あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

老人よ、海に向かって走れ。

2014-04-22 | 日記
もう2年前ぐらいになるか、そのツアーは5日ぐらいの仕事で、ツアーが進むにしたがってお客さんとも仲良くなり、その晩はあるホテルで夕食をともにした。
ワインが好きなお客さんで、僕もほろ酔いで話が弾んだ。
いつのまにか話題は震災のこととなり、僕は友達が不思議な声を聞いた話をした。
地震の直後くらいか、東北訛りで「あいつも家族全員死んで一人になっちまってな」「いっそのこと、あの時に死んじまったほうが楽だったろうに」「んだんだ」とまあ、そんな会話が東北弁で聞こえたそうな。
そのお客さんはそれを聞いてこう言った。
「せやせや、そんな状況になったら生きていく方がつらいんや。わしは津波が来たらこう言いたいで、老人達よ!逃げるな!70歳以上は海に向かって走れ!」
その人は70を越える人で職業はお医者さん。
大阪人独特の毒を笑いにできる人で、医者だけに数々の死というものを見てきたのだろう。
そしてそういう状況になったらこの人は本当にやるのだろう、そんな目をした素敵なお爺さんだった。
だからこのセリフが言える。
若造の僕には言えない。
僕はそれを聞いてあるイメージが湧き、大爆笑してしまった。
それは病院などでチューブにつながれた寝たきり老人や、足腰がおぼつかないお爺さんお婆さんが、津波が来ると同時にしゃきっとしてみんなで元気に海に向かって走っていく。
ドリフのコントのようなノリで、BGMはコントが終わり歌謡曲になる間のあの曲。
子供や孫達に笑顔で別れを告げながら、皆楽しそうに海に向かって走り、津波にのまれどかーんとあの世へ旅立つというイメージだ。

誰のところにもやってくる死。
この死というものを人は曲解している。
死とは恐ろしく、忌み嫌うものであり、不吉で、縁起でもないもの。
全ての終わりであり、死ぬ事はとにもかくにも避けなければならないもの。
自分の所に必ず来る事は頭で理解していながら、できるだけその事に触れたくなく、そのことについては先送りしたいこと。
まあこんなところか。
だから人が死ねば「可哀そうに」と言う。
僕の考えは正反対だ。
死とは元いた場所へ戻ることで、そこには痛みも苦しみもない。
明るく愛に満ちた世界で、先祖や家族とは常に繋がっている。
そこにある程度いると魂はさらなる向上を求め、自ら苦境を選びこの世に再び生まれる。
この世に生まれた時にはその事をすっかり忘れて生まれてくる。
その繰り返しなのだ。
なので僕の考えは死とはおめでたいことで祝福されることなのだ。
可哀そうなのは死んでしまった人ではなく、残された人だ。

こういう話をすると極論が好きな人はこう言う。
「そんなこと言ったらお医者さんとか救急の現場で人を助ける人の立場がなくなるじゃないか!」
だいたいそういう声をあげるのは医者とか救急の現場にいない外野だ。
僕だってスキーパトロールという救急の現場にいたし、山で目の前で母を亡くした経験がある。
今でも雪崩のレスキューの道具は常に持って滑っている。
その場にいたら、生きるか死ぬかという人を全力で助けようとするだろう。
それが人間だ。
だがどうあがいても、どうしようもない時もある。
人は死ぬ時は死ぬ。
逆に死なない時というのは何をしても死なないものだ。
パトロールをやっていた頃、外れたスキーのエッジで頚動脈の2cm横を切った人を見た。
本人は気づいていないようだったがギリギリの所で命を拾った。
別の人は立ち木にぶつかり腹を押さえていた所を助けたが、その後病院で亡くなった話を聞いた。
友達のサダオは落石が自分の所へ一直線に転がってくるのを見て足がすくんで動けず、わずか数m手前で石のコースが外れ自分のすぐ横を石が落ちていったそうな。
トーマスも若い頃、何十mか滑落してバックパックが緩衝材となって命を拾った。
僕も雪崩に巻き込まれそうになったり、機械に巻き込まれたりしながらも生きている。
人間は皆、生かされている。
自然の中で人は無力だと知りながら、自分が出来ることをする。
命を粗末にするのと寿命をまっとうするのを一緒にしてはいけない。

死ぬには死ぬ意味があり、同じくらい生きるのに生きる意味がある。
死から目を背けず生きている今という瞬間を大切にするのだ。
若死には可哀そうか?長生きは幸せか?
平均寿命が高くなることは良い事なのか?
平均寿命と健康寿命の違いが分かるか?
人がこの世に生まれ、やるべき事をやり終えた時に終焉の時を迎える。
若くしてその時が来る人がいれば、長生きをして老いてからやる事がある人もいる。
千差万別、その平均を出しても仕方がなかろうに。
今の世は死というものを必要以上に恐れ、生に執着をしているので色々な問題が出る。
意識が無く老衰で死ぬような老人でも、家族が延命医療を望むのでチューブに繋がれたままただ生きている。
そんな人が世の中にどのくらいいるか。
そんなエネルギー、お金とか薬とか人の労働とかのエネルギーを子供の医療とか緊急医療に回せばどれだけの人が助かるか。
それを知った上での海へ向かって走れという言葉だったのだろう。
今や地球の浄化は始まり大地震は世界のあちこちで起きている。
地震だけでなく火山や地割れ異常気象など、今までに起きた事の無い場所で事が起きている。
この先の地球は本当にどうなるか分からない。
今、傲慢を許してもらえるのならば、自分が老人になった時にはこう言いたい。
老人よ津波が来たら海へ向かって走れ、火山が爆発したら山へ向かって走れ。
生の執着を捨て去り、仏となって子孫を護れ。
それが今まで続いてきた人間の在り方だから。

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2 コメント

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Unknown ()
2014-04-22 21:52:19
オレも御岳山100m滑落から丁度一年。
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川柳 ()
2014-04-23 02:53:20


その話はササキコージから聞いたよ。
お主も生かされているのお。
そんなあなたに川柳をいくつか。


滑落し 大事な仕事に 穴を開け

一年後 笑い話に なりにけり

ネットでも 繋がる喜び 我が友よ
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