星 新一 ~1001話をつくった人~
最相葉月著 新潮社
SF作家星新一の伝記である。以前から近くにある書店の棚に並んでおり、ずっと気になっていたところ、BOOKOFFで売っているところを見つけて早速購入し、550ページに及ぶ大著にかかわらず一気に読了。最近では新書一冊読むのに閉口している僕には珍しいことである。
星新一の本との出会いは、中学校3年生の時だと思う。それまであんまり本を読まなかったのだが、中3になって、北杜夫や筒井康隆の本を偶然読み、そこから受験勉強をそっちのけで無類の読書家となっていった。その時に「ボッコちゃん」や「ようこそ地球さん」を読み、そこから急速にSF小説にはまっていくことになる。その後は、筒井康隆、星新一はもちろんのこと、豊田有恒や平井和正などを読み漁るようになった。ただ小松左京だけはあんまり読まなかった。何かしら僕の感性に合わなかったようだ。
もともと理科系が好きということもあったのだがどんどんとはまり、高1のときお年玉で幻魔大戦を一気に全巻揃えた記憶がある。また日本のSFに飽き足らず次第に海外のSFなどにも手を出すようになっていた。その頃のお気に入りはクリフォード・シマックやアイザック・アシモフだったような気がする。
そんな中、星新一である。文庫本で新刊が出ると必ず買っていたし、文庫本はすべて持っていたと思う。ただ、高校時代であれば、中心はかんべむさしや山田正紀などが中心であって、星新一のもっと軽いものであった。勉強の合間の息抜きとして、気分転換のため星新一のショートショートを好んで読んでいたように思う。いわばおやつのような存在であったかも。
ただ高校を卒業して大学に入ると、しばらくして読まないようになっていました。大学に入るとむしろ新書御三家が読む本の中心になっていたような気がします。
星新一の生涯を語る上で欠かせないのが、星製薬の件になるのだが、高校時代、その星製薬と官僚とのいざこざを書いた「人民は弱し、官吏は強し」を読んだあと絶対に役人にはならんと決意したのに、いつの間にか地方公務員になってるんだから不思議だよなあ。ただ星新一の感性から僕が学んだところは、これは北杜夫にも共通しているところかもしれないが、世間の俗っぽいところからは離れたところにいたいと言う部分はある。自分自身が政治向きな活動は苦手なところもあり、そういうところからは超然としていたいという欲求がある。でも野次馬根性もある。そういうところか。
星新一について、アイデアは秀逸で、ぐっと来るのだが、後に残ることが少ない。それは、感情や情景などを省いた無機質な文章であることから来る事かも知れない。本書にも書かれているが、意外と覚えている話は少ない。「鍵」「おーい、でてこーい」「殺人者ですのよ」「悲しむべきこと」「ゆきとどいた生活」「デラックスな金庫」などは今でも覚えている。そして割と初期の頃が多い。まだSF黎明期の時代であり、作者のテンションも高かったのかな。中期・後期はあんまり。偉大なるマンネリズムなる由縁なのかもしれないですね。
「声の網」について、本書でもインターネット社会の予言と言う形で再評価をしていたが、僕も初めてよんだ時、来るべき情報化社会への警告と受け取った記憶がある。しかし星新一の本をよく読んだなあと思いながら、ふと娘の本棚を見ると「ボッコちゃん」「おーい でてこーい」と言った書名が並んでいる。親子2代で同じ本を読んでいる。これが星新一のすごいところなのかもしれない。
僕も高校時代、古代史SFや伝奇SF、ハチャハチャやドタバタSF、タイムマシン、時間旅行などいろいろな分野のSFを読んでいたなあ。懐かしい気分。ただその影では、作者はもがいていたんだなあと思う。そのことに比べるとSF業界も静かになった気がする。かつて筒井康隆が「SFの浸透と拡散」と言う言葉を述べていたが、それが現実となり、もはや一般の小説世界の中に溶け込んでしまい、特別視する必要がなくなったからかもしれない。
それから20年も立ち、僕のいっぱしの大人になった。(おっきい子どもかもしれないですが・・・。)ただもしできるなら、1回だけタイムマシンに乗ってやり直したいことがある。それ以外は特に後悔もなにもないのだが。
最相葉月著 新潮社
SF作家星新一の伝記である。以前から近くにある書店の棚に並んでおり、ずっと気になっていたところ、BOOKOFFで売っているところを見つけて早速購入し、550ページに及ぶ大著にかかわらず一気に読了。最近では新書一冊読むのに閉口している僕には珍しいことである。
星新一の本との出会いは、中学校3年生の時だと思う。それまであんまり本を読まなかったのだが、中3になって、北杜夫や筒井康隆の本を偶然読み、そこから受験勉強をそっちのけで無類の読書家となっていった。その時に「ボッコちゃん」や「ようこそ地球さん」を読み、そこから急速にSF小説にはまっていくことになる。その後は、筒井康隆、星新一はもちろんのこと、豊田有恒や平井和正などを読み漁るようになった。ただ小松左京だけはあんまり読まなかった。何かしら僕の感性に合わなかったようだ。
もともと理科系が好きということもあったのだがどんどんとはまり、高1のときお年玉で幻魔大戦を一気に全巻揃えた記憶がある。また日本のSFに飽き足らず次第に海外のSFなどにも手を出すようになっていた。その頃のお気に入りはクリフォード・シマックやアイザック・アシモフだったような気がする。
そんな中、星新一である。文庫本で新刊が出ると必ず買っていたし、文庫本はすべて持っていたと思う。ただ、高校時代であれば、中心はかんべむさしや山田正紀などが中心であって、星新一のもっと軽いものであった。勉強の合間の息抜きとして、気分転換のため星新一のショートショートを好んで読んでいたように思う。いわばおやつのような存在であったかも。
ただ高校を卒業して大学に入ると、しばらくして読まないようになっていました。大学に入るとむしろ新書御三家が読む本の中心になっていたような気がします。
星新一の生涯を語る上で欠かせないのが、星製薬の件になるのだが、高校時代、その星製薬と官僚とのいざこざを書いた「人民は弱し、官吏は強し」を読んだあと絶対に役人にはならんと決意したのに、いつの間にか地方公務員になってるんだから不思議だよなあ。ただ星新一の感性から僕が学んだところは、これは北杜夫にも共通しているところかもしれないが、世間の俗っぽいところからは離れたところにいたいと言う部分はある。自分自身が政治向きな活動は苦手なところもあり、そういうところからは超然としていたいという欲求がある。でも野次馬根性もある。そういうところか。
星新一について、アイデアは秀逸で、ぐっと来るのだが、後に残ることが少ない。それは、感情や情景などを省いた無機質な文章であることから来る事かも知れない。本書にも書かれているが、意外と覚えている話は少ない。「鍵」「おーい、でてこーい」「殺人者ですのよ」「悲しむべきこと」「ゆきとどいた生活」「デラックスな金庫」などは今でも覚えている。そして割と初期の頃が多い。まだSF黎明期の時代であり、作者のテンションも高かったのかな。中期・後期はあんまり。偉大なるマンネリズムなる由縁なのかもしれないですね。
「声の網」について、本書でもインターネット社会の予言と言う形で再評価をしていたが、僕も初めてよんだ時、来るべき情報化社会への警告と受け取った記憶がある。しかし星新一の本をよく読んだなあと思いながら、ふと娘の本棚を見ると「ボッコちゃん」「おーい でてこーい」と言った書名が並んでいる。親子2代で同じ本を読んでいる。これが星新一のすごいところなのかもしれない。
僕も高校時代、古代史SFや伝奇SF、ハチャハチャやドタバタSF、タイムマシン、時間旅行などいろいろな分野のSFを読んでいたなあ。懐かしい気分。ただその影では、作者はもがいていたんだなあと思う。そのことに比べるとSF業界も静かになった気がする。かつて筒井康隆が「SFの浸透と拡散」と言う言葉を述べていたが、それが現実となり、もはや一般の小説世界の中に溶け込んでしまい、特別視する必要がなくなったからかもしれない。
それから20年も立ち、僕のいっぱしの大人になった。(おっきい子どもかもしれないですが・・・。)ただもしできるなら、1回だけタイムマシンに乗ってやり直したいことがある。それ以外は特に後悔もなにもないのだが。
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