瓢箪山古墳から東へ向かうと、途中で住宅街が一面となっていく。これまでと景色が一変するのでちょっとびっくりした。そうしてしばらく歩くと、左手に、塩塚古墳のこんもりとした森が見える。
古墳に近づいてみると、東側の半分は樹がなく、丸坊主の状態である。そのため、墳丘の形状がきれいに見ることができた。
塩塚古墳は、墳丘長105mの中型の前方後円墳で、周囲を盾形の周濠が巡っている。ちなみのこの古墳は、古墳時代の中期前半に築造されたと考えられている。
古墳の姿が明瞭なのだが、周囲がフェンスで覆われており、墳丘への立ち入りはできないようになっている。
埋葬施設については、後円部に木棺を粘土で覆った粘土槨が検出されている。また、遺物としては、蕨手型刀子や鉄斧などが見つかっている。
後円部の周囲には濠が残存している。
この塩塚古墳について、後円部は高さ9mもあるのに対して前方部は1.5mから2mと極端に低く、奈良時代の瓦が多く出土していることから、前方部に松林苑関連の施設があったのではと考えられているようだ。
奈良県の遺跡地図によると、塩塚古墳の東には、松林苑の内郭施設があったと考えられている。
もしかして、この辺が畑地などで残っているのは、松林苑関連の施設であったということで、その保存のため開発されずに残っているのだろうか?
この後は、オセ塚古墳を見て、添御県坐神社、別名歌姫神社でこの旅を終えることにしよう。
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