3月11日、日本の震災から1年。
この日はクライストチャーチでJapanDayという日本のお祭りがあった。
クライストチャーチに住む日本人がニュージーランドで日本の文化を紹介する目的で起こしたお祭りである。
さらにクライストチャーチ、そして日本という二つの場所で起きた地震による災害から復興する意味をも含んでいる。
オークランドでは何年も前からこういう催しがあるそうだが、クライストチャーチでは今回が初めてである。
みんなの気合の入れ方には並々ならぬものがあった。
祭りではとにかく日本らしいものを。
書道の体験、生け花の実演、着物のファッションショーといったもの。
ステージでは太鼓クラブの実演、子供達の日本舞踊、日本人コーラス隊の唄、若手バンドなどなど。
出店は食べ物各種、ヨーヨーすくい、くじ引きなど縁日らしい出店も出た。
とにかく日本色満載、盛りだくさんの日である。
その祭りにボクも出店を出すことにした。
ボクのブースではネルソンに住む友人ゴーティーと一緒にヤツが作る味噌、そしてボクが作る石鹸、女房が作る羊の人形などである。
段取り八分現場二分、という言葉どおり、こういった催しでは段取りが大切である。
祭りの実行委員達ははたから見ても大変そうだった。
なんといっても前例がない。
「去年はこうだったね、今年もそうやろう」というものがない。
そして自分達がその前例となるのである。
これはプレッシャーもかかるだろう。
そして人間が集まるのだから、色々な思惑があり人間関係特有のどろどろしたものもあるだろう。
だが、そういったネガティブな面をはねのけ、それこそみんなが一つとなりこの祭りを開いた。
大変なのは大人だけではない。子供だって大変なのだ。
家の娘は日本舞踊をやることになり、毎週日本語補習校の後、他の子供と一緒に踊りの練習をした。
子供だけではなくお母さん方も付き添い練習である。
衣装だって浴衣を着るのだが、髪飾りのリボンは女房が全員分手作りで用意した。
『自分ができること』をみんながやり、祭りの準備が仕上がっていく。
祭り当日、ボクは朝6時過ぎに会場へ行きテント設営を手伝った。
ボクは段取りは苦手だがこういった現場仕事は得意である。
暗い中の作業になるのでヘッドライトも持参。
小雨の降る中、会場作りをしたのだがこの雨は止むだろうと思っていた。
ボクは自分で言うのもなんだが強烈な晴れ男である。
ガイドをしていても行くとこ行くとこ晴れる。
山歩きの仕事の時など、大雨の予報だが歩いている時はカッパを着ないで歩き、歩き終わったとたんに大雨になるということがよくある。
予報が曇りの時には晴れてしまう。
それぐらいの晴れ男だ。
イメージの持ち方でも書いたがこういう時は「雨が降らないといいな」ではなく「晴れるといいな」とイメージを持つのだ。
案の定、テントを張り終え、人が集まり始めた頃には雨は上がった。
そして自分の出店の準備である。
ゴーティーも味噌をどっさり持ってやってきた。
同僚のMが習字が得意なので半紙に何枚か書いてもらったものを貼る。
そして持参ののぼりも立てる。
『船橋隠密忍者組織』誰も訳が分からないだろうが、お祭りなのだからこれでよし。
そして石鹸や羊を並べて準備OK。
あとは女房に任せ、僕は一度抜けて空港へ仕事に行った。
空港出迎えの仕事は1時間ほどで終わり、ボクは祭りの現場に戻った。
今日はとにかく日本らしくというのがテーマなので、ボクも作務衣を着た。
浴衣や法被を着た人は結構いたが作務衣を着ている人はボクぐらいだ。
これはなかなか好評で「陶芸家みたいだ」とか「ワイルドっぽくて良い」など数々のお褒めの言葉をいただいた。
ありがたやありがたや。
作務衣というものを広辞苑で調べると『禅寺で禅僧が行う農作業・掃除などの労働着』とある。
坊主頭で自称『生臭坊主』のボクにはピッタリである。
ついでに生臭坊主も調べてみた。
肉食をする僧。戒律を守らない僧。不品行な僧。とある。
やはりこれもピッタリだな。
さて屋台である。
どの出店も食べ物の店は長蛇の列。お店の人は忙しそうだ。
ボクの店のお隣さんはタイヤキ屋さんなのだが、ここも行列が並び忙しい。
その行列はボクの店の前へ続き、時折り列に並ぶ人が石鹸の匂いを嗅ぐ。
石鹸の売れ行きはパラパラ程度で、正直ヒマである。
なので店をゴーティーに任せてフラフラと祭りの催しを見に行く。
数メートルごとに知り合いに声をかけられなかなか進まない。
普段良く会う友達から、とんとご無沙汰になっている人まで、まとめてこの機会に挨拶をしておく。
そうしているうちに娘の出番になった。
娘は他のちびっ子達と一緒に日本舞踊をやる。
この日のために毎週練習をしてきた。晴れ舞台である。
練習の甲斐あって子供達全員動きも揃った。
親の欲目を抜きにしても良い出来である。
午後も深まり、祭りも終盤。
ボクの出店の前にはタイヤキ屋の行列が相変わらず並び、ボクはボクで相変わらずあまりやる気がない。
ボクは娘とその友達達に言った。
「お前達、その辺を歩き回って石鹸を売って来い。売れたらそれを小遣いにあげるぞ」
石鹸を子供達に押し付け、親父は再びフラフラと会場を歩き、知り合いと無駄話をする。
そうしているうちに祭りもお開き。
ボクの石鹸も子供達のおかげで完売。約束どおり小遣いをあげた。
ゴーティーの味噌もなかなかの売れ行きでなにより良い宣伝になったことだろう。
自分にできること。これをいつも考えながら生きているのだが、この日も自分なりに満足のいく一日だった。
祭りが終わるのを待っていたかのように夕方に雨が降り始めた。
天の神も味方してくれた。ありがたやありがたや。
そしてボクは祭りに参加した全ての人にエールを送りたい。
お疲れ様でした。
押忍。
この日はクライストチャーチでJapanDayという日本のお祭りがあった。
クライストチャーチに住む日本人がニュージーランドで日本の文化を紹介する目的で起こしたお祭りである。
さらにクライストチャーチ、そして日本という二つの場所で起きた地震による災害から復興する意味をも含んでいる。
オークランドでは何年も前からこういう催しがあるそうだが、クライストチャーチでは今回が初めてである。
みんなの気合の入れ方には並々ならぬものがあった。
祭りではとにかく日本らしいものを。
書道の体験、生け花の実演、着物のファッションショーといったもの。
ステージでは太鼓クラブの実演、子供達の日本舞踊、日本人コーラス隊の唄、若手バンドなどなど。
出店は食べ物各種、ヨーヨーすくい、くじ引きなど縁日らしい出店も出た。
とにかく日本色満載、盛りだくさんの日である。
その祭りにボクも出店を出すことにした。
ボクのブースではネルソンに住む友人ゴーティーと一緒にヤツが作る味噌、そしてボクが作る石鹸、女房が作る羊の人形などである。
段取り八分現場二分、という言葉どおり、こういった催しでは段取りが大切である。
祭りの実行委員達ははたから見ても大変そうだった。
なんといっても前例がない。
「去年はこうだったね、今年もそうやろう」というものがない。
そして自分達がその前例となるのである。
これはプレッシャーもかかるだろう。
そして人間が集まるのだから、色々な思惑があり人間関係特有のどろどろしたものもあるだろう。
だが、そういったネガティブな面をはねのけ、それこそみんなが一つとなりこの祭りを開いた。
大変なのは大人だけではない。子供だって大変なのだ。
家の娘は日本舞踊をやることになり、毎週日本語補習校の後、他の子供と一緒に踊りの練習をした。
子供だけではなくお母さん方も付き添い練習である。
衣装だって浴衣を着るのだが、髪飾りのリボンは女房が全員分手作りで用意した。
『自分ができること』をみんながやり、祭りの準備が仕上がっていく。
祭り当日、ボクは朝6時過ぎに会場へ行きテント設営を手伝った。
ボクは段取りは苦手だがこういった現場仕事は得意である。
暗い中の作業になるのでヘッドライトも持参。
小雨の降る中、会場作りをしたのだがこの雨は止むだろうと思っていた。
ボクは自分で言うのもなんだが強烈な晴れ男である。
ガイドをしていても行くとこ行くとこ晴れる。
山歩きの仕事の時など、大雨の予報だが歩いている時はカッパを着ないで歩き、歩き終わったとたんに大雨になるということがよくある。
予報が曇りの時には晴れてしまう。
それぐらいの晴れ男だ。
イメージの持ち方でも書いたがこういう時は「雨が降らないといいな」ではなく「晴れるといいな」とイメージを持つのだ。
案の定、テントを張り終え、人が集まり始めた頃には雨は上がった。
そして自分の出店の準備である。
ゴーティーも味噌をどっさり持ってやってきた。
同僚のMが習字が得意なので半紙に何枚か書いてもらったものを貼る。
そして持参ののぼりも立てる。
『船橋隠密忍者組織』誰も訳が分からないだろうが、お祭りなのだからこれでよし。
そして石鹸や羊を並べて準備OK。
あとは女房に任せ、僕は一度抜けて空港へ仕事に行った。
空港出迎えの仕事は1時間ほどで終わり、ボクは祭りの現場に戻った。
今日はとにかく日本らしくというのがテーマなので、ボクも作務衣を着た。
浴衣や法被を着た人は結構いたが作務衣を着ている人はボクぐらいだ。
これはなかなか好評で「陶芸家みたいだ」とか「ワイルドっぽくて良い」など数々のお褒めの言葉をいただいた。
ありがたやありがたや。
作務衣というものを広辞苑で調べると『禅寺で禅僧が行う農作業・掃除などの労働着』とある。
坊主頭で自称『生臭坊主』のボクにはピッタリである。
ついでに生臭坊主も調べてみた。
肉食をする僧。戒律を守らない僧。不品行な僧。とある。
やはりこれもピッタリだな。
さて屋台である。
どの出店も食べ物の店は長蛇の列。お店の人は忙しそうだ。
ボクの店のお隣さんはタイヤキ屋さんなのだが、ここも行列が並び忙しい。
その行列はボクの店の前へ続き、時折り列に並ぶ人が石鹸の匂いを嗅ぐ。
石鹸の売れ行きはパラパラ程度で、正直ヒマである。
なので店をゴーティーに任せてフラフラと祭りの催しを見に行く。
数メートルごとに知り合いに声をかけられなかなか進まない。
普段良く会う友達から、とんとご無沙汰になっている人まで、まとめてこの機会に挨拶をしておく。
そうしているうちに娘の出番になった。
娘は他のちびっ子達と一緒に日本舞踊をやる。
この日のために毎週練習をしてきた。晴れ舞台である。
練習の甲斐あって子供達全員動きも揃った。
親の欲目を抜きにしても良い出来である。
午後も深まり、祭りも終盤。
ボクの出店の前にはタイヤキ屋の行列が相変わらず並び、ボクはボクで相変わらずあまりやる気がない。
ボクは娘とその友達達に言った。
「お前達、その辺を歩き回って石鹸を売って来い。売れたらそれを小遣いにあげるぞ」
石鹸を子供達に押し付け、親父は再びフラフラと会場を歩き、知り合いと無駄話をする。
そうしているうちに祭りもお開き。
ボクの石鹸も子供達のおかげで完売。約束どおり小遣いをあげた。
ゴーティーの味噌もなかなかの売れ行きでなにより良い宣伝になったことだろう。
自分にできること。これをいつも考えながら生きているのだが、この日も自分なりに満足のいく一日だった。
祭りが終わるのを待っていたかのように夕方に雨が降り始めた。
天の神も味方してくれた。ありがたやありがたや。
そしてボクは祭りに参加した全ての人にエールを送りたい。
お疲れ様でした。
押忍。