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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

古市古墳群を歩く(藤井寺市編) ⑧ ~市野山古墳、宮の南塚古墳、長持山古墳石棺~

2015-10-19 00:03:32 | 史跡を歩く
 鍋塚古墳から、近鉄南大阪線をまたいで、府道堺大和高田線を渡って、旧外環状線を北へ向かって歩いていくと、左手に市野山古墳が見えてくる。旧外環状線沿いに駐車場があり、そこから、拝所に向かうことになる。この古墳は、僕にとってなじみ深い古墳で、小学校の時から、友達と自転車で遠出をする時、この古墳が中間の目標地点になっていて、ここから、さらに南に向かって走っていくというルートをいつも取っていた。僕の古墳等への興味というのは、こういうところから始まっていたと思う。それから、40年よくまあ飽きないものだ。

 

 さて、市野山古墳である。この古墳は、宮内庁により、倭の五王の一人、済にあたると言われる允恭天皇陵に治定されている。そのため、墳丘に立ち入ることはできない。ただ、古墳の周辺をぐるりと一周することができるので墳丘の観察はしやすい古墳である。

 

 市野山古墳については、墳丘の全長は230m、前方部幅160m、後円部径140mで現在濠は一重になっているが、発掘調査などから、本来は二重濠であったと考えられている。航空写真を見てもその痕跡はくっきりと残っている。築造されたのは、5世紀の後半というか中葉に近い時代だと考えられている。こうなると、実は、允恭天皇にあたるのではないかと考えられている倭王済の活動時期をバッチリと重なってくるのである。
 倭王済が史書に現れるのは443年、宋・文帝に朝献して、安東将軍倭国王という称号を受ける。そして、451年には、再度宋に使いを送り、今度は安東大将軍の称号をもらっている。その後、462年には世子興が使いを送っていることから、それまでには亡くなっていると思われる。つまり、市野山古墳の築造年代と倭王済と考えられる允恭天皇の実在年代がほぼ一致する考えられそうである。

 市野山古墳の濠は、現在ほぼ西側の濠は空濠になっている。宮内庁の人はつけたのかな細い一本の道が墳丘に続いている。東側は、前方部にわずかに水が溜まっている。

 

 ちなみに、市野山古墳は、古市古墳群では、4番目の大きさ、日本全体でも19番目の巨大古墳である。

 

 市野山古墳をぐるりと一周してみると、東側の後円部の近くに国府八幡神社があり、その横に、允恭天皇の陪冢に治定されている宮の南塚古墳がある。

 

 市野山古墳には、10基ほどの陪冢が過去あったが、現在、残っているのは允恭天皇の陪冢となっている宮の南塚古墳、衣縫塚古墳、八王子塚古墳の3つである。(ただし、八王子塚古墳古墳については、古墳ではないではないかと考えられている。)このうち、宮の南塚古墳については、直径40mの円墳であると考えられている。

 

 衣縫塚古墳については、今回見つけることができず、今後の楽しみということにしておこう。

 市野山古墳を一周して元に戻ると、道を挟んで向かいに道明寺小学校がある。ここの校門の前の東屋に、もともとは、この辺りにあった長持山古墳から出土した家型石棺二基が復元保存されている。長持山古墳については、市野山古墳の陪冢と考えられ、直径40mの円墳であったが、戦後間もないころの土取り工事で消滅してしまった古墳である。

 

 もともと、向かって右側の2号棺の方が古くから知られており、明治時代、すでにウイリアム・ゴーランドにより紹介されていたそうだ。1号棺の方が主たる埋葬施設であると考えられている。
 この2つの石棺であるが、形状がかなり異なっており、造られた時代が少し違うようだ。

 

 縄掛け突起の形が完全に違っており、1号館の方が、この時代よりも少し前に作られた長持型石棺の突起とよく似ている。

 

 2号棺の方が、全体的にのっぺりとしているし、縄掛け突起の位置も形も異なっている。むしろこの後の時代の家型石棺に繋がっているように感じる。実際に1号館の方が5世紀の後半、2号棺の方が6世紀の前半と考えられている。
 これだけのものを、実際に目の前で見ることができるのは珍しいのではないだろうか。大切にして欲しいと思う

 この古市古墳群を歩く(藤井寺市編)シリーズも今回で、いったん終了。ただし、見残している古墳はまだまだあるので、古市古墳群を歩くはこれからも続きますね。ここまできたら全古墳制覇をめざしましょう。

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