あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

善意というもの。

2014-04-18 | 日記
ある日、僕はクィーンズタウンの街中で人を待ちながらぼんやりと車の流れを眺めていた。
夕方に差し掛かる頃で、まだラッシュアワーではないが車の量が増え始める時間帯である。
一台のレンタカーが車道を横切ろうとする人に道を譲った。
見ているとその車は、その先でも又その先でも道を譲っていった。
当然ながら交通は滞ったが、その人はお構い無しなのかよっぽどのお人よしなのか歩行者に譲りながら進んでいった。
こういう善意が困る。
部分的に見れば道を譲ることは悪いわけではないが、大局で見ればそのことによってそこにさしかかる交差点もその先の道も混んでしまう。
ニュージーランドでは横断歩道では歩行者が絶対的に優先だが、車道では車が優先だ。
僕も前が詰まっている時に歩行者を渡らせてあげることはあるが、車がスムースに流れている時には横断歩道以外では道を譲らない。
また横断歩道で渡らずに車に道を譲る歩行者も困りものだ。
もっとひどい例をあげればラウンドアバウトというロータリーの中で道を譲っている車を見た。
その時にはさすがに他の車にクラクションを鳴らされていた。
道を譲るうんぬんの前にどちらが優先でどちらが待つという交通のシステムを理解するべきである。

こういった善意という物はたちが悪く、時には善意そのものが権力者によって利用されることもある。
環境保護や動物愛護の裏には操作された善意がある。
地球温暖化が叫ばれて久しいが、本当のところはどうなのだろう。
たしかに僕が知る限りでも雪の量は減ったし氷河は小さくなった。
だがあるスパンをとれば温暖化なのだが、そのスパンを変えれば地球は寒冷化に向かっているとも言える。
実際にイランやタイなど今までに雪など降ったことのないような場所で今年降雪が記録された。
温暖化という言葉で善意は操られている。
ちなみに御用学者の言葉では、原発も温暖化の役立っているのだそうな。ふーん・・・。
原発が悪い電力会社が悪い、と善意の人は言うだろう。
そこに矛先を向け続けていても何も始まらない。
確かにそれらが悪いのは分かったから、今自分に出来る事をやるべきだろう。
反戦運動も似ている。
戦争はいけないこと、確かにそうだがそれをもとに善意は利用されている。
『戦争は悲惨なものでこの世から戦争をなくしていかなければいけません。』というような作文を書けば学校では良い点をもらうだろう。
『誰もが皆仲良く暮らしていく世の中でありますように』と書けば、そのためには戦争をやめなければならないね、戦争は悲惨なものだから、という所へ持っていく人もいるかもしれない。
その戦争を作っている人は表には出てこない。
裏で操っている人は『戦争はいけないもの』という善意を刷り込む。
善意に満ちた反戦運動者が矛先を向けているのは操り人形なのだ。
平和になる過程で自然と戦争がなくなるのが筋なのだが、戦争をやめるという所に焦点を当てているので戦争はなくならない。
いまこの争いだらけの世の中を作っているのは、人々の集合意識なのかもしれないな。

物事をミクロで見るかマクロで見るか、その立ち位置でどのようにも取れる。
人に優しくしているはずの善意が、実はその人をダメにしていることもよくある話だ。
目先の善意に囚われず物事の芯を見据え、そして自分の足元に戻り行動する。
芯を見極めても行動をしなかったらなんにもならない。
行動ありき。
そしてまた大局に戻る。
この繰り返しなんだろうな、きっと。
コメント
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