去る10月30日、立命館大学名誉教授白川静氏が逝去された。僕が大学に入ったときは既に退官されていたのだが、高橋和巳の以下の一文に象徴される伝説の人物になっていた。
「立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は…(中略)…団交ののちの疲れにも研究室に戻り、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室にはおそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちはそのたった一つの部屋の窓明りが気になって仕方がない。その教授はもともと多弁な人ではなく、また学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交に出席すれば、一瞬、雰囲気が変わるという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。」
このS教授が白川先生である。僕自身は、学生時代「漢字」「漢字百話」といった新書版の本から白川文字学に魅了された口である。白川先生の本は、ごつごつとしていて読みにくいのだが、読者を捕らえて話さないところがある。特に白川文字学の特徴は、口という漢字の解釈に現れている。口は今まで、口の形をかたどったものとされていたのだが、口は口の象形ではなく、神との交歓を示すのりとをあらわしたものだとする。文字が神とのコミュニケーション手段である主張したのである。文字の原義を探ることにより当時の社会が見えてくるとしたのである。漢字の中に呪術的なもの、宗教的なものを見出したといえるのではないでしょうか。有名なのは道という字。道の中にどうして首という字があるのか、白川先生は、本当に魔よけとして首を持ち歩いていたとする。ちょっとグロテスクな話である。
但し白川先生の業績は、漢字学にとどまらない、本来は中国古代文学の研究者であり、漢字学はその古代文学を論じるための基礎資料として研究されていたのだと思う。
僕自身は、2年ほど前立命館大学で講演があり、初めて白川先生のお話を聞かせていただいた。90歳をいくつか越えておられるのもかかわらず、滔々と甲骨文字を書かれながら講義をされる姿に感動しましたし、学問の迫力を本当に感じました。会場は超満員でした。
96歳で死去、一般で言えば大往生なのだろうけど、白川先生に限って言えばもったいないなあと思う。まだまだなされるべきお仕事があったような気がします。
そういえば講談社学術文庫で出ている「中国古代の文化」「中国古代の民俗」には続編が書かれるはずだったと述べておられます。その続きがぜひとも読みたかった。もし遺稿等で残っていればと思います。
僕もしばらくして余裕ができれば、白川文字学の世界に耽溺したいと思います。
白川先生のご冥福をお祈りいたします。ご苦労様でした。
「立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は…(中略)…団交ののちの疲れにも研究室に戻り、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室にはおそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちはそのたった一つの部屋の窓明りが気になって仕方がない。その教授はもともと多弁な人ではなく、また学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交に出席すれば、一瞬、雰囲気が変わるという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。」
このS教授が白川先生である。僕自身は、学生時代「漢字」「漢字百話」といった新書版の本から白川文字学に魅了された口である。白川先生の本は、ごつごつとしていて読みにくいのだが、読者を捕らえて話さないところがある。特に白川文字学の特徴は、口という漢字の解釈に現れている。口は今まで、口の形をかたどったものとされていたのだが、口は口の象形ではなく、神との交歓を示すのりとをあらわしたものだとする。文字が神とのコミュニケーション手段である主張したのである。文字の原義を探ることにより当時の社会が見えてくるとしたのである。漢字の中に呪術的なもの、宗教的なものを見出したといえるのではないでしょうか。有名なのは道という字。道の中にどうして首という字があるのか、白川先生は、本当に魔よけとして首を持ち歩いていたとする。ちょっとグロテスクな話である。
但し白川先生の業績は、漢字学にとどまらない、本来は中国古代文学の研究者であり、漢字学はその古代文学を論じるための基礎資料として研究されていたのだと思う。
僕自身は、2年ほど前立命館大学で講演があり、初めて白川先生のお話を聞かせていただいた。90歳をいくつか越えておられるのもかかわらず、滔々と甲骨文字を書かれながら講義をされる姿に感動しましたし、学問の迫力を本当に感じました。会場は超満員でした。
96歳で死去、一般で言えば大往生なのだろうけど、白川先生に限って言えばもったいないなあと思う。まだまだなされるべきお仕事があったような気がします。
そういえば講談社学術文庫で出ている「中国古代の文化」「中国古代の民俗」には続編が書かれるはずだったと述べておられます。その続きがぜひとも読みたかった。もし遺稿等で残っていればと思います。
僕もしばらくして余裕ができれば、白川文字学の世界に耽溺したいと思います。
白川先生のご冥福をお祈りいたします。ご苦労様でした。
ぜひとも白川先生の本を読んでください。派手さはないけど、学問の重厚さを感じることができます。
遺稿集でればいいなあ。
同じく、白川静先生の追悼記事にトラックバックいただきました、メカ・ミムラと申します。
『中国古代の文化』と『中国古代の民俗』は、ページをめくる度に行間から当時の民俗文化が生き生きと立ち昇ってくる感が致しまして、わくわくしながら読んだものです。
結婚する時にずいぶん蔵書を整理したのですが、白川先生のご本は大切に何度も読み返しております。
わたしは「望の儀礼」についてのお話がおもしろかったです。
遺稿集、是非出版していただきたいものです。
同じ白川静先生についての記事に、トラックバックを戴きました。
美冬と申します。
RYOさんの記事を拝見して、「漢字」や「漢字百話」、それに「中国古代の文化」と「中国古代の民俗」を読んでみたくなりました。
遺稿、本当に、残して下さっているといいですね…。