
先日、子どもの学校が代休だったので、子どもたちと子どもたちの友だちとで飛鳥にサイクリングをしに行った。
飛鳥駅の近くの飛鳥サイクルセンターにて自転車を借りて出発。
コースは欽明天皇陵・猿石~鬼の雪隠・俎~亀石~石舞台古墳公園~酒舟石~万葉文化館~伝飛鳥板蓋宮跡~飛鳥サイクルセンター
天気がよく気持ちのいいサイクリングとなりました。
ちょっと小学校中学年にはしんどかったかな。最後はへろへろな状態だったみたい。
万葉文化館で買ったパンフレットには、鬼の雪隠、俎古墳は、合葬墓ではないかとされています。何でも鬼の俎の部分、いわば石底の部分が近くにもう一つあったのだそうです。(現存しているかどうかはわからないですが)猪熊兼勝氏によると飛鳥にある牽牛子塚古墳に先行する形態の古墳ではないかとされています。また築造された時代を7世紀中~後期としています。すると現在宮内庁は欽明天皇陵の陪塚として管理しているがちょっと時代が合わなくなる。(欽明天皇は6世紀中ごろの人物)今後の研究で色々なことがわかってくるかもしれません。
写真は、鬼の雪隠のところにある展望台から欽明天皇陵を写したものです。途中にある小さな塚が金塚古墳か?
猿石も最近は、この近くに迎賓館を思わせる遺跡が発掘され、その遺跡との関連が言われています。そういう眼で見るとちょっと異国調な気もしますね。
亀石も寺院の礎石が未完成のまま放擲させたものではないかということですし、(確かに大阪にある西琳寺にある礎石をみるとそんな気がします。)飛鳥のなぞの石造物も徐々に解明されてきています。三つ目がとおるの写楽保介の出番はだんだんなくなってきましたね。それはそれでさびしいような。
万葉文化館、ほとんど人がいず、貸切状態でした。周りは飛鳥池遺跡ということでいろいろな工房が飛鳥時代たっていたところのようです。富本銭という最古(?)の貨幣も此処で造られました。周りにその遺跡が保存されています。そこで柿本人麻呂が歌った「東(ひむかし)の 野にかぎろいの 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ」という歌のビデオを上映していたのですが、見ていて、この歌は4首の一連の歌があって、草壁皇子がなくなって、長い間悲しんでいたが、今やそれに代わって息子の軽皇子が立派なお姿を見せているではないか。もう悲しまなくてもいいんだよ。そんなことを歌っているんではないかふと思ってしまいました。草壁皇子の鎮魂と再生の歌といえるような気がします。
子どもたちも市の姿を再現した人形などを楽しそうにみてました。実際に古代を再現した建物、人物の中に入れるのはいいですね。
あんまり時間がなかったので30分ほど駆け足で見てまわったのですが、時間があればもう少しじっくりと見てみたかったです。
最後は蘇我入鹿の首塚の前を通って、伝飛鳥板蓋宮跡へ。稲刈りは既に終わっていたのですが、途中コスモス畑などもあり、とても気持ちのいいサイクリングコースでした。
天気予報では途中雨が降るかもって行っていたんですが、一日中いい天気でよかったです。まだ紅葉には早かったですね。でも楽しい一日でした。
お友だちも喜んでくれていたみたい。
ちょっとしたエピソード。
石舞台古墳公園のおおきな舞台のところでお弁当を食べていたんですが、そこに住み着いているのか非常に人懐っこい猫が一匹。あんまり弁当をねだるので、から揚げやらウインナーやらあげてたんですが、弁当がなくなったのにまだおねだりをするので、猫に向かって空の弁当箱を振って「もうからっぽやで、○○ちゃん(娘の名前)」と言ってしまい。キョトンとする娘をよそに大爆笑でした。それからしばらくその猫は娘の名前で呼ばれてました。ハハハ。(苦笑い)
万葉文化館HP
http://www.manyo.jp/
飛鳥駅の近くの飛鳥サイクルセンターにて自転車を借りて出発。
コースは欽明天皇陵・猿石~鬼の雪隠・俎~亀石~石舞台古墳公園~酒舟石~万葉文化館~伝飛鳥板蓋宮跡~飛鳥サイクルセンター
天気がよく気持ちのいいサイクリングとなりました。
ちょっと小学校中学年にはしんどかったかな。最後はへろへろな状態だったみたい。
万葉文化館で買ったパンフレットには、鬼の雪隠、俎古墳は、合葬墓ではないかとされています。何でも鬼の俎の部分、いわば石底の部分が近くにもう一つあったのだそうです。(現存しているかどうかはわからないですが)猪熊兼勝氏によると飛鳥にある牽牛子塚古墳に先行する形態の古墳ではないかとされています。また築造された時代を7世紀中~後期としています。すると現在宮内庁は欽明天皇陵の陪塚として管理しているがちょっと時代が合わなくなる。(欽明天皇は6世紀中ごろの人物)今後の研究で色々なことがわかってくるかもしれません。
写真は、鬼の雪隠のところにある展望台から欽明天皇陵を写したものです。途中にある小さな塚が金塚古墳か?
猿石も最近は、この近くに迎賓館を思わせる遺跡が発掘され、その遺跡との関連が言われています。そういう眼で見るとちょっと異国調な気もしますね。
亀石も寺院の礎石が未完成のまま放擲させたものではないかということですし、(確かに大阪にある西琳寺にある礎石をみるとそんな気がします。)飛鳥のなぞの石造物も徐々に解明されてきています。三つ目がとおるの写楽保介の出番はだんだんなくなってきましたね。それはそれでさびしいような。
万葉文化館、ほとんど人がいず、貸切状態でした。周りは飛鳥池遺跡ということでいろいろな工房が飛鳥時代たっていたところのようです。富本銭という最古(?)の貨幣も此処で造られました。周りにその遺跡が保存されています。そこで柿本人麻呂が歌った「東(ひむかし)の 野にかぎろいの 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ」という歌のビデオを上映していたのですが、見ていて、この歌は4首の一連の歌があって、草壁皇子がなくなって、長い間悲しんでいたが、今やそれに代わって息子の軽皇子が立派なお姿を見せているではないか。もう悲しまなくてもいいんだよ。そんなことを歌っているんではないかふと思ってしまいました。草壁皇子の鎮魂と再生の歌といえるような気がします。
子どもたちも市の姿を再現した人形などを楽しそうにみてました。実際に古代を再現した建物、人物の中に入れるのはいいですね。
あんまり時間がなかったので30分ほど駆け足で見てまわったのですが、時間があればもう少しじっくりと見てみたかったです。
最後は蘇我入鹿の首塚の前を通って、伝飛鳥板蓋宮跡へ。稲刈りは既に終わっていたのですが、途中コスモス畑などもあり、とても気持ちのいいサイクリングコースでした。
天気予報では途中雨が降るかもって行っていたんですが、一日中いい天気でよかったです。まだ紅葉には早かったですね。でも楽しい一日でした。
お友だちも喜んでくれていたみたい。
ちょっとしたエピソード。
石舞台古墳公園のおおきな舞台のところでお弁当を食べていたんですが、そこに住み着いているのか非常に人懐っこい猫が一匹。あんまり弁当をねだるので、から揚げやらウインナーやらあげてたんですが、弁当がなくなったのにまだおねだりをするので、猫に向かって空の弁当箱を振って「もうからっぽやで、○○ちゃん(娘の名前)」と言ってしまい。キョトンとする娘をよそに大爆笑でした。それからしばらくその猫は娘の名前で呼ばれてました。ハハハ。(苦笑い)
万葉文化館HP
http://www.manyo.jp/
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