ヒーメロス通信


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鏡の中の海/小林稔詩集「白蛇」より

2016年07月11日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月刊より

鏡の中の海
小林稔


 砂にタイヤを取られ 傾いた自転車を降り、倒れかかる自

転車を 両手でハンドルに力を込めて起こした。

 海辺には 赤や黄色の人の群れが犇(ひしめ)いている。

私は素足になり歩いて行った。

 遠くには 島と見間違えるほど大きな旅客船が 浮かんで

いる。沖に視線を向けていた私の踝(くるぶし)に 冷たい

感触があった。ボールが私の足元から飛んで行き、私の肩を

掠めて海に飛び込んでいく少年がいた。どこからボールは来

たのだろうと振り返ると、もう一人の少年がいた。

 私は はっとして眼を疑った。海に向かった少年と、私の

うしろに立っている少年は、同じ顔、姿かたちをしているで

はないか。短く刈られた頭髪が 海水に濡れ光っている。日

焼けした顔に 羞(はじ)らいの表情を浮かべ、肩甲骨をく

っきりと現わし、背中を見せて 波打ち際を二人は走った。

 おそらく双生児であろう、一人が ボールを海に目がけて

蹴ると、もう一人の少年が」泳いで跳びつき 投げ返した。

 二人は砂浜に上がって向かい合った。鏡に映し出された二

つの像のように思われた。照りつける太陽の下、少年の背中

で、真っ青な海が波しぶきを浴びている。私は羨望(ぜんぼ

う)と嫉妬(しっと)の念に駆られ、胸が張り裂けそうに感

じていた。私の視線が二人の少年の肌を刺したのか、はたま

た偶然にか、少年は視線を投げ返したのである。私は怖れに

も似た不思議な想いで受け留めたが、どこにも返しようがな

かった。私は潮風にあおられ、少年たちから遠ざかった。あ

の少年の 振り向いて投げられた眼差しは、脳裏に 幾度と

なく反芻(はんすう)された。かつて見たと想われた、記憶

の中の眼差しに相違なかった。

 砕け散る波しぶきで白く霞んだ海岸線を、私はどこまでも

歩いた。胸に宿った空虚の念は埋めようがなく、さらに広が

っていった。




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