休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

「うどんの国」高松・屋島の旅③ ~屋島城跡~

2018-09-03 23:38:16 | 史跡を歩く
 屋島寺から屋島城跡までは、雑木林の中の一本道を歩いていく。この日は夏真っ盛り(異常気象という話もある・・・。)蝉の声がずっと聞こえる。ただ、大阪では、最近はアブラゼミが全盛で、ジージーと一層暑さを増すような鳴き声なのだが、ミンミンゼミやカナカナではないのかなと思うセミの声であった。アブラゼミに比べるとまだ、うっとおしさはマシかなと思ったりする。

 

 10分ほど、ぶらぶら歩くと、途中、屋島城跡という小さな標識を見つける。その時、急に目の前に視界が広がる。その瞬間は、思わずうわっと声が出るほどの絶景であった。

 

 そして、その足下に屋島城の城門跡が見えてくる。

 

 屋島城は、やしまのきとも読み、古代、飛鳥時代の後半、朝鮮半島の百済救出を図るために出兵した白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた倭(当時はまnだ、日本じゃなかった。)が、唐や新羅の侵攻に備えて、667年、大和国高安城、対馬国金田城と同時に築かれた山城の一つである。なお、屋島城については、文献には出てくるが、城跡が明確ではなかったが、平成11年に発掘調査により、城門の存在が確認され、平成28年に復元工事が終了し、一般公開がされるようになった。

 僕も、飛鳥時代の山城というのは、初めて見たのだが、その威容は圧倒的である。日本の古代遺跡の中で、石で築かれた遺構ってあんまりない気がする。

 

 石垣の高さは、6mを超え、7mに及ぶところもあるという。近世の城郭と違い、地形に合わせているので直線的ではなく、くねくねと曲がりくねっている。これは、古代の朝鮮式山城の特徴でもあるらしい。

 

 城門は縣門と呼ばれるものであり、城門の入り口にわざと2,5mほどの石積みの段差を設けており、普段ははしごをかけて出入りをし、敵が攻めて来ればはしごを外して、外部から侵入ができないようにしている。

 

 どうもわかりにくい写真だなあ。

 

 城門を入ると、岩盤が迫り立つように行く手を阻んでおり、北側へ進むしかないようになっており、そうした敵を横から矢で射かけられるようになっている。甕城(おうじょう)と呼ばれる仕組みだそうだ。

 

 城門の下の部分にある排水溝の出口。城内の水が暗渠となっている排水溝を通って、ここから流れ出ることになっている。

 屋島城の遺構は、まだ、他にもあると思われ、城門もここだけではなく、他の場所にもあると考えられている。まだ、城の内部の施設についてはまだまだ明らかになっていない。日本書紀というの文献から築かれた時期ははっきりしているのだが、いつ廃止されたのかはまだ分かっていない。しかしまあ、一体どこからこれだけの石を持ってきたんだろう。
 古くから屋島が、瀬戸内海の海上交通の要衝だったということはわかる。

 

 屋島城跡についても、下から上がってくることができるようで、何人か汗をかきかきしながら登っていた。おお、今回は、「うどんの国」の聖地巡礼とは関係はなかったが、考古学好きの僕にとっては、これも聖地巡礼ではあるな。(笑)

 このあと、いったん、屋島寺に戻って、さらに獅子の霊巌に向かうことにした。

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