームにおいて、真実の言説が主体化されるゲームにおいて、師の言説やそれが展開する方法が介在する余地はあるのだろうか」とフーコーは問い、ここにパレーシアという概念が現れるという。弟子(導かれる者が沈黙で応じるように、師はパレーシアの原理に従う言説をしなければならず、弟子において主体化された真実の言説になるために必要なことなのであると分析する。パレーシアとは率直であること、心を開くことなどの意味がある。パレーシアとはすべての語る主体に要求される道徳的資質であるとフーコーはいう。
 さらに詳しくフーコーは説明している。哲学とレトリックの問題を考えたとき、古代ギリシアからローマ帝国滅亡まで多くの争いがあった。「ある種の言語的な身体がなければ哲学的なロゴスはない。言語的身体とは、固有の性質を持ち、固有の造形を持ち、悲壮感を醸し出すものであり、必要な諸要素は、語り手が哲学者である場合には、レトリックという術(弁論術)というテクネーであってはならない。技法でも倫理でもあるもの、術でも道徳でもあるもの、それこそがパレーシアである」とフーコーは定義づける。弟子の主体が完成されるような言説でなければならず、このように真理の言説を表現する規則をこの時期の哲学者たちは考えていたのである。
 
  26 プラトン『国家』における「詩人追放論」の深層(一)

 プラトン四十歳に公表されたという大長編『国家』では詩人に非常に厳しい評価が下され、さまざまな論議がなされてきた。その論議は後に紹介するとして、まずテクスとに即してプラトンの論述するところに耳を傾けてみよう。
 <正義>とは何かという話から始まり、個人における正義が国家の正義と等しく論じられる。国家の中心をなす統治者や国の守護者に求められる知恵、勇気、節制、正義が個人の問題として幼年期を過ごすべきかという論議がなされる。つまり教育の問題が第二巻十七でソクラテスの対話に現われるのである。身体のために体育があり、魂のために音楽・文芸があり、まず音楽・文芸を先にすべきであるとソクラテスは語る。言葉には真実のものと作り事のものがあり、後者の教育を先にすべきである。私たちは子供に最初は物語を聞かせるが、よい物語とそうでない物語があり、その多くは悪いものであるという。ここでホメロスとヘシオドスを俎上にのせる。彼らを非難すべきところは「神々や英雄たちがいかなるものであるかについて、言葉によって劣悪な似すがたを描く場合のこと」(377E)とし、「たとえほんとうのことであったとしても、思慮の定まらぬ若い人たちに向けて、そう軽々しく語られるべきではない」(378)と語る。つまり、神々や英雄が闘ったり、策略をしたりすることをえがくべきでないという、若い人に対する教育的観点から述べられたことである点に留意する必要がある。「徳をめざしてできるだけ立派につくられた物語を聞かせるように、万全の配慮を「(378E)ということである。しかし、神は善き者であり、悪については神を原因に求めず他に求めるべきであり、神には不完全なものはなく単一であり、物語にある変身譚は偽りであると語るのである。
 ソクラテスはホメロスやその他の詩人たちの作品の一部を取り出し、立派な人間や神々が悲嘆にくれたり、笑われたりする物語は、詩としては上手く多くの人たちを喜ばせるが、「死よりも隷属のほうを深く恐れる自由な人間とならねばならない人々は、こうした詩句を聞くべきではない」とする。
 さらにこれらのことと関連して第三巻では、プラトンにとって重要なミメーシス論が登場する。ミメーシスとは真似ることであるが、詩人や芸術家の行為としてプラトンは捉えている。『国家』の訳者にして哲学者である藤沢令夫氏の註によるところでは、プラトン以前にも行なわれ前五世紀には有力な考えであったとする。まず作者が作中人物の言葉を真似るという点を第三巻393Bでソクラテスは指摘する。「あたかも自分がクリュセスであるかのように語り、話しているのはホメロスではなく年老いた神官であるというふうに、できるだけわれわれに思わせるようと努めている」。作中での人物の会話が、登場する人物に成り代わって、つまり真似て語ることを問題にしている。小説ではごく一般的な手法だが、なぜそれが問題になるのか。それは、詩人(作家)は自分を覆いかくしているからである。したがってせりふなしに語る場合は「単純な叙述」とみなされる。逆に悲劇や喜劇の場合はすべてせりふで構成されている。これらはその全体が真似るというやり方によるものである。叙事詩などの場合は作者自身の報告とせりふの両方が見られる。さらに読み進めていくと、ソクラテス(プラトン)は国の守護者たちとの比較で語られることになる。「同じ一人の人間がたくさんのものを真似ようとしても、ただ一つのものを真似するようには、うまくできない」(394E)「人間の自然的素質というものは、それよりさらに小さなものへと細分化されているように見える。だからたくさんの物事をうまく真似するということは、あるいは、そうした<真似>事によって描写する実際の物事を数多く行なうこともだが、元来不可能なのだ」(395B)とある。それぞれの職人はそれぞれにおいて専門家でなければならず、国の守護者たちはそれらの仕事から解放されていなければならない。しかしすべての真似がいけないのではなく、「勇気ある人々、節度ある人々、敬虔な人々、自由精神の人々」の性格は真似すべきであると語られている。また物語の叙述の「すぐれた人物のある言葉なり行為なりのところ」は真似すべきであるという。作品において<真似>と単純な叙述の両方のやりとり方を見て、「語り手がつまらない人間であればあるほど、それだけいっそう何もかも真似することになる」(397)と語られている。ここまで論を進めてきて奇異な印象を私はもつ。人物として生き方と作品としての優劣が真似ということをめぐって同列に置かれていることである。国の守護者に求められていることと詩人に求められていることの混在である。それはもう少しテクストを進めてから考えてみよう。さらに詩における言葉や調べ、リズムにまで守護者たるべき人の教育的観点を展開する。
「リズムと調べというものは、何にもまして魂の内奥へと深くしみこんで行き、何にもましてその人を気
品ある人間に形づくり、そうでない場合には正反対の人間にするのだから」(401D)とある.私たちにとってこれらは詩の表現技法以外の何ものでもないと言える。しかしソクラテス、あるいはこの時代の人々にとっては大変重要なことであった。藤沢令夫氏の『国家』補注によれば、プラトンが生きていた時代の「さまざまな通念や思潮を吟味批判するためにソフィストや弁論家たちとしばしば対決していることは、多くの対話篇から知るところである。しかし、人間の生き方に関わる価値の問題を扱う仕事の分野として、ソフィストや弁論家たちの言説よりも、もっとはるかに古い伝統をもち、はるかに根づよいジャンルは、ホメロス以来の叙事詩・抒情詩・悲劇などの文学(詩)にほかならなかった」と藤沢氏は補注で述べている。つまり倫理的問題や日常生活に至るまで、ホメロスや悲劇は大きな役割を果たしていたのであった。
 さらにミメーシス論は第十巻において発展させている。ソクラテスは寝椅子を例に挙げ説明する。寝椅子においてイデア(実相)は一つあるだけである。(イデアについては別の章で詳しく論じる。)プラトンは三つの寝椅子を取り上げ説明する。寝椅子を作る職人はイデアを見つめ寝椅子を作る。それを私たちは使う。実相そのものを職人は作ることができない。しかし鏡を手に持ち回す。そこにすべてのものが作られる(映し出される)ことになるが、それらはほんとうにあるものではない。つまり写像である。このような行為を画家はしているという。寝椅子作りの職人は、イデアを作るのではなく、つまり真にあるものではなく、あるものに似ているものを作る。あるものとは本性界(実在)にあり神が作ったものである。神を本性製作者と呼び、職人、ここでは大工であるが寝椅子の製作者と呼ぶとすれば、画家は神や大工の作った寝椅子を真似る者とソクラテスは呼ぶことにした。そして画家のみならず悲劇作家や詩人を含めてそう呼んでいるのである。それでは画家が真似て描写する対象は実在界にあるものか、職人の作った製作物かとソクラテスは対話者の相手に尋ねる。職人たちの製作物であるという返答がくる。さらに実際ある通りに真似るのか、それとも見える通りにかと尋ねる。実際には異なることのない寝椅子は見る角度によってさまざまな姿に見える。画家はあるものをあるがままに真似るのではなく、見える姿を見えるままに真似て写すという結論に合意する。つまり真似る技術があり、それは真実から遠く離れたところにあるし、すべてを作り上げることができる理由になるとソクラテスはいう。「それぞれの対象のほんのわずかの部分にしか、それも見かけの影像にしか、触れなくてもよいからなのだ」(598B)と述べる。画家は職人の技術も対象物に対する知識も持っていない。「上手な画家ならば、子供や考えのない大人を相手に、大工の絵をかいて遠くから見せ、欺いてほんとうの大工だと思わせることだろう」(598C)とある。
 先述したようにホメロスや悲劇作家たち(真実から遠ざかること三番目のもの)は、当時の社会では絶大なる信頼を勝ち得ていた。しかしソクラテスは「真似師が作るのは見かけの姿」だと述べ、「もしほんとうに知識をもっているのであれば、その人は似姿のために熱意を傾けるよりは、実際にそれを行なうことのほうに、ずっと真剣になることだろう」(5998B)言い張るのであった。また、ホメロスがタレスやピュタゴラスなどの哲学者のように実際的な知恵や後裔者を育成していないことを非難する。すべての作家たちは、人間の特に似せた影像を描写しているにすぎない、技術のもつうわべの言葉で韻律やリズムで立派に見せているが、その内実は貧相なものであると主張する。「花ざかりにあるけれども、もともと美しくない人たちの顔のようなものではないか。花ざかりに見棄てられたとき、そのような子尾がどのように見えるか」とさえいう。したがって真実そのものには触れていないと主張する。使用ということに関して「詩によって真似る人は、自分が詩に作るところの題材に関する知恵にかけては、さぞ御立派なものだろう!」(602)という皮肉さえ言ってのけるのであった。「要するに<真似ごと>とはひとつの遊びごとにほかならず、まじめな仕事などではない」(602B)と結論に辿り着いたのであるが、理想国家での詩人追放論はここで終らずに、詩の感情的効果に論議は進んでいくのである。

  27 プラトン『国家』における「詩人追放論」の深層(二)

 画家や作家(詩人)の創作がもつ効力が人間性に与える影響へと、さらに詳細に論議が進められる。
同じものでも遠近間の違いや視覚の混乱によって違ったものに見えることがある。そこからもののほんとうの姿を捉えるため、数や長さを計算し測定することを人間は考えた。「そうした仕事は魂の中の理知的
な部分の働きである」。しかし魂は測定の結果を示していながら「反対の判断」をすることがある。つま
り魂の相反する二つの部分があり、測定や計算を信じる部分は魂の最善の部分であり反対する部分は低劣な部分である。したがって絵画や作家(詩人)など「真似の術は「何一つ健全でも真実でもない目的のために交わる仲間でありともである」(603B)視覚に訴えるものだけでなく聴覚に訴える詩も同様であるとする。詩が行なう真似は幸福や不幸の状況で苦しんだり喜んだりしているものである。このような状況のもとで心(魂)は分裂抗争という対立によって満たされている。その上で立派は人間とはどのような人を言うのか述べる。たとえば大切なものを失うという不幸な運命を背負わされたとき、「ただ悲しみに堪えて節度を保とうとする」。人から見られているときの方が一位いるときより、より悲しみと戦い抵抗する。その「抵抗を命じるのは理(ロゴス)であり法(ノモス)であり、悲しみへと引きずっていくのは、当の感情(パトス)そのものである」。(604B)このように二つのものがあり、法の導きに従っていく場合、「起こったことについて熟慮すること」で、感情をたかぶらせず平静を保つ方に向かう。このように「人間の内なる最善の部分は、理の示すところにすすんで従おうとする」。もう一方の、感情をたかぶらせる方は「非理性的にして怠惰な部分である」。後者は真似て描くことは容易であり、前者は「つねに相似た自己を保つがゆえに、それを真似てあがくのは容易ではない」。(604E)したがって「真似を事とする詩人」は人々に受け入れら用途すると感情面に働きかけようとするのは避けがたいことである。ホメロスや悲劇作家が描く、英雄が悲しみに悲嘆し不幸に胸を打つ場面を人々が同情や共感を寄せ賞賛する。ほんとうに優れた人間に求められるのは平静心を失わず不幸に堪えることを誇りとすることを讃えるソクラテスからは、「理知的部分を滅ぼす」ものとして危険視されるのである。「自分がいま目にしているのは他人の身の上のことであり、すぐれた人物と称する一人の人間がみだりに愁嘆にくれるとしても、その人を讃えたり痛ましく思ったりするのは、自分自身にとって少しも恥ずかしいことではないのだ」(606B)と言い、自分自身の苦難にあたっても平静を保持することは容易なことではないとソクラテスは主張する。喜劇においても滑稽なことをしたがる自分を抑えていた部分を緩めてしまうという。さらに愛欲や快苦においても同様である。「詩の作品としては、神々への頌歌とすぐれた人々への讃歌だけしか、国のなかへ受け入れてはならないということだ」と結論する。ここで二巻で述べられた音楽・文芸について語られた魂の教育を思い起こすことが必要である。プラトンは芸術のすべてを否定してはいない。
 最後に哲学と詩の相違は昔から論議されていたことを示唆する。おそらく哲学よりも詩は起源が古く生き方の規範をそこに求める風習があり、個人がいかに生きるべきかあるいは国家がいかにあるべきかという、プラトンの哲学への真摯な考察、具体的にはイデア論の確立が課題であったと言えよう。
「よく治められた国家のなかにそれ(詩)が存在しなければならないという、何らかの根拠を提出できるならば、われわれとしては、よろこんでそれの帰国を迎え入れるであろう。われわれ自身、それの魅惑に惹かれることを自覚しているのだから」(606C)とソクラテスの言葉で述べられている。
 『国家』篇は第十巻の後半は魂の不死について述べられる。訳者藤沢令夫氏によれば、ピュタゴラス派との接触によって得られたものであり、魂の不死の思想はイデア論とともにプラトンの真髄であるという。詩人に関わる直接のプラトンからの言及はこの部分にはないので、この書物の中心をなす《善》のイデアと魂の不死の問題、正義の報酬の論議は別の章で改めて論じることにする。

  28 プラトン『国家』における「詩人追放論」の深層(三)

 真実の言説の主体化としての修練の形式に求められる形式として聴くこと読むこと書くことを、ミシェ
ル・フーコーの『主体の解釈学』に導かれながらこの論考を進めてきた。聴覚のいかに受動的なものであるか、いかに魂を魅了するものであるかをフーコーは述べている。言い換えれば、聴覚は他の感覚よりロ
ゴスを受け入れるに相応しいものであるとともに、たいへんな危険にさらされているということである。ホメロスの『オデュセイア』においてオデュセウスがセイレーンたちの誘惑を避けるため、乗組員たちの耳を蝋で塞ぎ、みずからは帆柱に身体を縛らせて難を逃れ、快楽を拒み自己を統御した話に言及するとともに、プラトンが詩人や音楽家について何を言っていたかに触れている。フーコーの書物では一行で示唆しているが、その内実をプラトンの『国家』に直接あたり、その訳者藤沢令夫氏の訳注をもとにして私は考えてみようとした。ここでプラトンは詩人という存在をいかに考えていたのかを藤沢氏の言及に教えられながらまとめてみよう。
 『国家』第三巻では、前の章で取り上げたように、幼児教育の魂の教育に音楽・文芸は必要であるとソクラテスの口から語られていた。プラトンの他の書物、『プロタゴラス』(326)においても「子供たちが今度は読み書きができるようになり、書かれたものを理解しようとするころになると、彼らにすぐれた詩人たちの作品を教室であてがって読ませ、それらを暗記するようにいいつける」とあり、すぐれた人物を賞賛した言葉を示しながら、そのような人物なるように伝えるのである。また「抒情詩人の作品をとりあげ、これを竪琴の曲に乗せて教え、そのリズムと調べが子供たちの魂に同化するようにしむける」とあり、すぐれた人間になるために必要なことと考えている。それにもかかわらず『国家』第十巻(605E)で「詩人は魂の低劣な部分を呼び覚まして育て、これを強力にすることによって理知的部分を滅ぼしてしまう」から詩人を国家は受け入れるべきではないというプラトン(ソクラテス)の考えをどう解釈すべきか困惑するしかないだろう。
 藤沢氏によると、画家や詩人は「真実から遠ざかること三番目」の存在であるとするプラトンの主張に異議を唱える論評が多くの人々によってなされてきた。「画家はものの本質あるいはイデアを写さず大工の作品を写すだけであり」(598A)それゆえ絵画および詩などのミメーシスの仕事は真実から遠いのだ、と言われるとき、これは芸術一般に対するきわめて偏狭な、せいぜい極端なリアリズムの作風にしか当てはまらない見方であると非難されてきた、と藤沢氏は補注で述べている。さらに「アリストテレスは、詩は歴史よりも普遍的な事柄を語るがゆえに、より哲学的であると言い、その描写(真似)は、いかにあるかを写すのではなく、いかにあるべきかを写すと述べている」という。ここに藤沢氏から紹介されたアリストテレスの考えは私にはうなずけるものがある。そのことはさておいて、プラトンの考えに迫ってみよう。
 まずプラトンの『国家』が著されたころの時代背景を藤沢氏は次のように述べる。「人間の生き方に関わる価値の問題を扱う仕事の分野として、ソフィストや弁論家たちの言説よりも、もっとはるかに古い伝統をもち、はるかに根づよいジャンルはホメロス以来の叙事詩・抒情詩・悲劇などの文学(詩)にほかならなかった」。「そこに描かれる神々や人物の像は、広く確実に人々の心に滲透し、何が正しく美しい行為であるか、すぐれた人間とはどのような人間であるか、といった規範も、無意識のうちにそこに求められるようになるのは当然であろう」という。『国家』第十巻(598E)ソクラテスによって語られる、一般に世間に流布されて意見、「これらの作家たちはあらゆる技術を、また徳と悪徳にかかわる人間のことすべてを、さらには神のことまでも、みな知っている。ほかでもない、すぐれた作家(詩人)たる者は作品の題材として何を取り上げるにしても、それについて立派な詩作をしようとするのであれば、主題となるその事柄を必ずよく知っていて詩作するのでなければならない。そうでなければ詩の創作は不可能なのだからと、とこいうわけだ」という意見があるほど人々に対する影響力が大きかったということであろう。前の章で先述したようにソクラテスはこうした意見に否定的であった。そのような知識をもっている人であれば立派な業績を残し行為する人になり、後世讃えられる人になるほうを熱望するであろうと考えたのだ。

  29 プラトン『国家』における「詩人追放論」の深層(四)

 藤沢氏は『国家』の補注でプラトンの詩人像を明確に論述している。それによれば、プラトンは詩人たちの仕事を全否定しているのではないことが理解されるのである。プラトンが誤解を招きやすい表現を指摘しながらも、哲学と詩の対立というよりは役割の相違であり、すべての詩人がすぐれているのでもなく、詩の陥りやすい危険に警鐘を打っているのであると述べる。
 プラトンが三つの寝椅子で説明しているのは先述したが、もう少し立ち入ってみよう。「大工の寝椅子」と「寝椅子のイデア」の区別を考えたとき、たんに「現実にそのまま見出されるもの」と「現実には見出されず、理想的なかたちで思いうかべられるもの」の区別ではなく「一なるイデア」と「(同じ名で呼ばれる)多くのもの(個別)」との区別であり、「それ自体は純粋の知性や思惟によってしかとらえられないもの」と「感覚によってとらえられるもの」の区別であることを理解しておく必要がある。画家および詩人が第二の寝椅子(大工が作ったもの)を描写するということは、特定の感覚増である。画家が描くものは「感覚されるもの」であるしかない。「理想像」は現実には決して見られるものではないからである。画家が心のなかに思い浮かべるイメージにしても「思惟によって知られるもの」ではなく感覚像である。このように藤沢氏は論を進め、「芸術作品のもつ真実性は、ひとつにはその作家がどれだけ対象の本質を洞察して、どれだけよくその本質を具現したイメージ(感覚像)をもちうるかに依存するから、その意味では、作家が知識と真実の探求者であること、つまり、ひとりの芸術家にうちに哲学者が共存することは可能である」という。したがって「画家は、最も美しい人間とはどのような人間であるかという、その規範となる像を描き、あらゆる点にわたってかけるところなく、それを画として完成した」(472D)や「ちょうど画家がするように、最も真実なものへと目を向けて」(486C)という記述から、「イデアのミメーシスという考え方はプラトンにも認充分認められる」と主張するのは大工と同列になり、プラトンの考えと異なると藤沢氏は述べる。「理想像」とイデアは区別しなければならないからである。イデアを分有するものとして(後のプラトンはこの考えを修正することになるが)この理想像もやはり特定の知覚像と当時のプラトンは考えていた。
 したがって芸術作品のもつ真実性とはどれだけ対象の本質を洞察し本質を具現したイメージ(感覚像)をもちうるかに依存しているであるから、その意味ではひとりの芸術家のうちに哲学者が共存することは可能であるとプラトンは考えていたと藤沢氏は解釈する。しかし詩人は「彼の把握した物事の本質を、特定の状況における一主体の具体的な姿・行動を一度あいだに入れて、それを描き出すことによってしか表現できないということに変わりはない」と藤沢氏は述べる。このことは人に訴える力は大きいが、哲学の「それ自体の徹底的な考究」に対しては「ひとつの制約」になるともいう。ゆえに本質それ自体(イデア)から「遠ざかること第三番目は」にあるというプラトンの序列づけは変わらないであろうと藤沢氏は結論する。
 
もしもわれわれが、国家の民たる者はかつて誰ひとりとして他の同胞国民と憎み争い合ったことはないし、またそもそもそれは神意に反することだということを、なんとか説明すべきであるとすれば、まさにそのような内容のことをこそ、老人も老婆も、子供たちに向かって早くから語り聞かせなければならないし、そして彼らの年齢が長じるにつれて、詩人たちにもそういう内容に沿った物語を、彼らのために創作するようにさせなければならない。ヘラが息子に縛られた話だとか、またすべてホメロスが創作した神々どうしの戦いの話などは、たとえそこに隠された裏の意味があろうとなかろうと、けっしてわれわれの国に受け入れてはならないのだ。なぜなら若い人には、裏の意味とそうでないものとの区別ができないし、むしろ何であれ、その年頃に考えのうちに取り入れたものは、なかなか消したりできないものとなりがちだからね。こうした理由によって、おそらく、彼らが最初に聞く物語としては、徳をめざしてできるだけ立派につくられた物語を聞かせるように、万全の配慮をなすべきであろう」。(第二巻(378D)

 ここに語られているのは教育に関する詩への言及であるが、教育に限定されずプラトンが詩人の仕事をいかに考えているかが知れよう。芸術家が現実に描かれたものしか描写しないと言ってはいない。プラトンの『パイドロス』などで語られる神々の物語(ミュートス)はすばらしい詩でなくて何だろう。イデアは言葉を絶する世界であり、それを語るミュートスはイデアそのものではありえない。詩に限らず芸術はそれゆえ感覚から作られるものである。詩の「感情を高ぶらせる性格」は「すぐれた人間」でさえ魂を魅了してしまうことがある。それゆえ感情(パトス)が陥りやすい非理性であり怠惰な部分に警鐘を促していると考えればよいだろう。右の引用にもある「創作」という言葉に見られるように、虚構を認めよい活用をすべきだと述べていると解釈してよいであろう。
 プラトンの『国家』という書物のテーマは《正義》と《国家》であるが、藤沢氏も指摘するように、「教育論、芸術論、認識論、存在論、魂論、数学の本性について、天文学のあり方について」など広範囲に関わり、特に「第六巻から七巻にかけて<善>のイデアに究極する哲学的認識の論究である。そのようななかでのプラトンの文学(詩)への批判を考えなければならない。「その主眼は、文学が人間の生き方を取り扱う仕事として、原理的に或る限界をもつのではないかという指摘にあった。もしそうだとすれば、人々が人生の諸問題について、そのような限界をもつ文学(詩)の提出する規範を無条件に信じることは、思想そのものとしては脆弱な観念を絶対化することにほかならず、結果は重大であるといわなければならぬ。
(哲学)がこの点を見抜いたうえで、ながらく文学(詩)にゆだねられてきた同じ問題について、もっと異なった取り扱い方と、異なった規範をするものであるならば、これを人間の営みとして確立することを課題とするプラトンにとって、文学(詩)こそ最もはげしく論争をいどまなければならない強力な相手であったといえるであろう。」と藤沢氏は補注で論じている。
 藤沢氏も言うように、『国家』で構築される理想国家は統治者や守護者の育成を考えた現実的な性格を
帯びている。「しかしイデア論と魂の不死を基調にした哲学によって、全体としてそっくり<永遠の相>に包みこまれることになる」。だが、わずかの時間のうちには、どれほどの大きなことが生じうるだろうか? というのは、幼少から老年にいたるまでのこの時間の全体などというものは、全永劫の時間に比べるならば、ほんのわずかなものにすぎないだろうからね。(中略)いやしくも不死なるものが、そんな短い時間のことに真剣な関心をもつべきだと、君は思うかね? 全永劫の時間のためにこそ、その真剣な関心を向けるべきではないだろうか」第十巻(608C~D)

 今日の我々の詩は哲学から離れ感覚を喜ばせる詩を評価する傾向にあると言える。しかし生きることと詩を書くことを同一視する詩人のなかには「いかによく生きるか」というテーマを追い求める詩人が少数であるがいる。私もその一人であると自覚しているが、それであればこそ、哲学と詩学さらに神学との相違を見極めなければならないだろう。この私の「自己への配慮と詩人像」というエセーを書く目的もそこにある。たんに哲学や神学を主題にして詩を書くことではない。プラトンにより、より善い人間の行き方が探求され、セネカやマルクスですでに論じたようにストア派に継承された。そこからキリスト教やデカルトの哲学などに変貌するが、十九世紀末にニーチェによって近代批判が鋭く抉られ、ボードレールの詩学が登場するのである。ボードレール以降の現代詩がランボー、マラルメ、ブルトンにテーマが分化されていった。明治以降、西洋の近代を受容した日本に生きる詩人たちに西洋の思想史が無縁であるはずがないであろう。構造主義やポストモダンが流布し、西欧理性の問い直しが始まったが、反理性の思想を凌駕すべきポストモダンを超える思想が求められている。さまざまな領域で狂い始めている状況を救済すべく新しい理性を探求すべき時がきている。これまでの西欧理性ではなく、古代ギリシア人の考えたロゴスのほんとうの意味を私は考察していきたいと思う。


                 (次回は「パレーシア」という概念を中心に論じていく予定。)


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