
小路遺跡から第2京阪道に沿って丘陵地を登っていって、バス通りを伝って歩いていくと大阪府の豊野浄水場に出る。歩いた時間として20分程度か?結構傾斜がきつくはあはあと息遣いが激しくなっていた。豊野浄水場を少し行き過ぎると太秦高塚古墳を見つけることができる。歴史公園としてきれいに整備されている。

この古墳は、歴史公園にするにあたり、平成13年に発掘調査が行われている。太秦高塚古墳の全長39m、円丘部直径37m、高さ7mの2段築造の円墳であり、周囲には幅7.5mの濠が巡らされている。

また、1段目の平坦な部分には円筒埴輪がくるりと古墳の周囲を配置されていたと考えられており、北西部に1か所造り出し作られている。発掘調査時には人物や水鳥などの埴輪が多く出土しており、この部分で祭祀が行われていたであろうことが想像できる。

墳頂には、埋葬施設があったことがわかるようにブロックが置かれている。

東側に偏っているので、もしかしたら、西側にもう一つ埋葬施設があったのかもしれないとのこと。発掘調査時は、短甲や鏃、鐙などの鉄器が出土している。築造は、5世紀の後半らしい。周辺にも古墳がいくつかあったらしいが、残っているのは、太秦高塚古墳だけのようだ。第2京阪道路の建設工事時にも、いくつか古墳が見つかっている。
この辺りは、太秦という地名、太秦古墳群と名づけられている群集墳がみつかっていること、高宮廃寺や太秦廃寺などかなり早い段階に作られた寺院跡もあることを考えると、古墳時代に、この地に渡来人の拠点が出来、ここで勢力を張っていたのかもしれないと想像することもできそうである。

この古墳の周辺は、すでに新興住宅地として大規模に開発されている。新たな発見は望めそうにない気がした。
ちなみに、太秦高塚古墳は寝屋川市の史跡に指定されている
太秦高塚古墳から、バスの本数も少なかったので、学研都市線忍ケ丘駅まで歩いて戻ることとした。30分ぐらいだった。

この古墳は、歴史公園にするにあたり、平成13年に発掘調査が行われている。太秦高塚古墳の全長39m、円丘部直径37m、高さ7mの2段築造の円墳であり、周囲には幅7.5mの濠が巡らされている。

また、1段目の平坦な部分には円筒埴輪がくるりと古墳の周囲を配置されていたと考えられており、北西部に1か所造り出し作られている。発掘調査時には人物や水鳥などの埴輪が多く出土しており、この部分で祭祀が行われていたであろうことが想像できる。

墳頂には、埋葬施設があったことがわかるようにブロックが置かれている。

東側に偏っているので、もしかしたら、西側にもう一つ埋葬施設があったのかもしれないとのこと。発掘調査時は、短甲や鏃、鐙などの鉄器が出土している。築造は、5世紀の後半らしい。周辺にも古墳がいくつかあったらしいが、残っているのは、太秦高塚古墳だけのようだ。第2京阪道路の建設工事時にも、いくつか古墳が見つかっている。
この辺りは、太秦という地名、太秦古墳群と名づけられている群集墳がみつかっていること、高宮廃寺や太秦廃寺などかなり早い段階に作られた寺院跡もあることを考えると、古墳時代に、この地に渡来人の拠点が出来、ここで勢力を張っていたのかもしれないと想像することもできそうである。

この古墳の周辺は、すでに新興住宅地として大規模に開発されている。新たな発見は望めそうにない気がした。
ちなみに、太秦高塚古墳は寝屋川市の史跡に指定されている
太秦高塚古墳から、バスの本数も少なかったので、学研都市線忍ケ丘駅まで歩いて戻ることとした。30分ぐらいだった。
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