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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の万葉歌碑⑱ ~高松塚古墳周辺公園~

2020-12-06 23:01:24 | 文学をたどる

 中尾山古墳の発掘調査の公開があったので、調査現場の見学と同時に、近くにある高松塚古墳も見て回ることにした。昔、初めて飛鳥を訪れた時は、まだ、高松塚古墳周辺は公園として整備されている途中で、周辺は田んぼばかりで、古墳に行くのも、万葉歌碑がある小丘の前の道を南からミカン畑を通って入っていったような記憶がある。

 その頃は、高松塚古墳も現在のような、シルクハットのような姿ではなく、竹藪の中にこんもりと盛り上がっている小さな塚のような姿だった。

 それから、すでに40年ほどの時間が経過し、周辺の様子も、古墳自体大きく形を変えてしまった。

 

 高松塚古墳も、初めてこの復元された姿を見た時は、一瞬、我が目を疑ったが、この姿になってからも何度も訪れている内に目が慣れてきたのか、何となく馴染んできた感もあったりするのが不思議である。

 さて、件の万葉歌碑に話を戻そう。高松塚古墳に向かってちょうど南にある小さい丘の上に歌碑が置かれている。ここはちょっとした展望台になっている。

 

 こんな感じである。

 万葉歌碑は、この丘の西端に置かれている。

 

 歌碑には、万葉学者犬養孝氏の揮毫で、「立ちて思ひ 居てもそ念ふ くれなゐの 赤裳裾引き 去りにし姿を」という歌を万葉仮名で記されている。ちなみに作者は未詳である。

 歌意としては、立っても思い、座っても思う、紅の赤い裳の裾を引いて去って行ったあの人の姿をということになる。歌われている内容は、現代にも通じると思う。好きな人の姿というのは、どんな状況でも、瞼の裏に出てくるものだからね。

 ちなみに裳は、女性が腰から下に着けた衣服だそうで、赤い服の裾がちらりと見えたというとちょっと悩ましい歌にもなるなあ。

 

 ただ、なぜ、この場所にこの歌碑があるかというと、やっぱり高松塚古墳の壁画の女子群像がイメージされるからであろう。

 

 飛鳥美人も、色とりどりの裳をつけておられます。

 ちなみに、高松塚古墳の壁画の複製は、近くの高松塚古墳壁画館か飛鳥資料館で見ることができる。

 

 ここも何回となく通った場所である。


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