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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

平城(なら)の飛鳥 瑜伽神社

2016-01-17 23:54:14 | 文学をたどる
 県道169号線を沿って奈良ホテルの向かい辺りの道を少し路地に入ると、瑜伽神社と書かれた石柱に朱塗りの鳥居が目に入る。一の鳥居くぐると、長い階段が前に伸びている。

 

 長い階段を登っていくと中腹に、瑜伽山櫻楓歌碑がある。

 

 江戸時代に奈良奉行所に勤めた藤原良材という人が、 「春は又 花にとひこん 瑜伽の山 けふのもみちの かへさ惜しみて」と、この山の桜と紅葉の見事さを歌った和歌が刻まれている。残念ながら、私が訪れた時は、冬だったので桜もかえでもきれいに枯れていた。

 さらに石段を登っていくと、社殿がある場所に出る。境内には、「瑜伽本宮」と書かれた扁額を掲げた朱塗りのきれいな拝殿がある。そして、この奥には重要文化財に指定されている本殿があるのだが、残念ながら見ることはできなかった。境内自体はそう大きくはない。人が10人もいればあふれるような感じだ。
 祭神は、宇迦御魂大神とされる。この神様は、穀物の神様である。また、後世では、伏見稲荷大社の主祭神とされる。だから境内に狛犬の代わりに狛狐(?)がいるのはその関係なのかな。

 境内の右手に大伴坂上郎女の詠んだ歌を刻んだ万葉歌碑がある。
 
 歌碑には、「ふるさとの あすかはあれと あをによし ならのあすかを みらくしよしも」という歌が万葉仮名で刻まれている。

 

 歌意としては、故郷の飛鳥は、昔、都のあった飛鳥であり、奈良の飛鳥はこの瑜伽神社の周辺を指すと言われる。昔都のあった飛鳥もいいけれども、この奈良の飛鳥も負けず劣らずなかなかいいものですよというところなのだろうか。この瑜伽神社は、飛鳥の神南備を平城遷都共にこの地に写したのだという。この辺りまで元興寺の社域が及び、元興寺の鎮守社として崇敬を集めていたそうだ。

 大伴坂上郎女は、大伴旅人の妹で、子どもは、大伴家持に嫁いでいる。万葉集には、長歌、短歌を合わせて84首が収録されている。あんまり気が付かなかったが、万葉集では、額田王に次ぐ女流歌人であるという。

 歌碑の横には、飛鳥の御井と言われる泉がある。これまで枯れたことがないのだそうだ。

 

 昔は、この社の境内から、飛鳥の大和三山が眺めることができたらしいのだが、残念ながら、今は見ることはできなさそうである。

 

 遥かな昔、この山から、遠き故郷の大和三山を見て、飛鳥古京を懐かしんだのだろうか?
 飛鳥という地名は、周辺の飛鳥小学校などに残っている。

 また、この辺りは、中世には瑜伽山城という山城があり、その跡と見られる遺構も残っているらしい。

 この神社から、東へ行くと、奈良公園の浮御堂がある鷺池はすぐそこである。

 



 


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