萩原朔太郎の詩を読もう(1)小林稔
見知らぬ犬 萩原朔太郎
この見知らぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後ろ足でびつこをひいてゐる不具(かたわ)の犬のかげだ。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風に吹かれてゐる、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきないきもののような月が、ぼんやりと行手に浮かんでゐる、
さうして背後(うしろ)のさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきづつて居る。
ああ、どこまでも、どこまでも、
この見知らぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這いまはつて、
私の背後(うしろ)で後足をひきづつてゐる病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあわせの犬のかげだ。
「見知らぬ犬」
私を追ってくる犬の影とは、朔太郎の他者としての自己と言ってよいでしょう。彼の心に住みついたもう一人の自分が私から視線を外そうとしない。「私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまいたい。影が、永久に私のあとを追ってこないように」と後の序文に記しています。
朔太郎はこの詩集『月に吠える』の序文で次のようにも書いています。
「詩の本来の目的は寧ろそれらのもの(情調、幻覚、思想)を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。
詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である……」と。
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