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ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

夏を惜しむ/小林稔詩集「白蛇」より

2016年07月24日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月刊行

夏を惜しむ
小林稔

    かんかん照りの道を 学校から帰ると、一つの死が 私を

待ち構えていた。
    
十二歳の私は 悲しみを覚えることなく、一年数ヶ月の生

   命の結末に 口ごもる家族と離れ、ひんやりとした廊下で 

   仰向けに寝転んで、流れる雲の行方を 追っていた。
 
    別れるときの死顔が 作りもののように思えた。商店の裏

   道を抜けて 伯父と小さな棺を担いで お寺まで急いだ。
   
    えんえんと続くお経を縫うように、鈍い木魚の音が 規則

   的に響いていた。うだるような暑さの中で私は気を遠くして

   いた。

 
    突然に 一本の電話が鳴る。姉の二番目の男の子の死を知

   らされた。あれから十五年目の夏、弟のもとに去った 十八

   歳の死を想った。立つことかなわず、言葉一つ発せずに終わ

   った未熟児。うなり声は家中とどろき、睡眠を奪ったが、死

   の前日は さらに激しかった。朝起き 体に触れると動かな

   かった、と聞く。
    
    東京にいた私は 父のもとに帰った。姉と義兄が 私を待

   ち受けていた。

   
    棺の蓋を取りのぞくと 蒼白の顔面があった。目はきつく

   閉ざされ 引きつっていた。唇の割れ目から前歯が 覗いて

   いた。そこから朱が一筋、顎の辺りまで引かれ 干からびて

   いた。花びらを亡骸(なきがら)に散らせ 釘を刺した。
 
    コンクリート壁の部屋で 猫背の男が炉の鉄の扉を開け、

   骨を 無造作に取り出した。
 
    火葬された骨は 舞うようであったが、差し出す箸(はし)

   にすがったのは 軽さのためか。
 
    私は骨壷を 肩からかけた白い布にくるみ、炎天下の道を

   のろのろとお寺へと歩いていった。

 
    毎年、夏になると どこからか笛と太鼓の音が聞こえてく

   る。祭りの前日には 朝早く御神体を抱えた男たちが かけ

   声とともに 走り回る。
 
    今年もその日が来た。人がどっとおし寄せ、男たちは酔っ

   たように 神輿(みこし)を担いでいた。

  

                 copyright1998 Ishinnsha


銀幕/小林稔詩集「白蛇」より

2016年07月21日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年刊

銀幕
小林稔

      男の子は 姿見の前に立ち、額に ゆかたの紐を結わえた。
  
     一昨日、姉と見に行った映画館の、銀幕に映し出された若武

     者になりたい、と思った。

      上目使いに 鏡面に映った男の子を睨(にら)んだ。肩を

     はだけて、剣を傾け 闇を切り裂く。
 
      死角から現われた男がいた。男の子は身を翻(ひるがえ)

     すと 男の胴に刀を滑らせた。どっしりとした手ごたえがあ

     ったので、男の子は よろけた。

     「えい、えい」
    
      たちまちにして 姿勢を正し、見えない敵に向かって剣をか

     ざし、畳の上を進んだ。
 
      不覚にも 男の子の胸元を突き刺す敵の刃(やいば)があ

     った。傷口から血が噴き出している。
  
      男の子は身をよじって、もがき、倒れた。

     「オノレ、にっくきやつ、覚悟いたせ」
 
       男の子はしろ目を出しながら 畳の上を這い 叫んだが、

     ようやく立ち上がった。乳首の下の裂けめから 地が流れ、
      
     股を伝って 踵で止まった。
    
      一人の敵に斬(き)りかかったとき、男の子は力つきて、

     身を仰向けにして倒れた。
 
      男の子は信じていた。こんなとき 味方の男たちが 馬を

     走らせて やって来るんだ。きっと 夜明けの樹々が男たち

     のうしろに 次々と倒れ、灰色の雲が 煙のように流れてい

     くのだろう。蹄(ひづめ)の音が男の子の耳元に響くのだが、

     男たちは姿を見せない。息が絶えそうになり、男の子は 身

     を小刻みにふるわせ、瞳を閉じた。
 
      一瞬、息を取り戻したとき、男の子は味方の男の胸に し

     っかりと抱えられていた。手足と首を ぐったりと垂らし、男

     の子は しばらく そのままにしていた。

      男の子は 他にだれもいるはずのない八畳間の真ん中から、

     すうっと立ち上がって 障子を開けた。
 
      日は暮れかけていた。男の子はいなくなった。部屋いちめ

     んが 闇に包まれた。


鏡の中の海/小林稔詩集「白蛇」より

2016年07月11日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月刊より

鏡の中の海
小林稔


 砂にタイヤを取られ 傾いた自転車を降り、倒れかかる自

転車を 両手でハンドルに力を込めて起こした。

 海辺には 赤や黄色の人の群れが犇(ひしめ)いている。

私は素足になり歩いて行った。

 遠くには 島と見間違えるほど大きな旅客船が 浮かんで

いる。沖に視線を向けていた私の踝(くるぶし)に 冷たい

感触があった。ボールが私の足元から飛んで行き、私の肩を

掠めて海に飛び込んでいく少年がいた。どこからボールは来

たのだろうと振り返ると、もう一人の少年がいた。

 私は はっとして眼を疑った。海に向かった少年と、私の

うしろに立っている少年は、同じ顔、姿かたちをしているで

はないか。短く刈られた頭髪が 海水に濡れ光っている。日

焼けした顔に 羞(はじ)らいの表情を浮かべ、肩甲骨をく

っきりと現わし、背中を見せて 波打ち際を二人は走った。

 おそらく双生児であろう、一人が ボールを海に目がけて

蹴ると、もう一人の少年が」泳いで跳びつき 投げ返した。

 二人は砂浜に上がって向かい合った。鏡に映し出された二

つの像のように思われた。照りつける太陽の下、少年の背中

で、真っ青な海が波しぶきを浴びている。私は羨望(ぜんぼ

う)と嫉妬(しっと)の念に駆られ、胸が張り裂けそうに感

じていた。私の視線が二人の少年の肌を刺したのか、はたま

た偶然にか、少年は視線を投げ返したのである。私は怖れに

も似た不思議な想いで受け留めたが、どこにも返しようがな

かった。私は潮風にあおられ、少年たちから遠ざかった。あ

の少年の 振り向いて投げられた眼差しは、脳裏に 幾度と

なく反芻(はんすう)された。かつて見たと想われた、記憶

の中の眼差しに相違なかった。

 砕け散る波しぶきで白く霞んだ海岸線を、私はどこまでも

歩いた。胸に宿った空虚の念は埋めようがなく、さらに広が

っていった。




Copyright 1998 以心社 無断転載禁じます。


天省湖にて/小林稔詩集「白蛇」より

2016年07月09日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』1998年11月刊(旧天使舎)以心社より

天省湖にて

    
      眠りから覚めた。明けやらぬ空の高みから呼ぶ声がした。

     少年はキャンプから抜け出て、かすかに輪郭を見せる連峰に

     視線を馳(は)せる。水面に漂う靄(もや)を映す湖を 山

     々が屏風(びょうぶ)のように重なり合い囲んでいる。

      どのくらいの時が流れたであろうか。東の空が明るみ始め

     た。湖水から立ち昇る靄がいっせいに消え、一条の光が水面

     を走る。

      もう一度、少年を呼ぶ声がしたように思った。低い朝の光

     を背に受けて 妙林山から馬の背まで稜線(りょうせん)が

     くっきりと浮かび上がった。

      少年は立ちすくむしかなかった。青い山影に陽が射し始め、

     ふと見れば、何やら動くものがある。金属板のうねりのよう

     な音を聞いたのであった。耳の奥から発する音のようにも聞

     こえたが、右に左に尾根を辿りながら降りてくる。

      怖れからか 少年の心臓は早鐘のように打った。うしろか

     ら少年を覆うようにして立つ地蔵岳が、静まり返った鏡の湖

     面を覗いていた。

      
      きんいろの日輪が妙林山の山頂にかかった。左手に視線を

     移すと、一頭仕立ての馬車が山腹を走っているのが見えた。

     蹄の音が 馬車の動きに遅れて軽やかに追っている。

      闇が光に変わるように、怖れが懐かしさに打ち消され喉元

     まで込み上げた。

      馬車は湖の対岸に来た。湖が波立ち、空と山と少年の立つ

     小砂利の道をかき乱した。鈴の音が湖の淵を辿りながら、一

     段と高まった。葉叢(はむら)が湖水に いっせいになびい

     ている樹木を縫って、馬車は駆けてくるのであった。

      
      少年は身動きならない。馬車が砂利を踏みしだく音。馭者

     のかけ声はするが、姿はない。
 
      少年の立つ遊歩道を 馬車は疾駆し眼前に飛び込んで来た。

     少年の目にしたものは 幌に凭(もた)れ、瞼をふせたまま

     の父の姿であった。

    「おとうさん!ぼくを連れていって」
 
      かろうじてこぼれた少年の言葉を崩すように 馬は躍りか

            かり、激しく軋む車輪の音を残して馬車は遠ざかった。

 

 

 

 



 


昼下がり・小林稔詩集「白蛇」より

2016年07月06日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』1998年十一月刊(旧天使舎)以心社

昼下がり
小林稔



  アスファルトの通りを 太陽の光が焼きつけていた。コー

ルタールがふき出して、くぼみに無数のひびが走り、タイヤ

のあとが そこだけ刻み込まれていた。

  人の行き来が ばったりとだえている。人は午睡をむさぼ

っているに違いない。

  私は縁側で遊んでいた。一升びんに、絵の具を水で溶かし

て入れた。ビニールの管を差し込んで ブロック塀にのせ、

吸い込んで すぐに口を離す。すると 下に置いたバケツの

中に赤い水が落ちてくるのだった。


 木戸のすきまから通りを見ていた。向かいの家の庇(ひさ

し)が通りを縁どりして、影の電信柱が横倒れになっている。

じっと見ていると 眠くなった。からから。からから。遠く

から聞き慣れない音がする。暑気のせいかもしれない。私は

夢うつつで聞いていた。少しずつ近づいてくる。

  きりきりと 木の軋(きし)む音も聞こえる。がらんがら

ん、という大きな音がして、かすんだ視界に 二本の黒い角

が現われた。それから平たい大きな牛の横づらがすきまから

覗いた。

  戸を開けた。牛は干し草を高く積んだ荷車を引いていた。

牛を操る 日に灼(や)けた男の横顔が見えた。村からの一

本道とはいえ、町なかで見るのは 初めてのことだ。木の車

輪がせわしなく回りながら、目の前を ゆっくりと通りすぎ

た。

 
干し草のてっぺんには 白い布地の帽子を被った子供がい

て 揺れていた。私と同じ年恰好の男の子だ。太陽の方へ顔

を突き出し 私に一瞥(いちべつ)を投げた。


 あっ、ころ、ころ、ころん。

  男の子は 地面に頭から転げ落ちた。私はとっさに 顔を

おおった。何が起こっているのだろう。

  子供の泣き叫ぶ声も 父の駆けつける足音も聞こえない。

両方の手のひらが 私の顔を押さえつけて 離さない。


 しばらくして見ると、だれもいない通りの真ん中で、干し

草が 太陽の光に輝いていた。

 

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