あくる日の朝、アレックスとクリスに別れを告げる。
この日2人はバスと電車を乗りつないで東京へ行く。本来ならもう1日早く能生を出る予定だったのだが、昨晩のパーティーの為1日ずらしたのだ。
アレックス夫妻とも以前から面識はあったがここまで深く話をしたことがなかった。帰ってからまた新たな関係となっていくだろう。
残りのメンバーは山へ上がる。今日はイベント最終日だ。
山は大荒れだった。強風が吹き荒れる中、セッションは始まった。
リフトに乗っている間にも風はどんどん強まり、僕らが山頂に着くとリフトは止った。
ヘイリーは山頂に立ち、買ったばかりの風速計付き腕時計を試して言った。
「オイ、130キロだぞ。すごいなあ」
ヤツはこの状況を明らかに楽しんでいた。
僕らは自然相手の職業だ。自然を相手にグチを言っても始まらない事は百も承知である。なればこそ、あるがままに受け入れるだけだ。
この一本だけで全員の点数をつけなければいけないのはツライが、みんな同じ条件なので仕方がない。
尾根に沿ってトラバース気味に滑り、コースの一番はずれに向かう。
そこには夏道があり、シーズン終りには残雪の春山ハイクが楽しめる。コースは山腹にある池まで続いている。途中ワサビが自生しているし、フキノトウやコゴミなどはいたるところにある。
3年前の5月に一人でここを歩いた。雪に覆われた池のはずれに立ちサンショウウオを眺めた。自分1人の時間と空間を独占して、日本にも良い所はあるじゃないか、と思った。
今はそこに道があることなど教えてもらわなければ分らないくらい雪が厚く覆っている。
歩くとなると道を行くのが一番楽なのだが、スキーだと何処を行ってもよい。山の斜面を自分の思うように使う、ということはとても楽しいものであり、地形が複雑になればなるほど楽しさは増す。
今はどこのスキー場でも、まったいらな一枚バーンを夏の間に作っている。僕はそういうのは嫌いだ。そういう所を綺麗に滑ることができないというのもあるが、 それより山あり谷あり沢あり滝あり林あり雪庇ありガケありの方が楽しいからだ。
セッション1本目を終え、組み変えをして2本目に出ようとした時、風と雨は強まり、それまで動いていた短いリフトまで止ってしまった。他のグループはハイクアップでジャンプ台の方へ向かった。滑れない物は仕方がない、ジャンプなどで点数をつけるつもりだろう。
僕は正直な話、ジャンプは得意ではない。僕のグループになった人はあきらめてつきあってもらおう。
「さあさあ、みんな登るよ。あっちのグループはジャンプだけど、うちらはこっち。リフト一本分歩くよ」
僕は止っているリフトを指差して明るく言った。みんなは仕方がないな、という顔をして板を担ぎ始めた。さすがこのイベントに出ようという人が揃っているだけあってハイクアップもなれたものだ。スキーなどで自分の足で歩いて登る事をハイクアップと言う。
クラブフィールドではハイクアップは当たり前にある。歩いて登るという基本を誰もが忘れていない。パウダーがあってリフトが何らかの理由で止ると、人々は先を争って歩き始める。歩くのがイヤな人は他人が楽しそうに滑るのを指をくわえて眺めるだけだ。
ブロークンリバーのロゴはブロークンリバーと大文字の下に、スキー、スノーボード、ハイクとある。
テンプルベイスンというクラブスキー場などは駐車場からスキー場まで歩いて1時間以上かかる。スキー場に着いて滑り始めても、下のロープトー終点から次のロープトーまで歩いて10分以上かかる。僕は今まで行ったスキー場で、ここまでアクセスの悪いスキー場を知らない。まあそれがテンプルベイスンの良さでもあるのだが。
日本のスキー場でハイクアップは、忌み嫌われるものであり、バカバカしいものであり、考えられないものであり、物好きなヤツがやるものなのだ。
そんなハイクアップを風と雨にうたれながらする。こんな時グループの中にネガティブな考えがあるとそれは人に移る。バカな話をして場を盛り上げるのもガイドの役目だ。様子を見ていたJCもハイクアップに付き合ってくれた。
幸いグループからは文句も出ず、僕らは何とかリフトの上に着いた。この時点で僕は全員のパッション、情熱に満点をつけるつもりでいた。こんなひどい状態で頑張って登ったのだ。情熱が無かったらさっさと帰ってることだろう。
今回も又1本で採点をしなくてはならない。滑る方も見る方も1本限りだと思うと気が引き締まる。
みんなの滑りを見る為に先に下りて採点の準備をしようとした時、強い風が僕を襲い採点用紙を奪ってしまった。幸い紙は10mほどの所に落ちて止った。急いでそこへ向かうが、紙は僕を弄ぶかのようにヒラリヒラリと風に舞う。こんなことをしていてみんなが滑ってきたらどんな言い訳をすればいいのだ。紙まであと数mという所で僕は紙に跳びついた。紙に指が届く直前、ひときわ強い風が吹き採点用紙ははるか彼方へ飛んでしまった。
思いつく限りの悪態を吐き、己のバカさかげんを呪ったがどうなるわけでもない。財布でもあれば中にはレシートだの名刺だの何かしら書く物があるが、その財布は下に置いてきてしまった。手に書こうとしたが雨で濡れてうまく書けない。万事休すという時にJCが下りてきた。
「JC!何か書く物持ってる?採点用紙が飛ばされちゃった」
「おう、これを使いなよ」
ヤツはポケットから耐水のノートを出した。ありがたい、地獄で仏とはこのことだ。
無事採点も済み、下に向かう時に風はおさまった。
僕らが苦労をして登ったところを人々が楽々とリフトで上がってきた。
「人生なんてこんなものだよね」
僕はのんびりと滑りながらグループのみんなに言った。
セッションが終り、点数を集計する時にブラウニーが言った。
「オレのグループは全員パッションは満点だぜ。だってこんなひどい天気の中で楽しくオレと滑ってくれたんだもの」
「あたしだってそうよ」
ヘザーが言い、ヘイリーが黙って頷いた。
「みんなそれでいいじゃないか。あとはハヤピ達が上手くやってくれるよ」
午後は講演会ということで多くの人の前で話さなくてはならない。少人数のグループの前で話すのは慣れているが、大きなグループはやりにくい。僕は多少あがってしまい、言いたいことの半分も喋れなかった。
ブラウニーがスキークラブの歴史、現在の状況、そしてこれからの課題や目標のようなことを話しタイが訳す。タイもイベント期間中に訳して話す機会が多く、はっきり成長したのが見える。将来が楽しみだ。
僕の目から見たものと他人から見たものは違って当たり前なので、クラブフィールドに行った事のある人に次々に喋ってもらった。
友達のキョーコは名古屋から来てくれた。数年前、僕とJCがガイドになりクラブフィールドへ連れて行った。ロープトーに乗るのに苦労してブロークンリバーの山頂へたどりつくまで3日かかった。彼女の名誉の為に言うがスノーボーダーにとってロープトーは非常に大変なのだ。彼女が特別ヘタクソなわけではない。
「滑りたかったら頑張って登って来い」
冷たく突き放し、彼女が必死で練習している横で、僕とJCはパウダーをくいまくっていた。ひどいヤツらだ。頑張った甲斐あって山頂までたどりつき、裏の景色を見た感動は彼女にしか分らないものだ。
小学校の先生をやっているだけあって、人前でしゃべるのがウマイ。誰にでも一つくらいは取り得があるものだ、と本人が聞いたら怒るような感心をした。
講演が終り、表彰式である。
スキー板、スキーグローブ、手づくりの帽子、日本酒、味噌、ジュース、各種食べ物、商品券、ステッカーなどなど、参加者全員になにかしらの物が行き渡る。僕が欲しいな、と思うような物もいくつもあった。
そして1週間にわたる長いイベントが終わった。
イベントの打ち上げは山茶庵だ。打ち上げと言ってもバカ騒ぎをするわけではない。イベント関係者全員で『やれやれ、お疲れ様』という感じでサケを飲みメシを食うのだ。
明日になれば、自分の仕事に戻る者、旅を続ける者、とチームはバラバラになる。一つの事を成し遂げた充実感がその場を満たす。気持ちの良い晩だ。
誰もが穏かな表情でマアマアドモドモ、と能生谷最後の夜は更けていった。
続
この日2人はバスと電車を乗りつないで東京へ行く。本来ならもう1日早く能生を出る予定だったのだが、昨晩のパーティーの為1日ずらしたのだ。
アレックス夫妻とも以前から面識はあったがここまで深く話をしたことがなかった。帰ってからまた新たな関係となっていくだろう。
残りのメンバーは山へ上がる。今日はイベント最終日だ。
山は大荒れだった。強風が吹き荒れる中、セッションは始まった。
リフトに乗っている間にも風はどんどん強まり、僕らが山頂に着くとリフトは止った。
ヘイリーは山頂に立ち、買ったばかりの風速計付き腕時計を試して言った。
「オイ、130キロだぞ。すごいなあ」
ヤツはこの状況を明らかに楽しんでいた。
僕らは自然相手の職業だ。自然を相手にグチを言っても始まらない事は百も承知である。なればこそ、あるがままに受け入れるだけだ。
この一本だけで全員の点数をつけなければいけないのはツライが、みんな同じ条件なので仕方がない。
尾根に沿ってトラバース気味に滑り、コースの一番はずれに向かう。
そこには夏道があり、シーズン終りには残雪の春山ハイクが楽しめる。コースは山腹にある池まで続いている。途中ワサビが自生しているし、フキノトウやコゴミなどはいたるところにある。
3年前の5月に一人でここを歩いた。雪に覆われた池のはずれに立ちサンショウウオを眺めた。自分1人の時間と空間を独占して、日本にも良い所はあるじゃないか、と思った。
今はそこに道があることなど教えてもらわなければ分らないくらい雪が厚く覆っている。
歩くとなると道を行くのが一番楽なのだが、スキーだと何処を行ってもよい。山の斜面を自分の思うように使う、ということはとても楽しいものであり、地形が複雑になればなるほど楽しさは増す。
今はどこのスキー場でも、まったいらな一枚バーンを夏の間に作っている。僕はそういうのは嫌いだ。そういう所を綺麗に滑ることができないというのもあるが、 それより山あり谷あり沢あり滝あり林あり雪庇ありガケありの方が楽しいからだ。
セッション1本目を終え、組み変えをして2本目に出ようとした時、風と雨は強まり、それまで動いていた短いリフトまで止ってしまった。他のグループはハイクアップでジャンプ台の方へ向かった。滑れない物は仕方がない、ジャンプなどで点数をつけるつもりだろう。
僕は正直な話、ジャンプは得意ではない。僕のグループになった人はあきらめてつきあってもらおう。
「さあさあ、みんな登るよ。あっちのグループはジャンプだけど、うちらはこっち。リフト一本分歩くよ」
僕は止っているリフトを指差して明るく言った。みんなは仕方がないな、という顔をして板を担ぎ始めた。さすがこのイベントに出ようという人が揃っているだけあってハイクアップもなれたものだ。スキーなどで自分の足で歩いて登る事をハイクアップと言う。
クラブフィールドではハイクアップは当たり前にある。歩いて登るという基本を誰もが忘れていない。パウダーがあってリフトが何らかの理由で止ると、人々は先を争って歩き始める。歩くのがイヤな人は他人が楽しそうに滑るのを指をくわえて眺めるだけだ。
ブロークンリバーのロゴはブロークンリバーと大文字の下に、スキー、スノーボード、ハイクとある。
テンプルベイスンというクラブスキー場などは駐車場からスキー場まで歩いて1時間以上かかる。スキー場に着いて滑り始めても、下のロープトー終点から次のロープトーまで歩いて10分以上かかる。僕は今まで行ったスキー場で、ここまでアクセスの悪いスキー場を知らない。まあそれがテンプルベイスンの良さでもあるのだが。
日本のスキー場でハイクアップは、忌み嫌われるものであり、バカバカしいものであり、考えられないものであり、物好きなヤツがやるものなのだ。
そんなハイクアップを風と雨にうたれながらする。こんな時グループの中にネガティブな考えがあるとそれは人に移る。バカな話をして場を盛り上げるのもガイドの役目だ。様子を見ていたJCもハイクアップに付き合ってくれた。
幸いグループからは文句も出ず、僕らは何とかリフトの上に着いた。この時点で僕は全員のパッション、情熱に満点をつけるつもりでいた。こんなひどい状態で頑張って登ったのだ。情熱が無かったらさっさと帰ってることだろう。
今回も又1本で採点をしなくてはならない。滑る方も見る方も1本限りだと思うと気が引き締まる。
みんなの滑りを見る為に先に下りて採点の準備をしようとした時、強い風が僕を襲い採点用紙を奪ってしまった。幸い紙は10mほどの所に落ちて止った。急いでそこへ向かうが、紙は僕を弄ぶかのようにヒラリヒラリと風に舞う。こんなことをしていてみんなが滑ってきたらどんな言い訳をすればいいのだ。紙まであと数mという所で僕は紙に跳びついた。紙に指が届く直前、ひときわ強い風が吹き採点用紙ははるか彼方へ飛んでしまった。
思いつく限りの悪態を吐き、己のバカさかげんを呪ったがどうなるわけでもない。財布でもあれば中にはレシートだの名刺だの何かしら書く物があるが、その財布は下に置いてきてしまった。手に書こうとしたが雨で濡れてうまく書けない。万事休すという時にJCが下りてきた。
「JC!何か書く物持ってる?採点用紙が飛ばされちゃった」
「おう、これを使いなよ」
ヤツはポケットから耐水のノートを出した。ありがたい、地獄で仏とはこのことだ。
無事採点も済み、下に向かう時に風はおさまった。
僕らが苦労をして登ったところを人々が楽々とリフトで上がってきた。
「人生なんてこんなものだよね」
僕はのんびりと滑りながらグループのみんなに言った。
セッションが終り、点数を集計する時にブラウニーが言った。
「オレのグループは全員パッションは満点だぜ。だってこんなひどい天気の中で楽しくオレと滑ってくれたんだもの」
「あたしだってそうよ」
ヘザーが言い、ヘイリーが黙って頷いた。
「みんなそれでいいじゃないか。あとはハヤピ達が上手くやってくれるよ」
午後は講演会ということで多くの人の前で話さなくてはならない。少人数のグループの前で話すのは慣れているが、大きなグループはやりにくい。僕は多少あがってしまい、言いたいことの半分も喋れなかった。
ブラウニーがスキークラブの歴史、現在の状況、そしてこれからの課題や目標のようなことを話しタイが訳す。タイもイベント期間中に訳して話す機会が多く、はっきり成長したのが見える。将来が楽しみだ。
僕の目から見たものと他人から見たものは違って当たり前なので、クラブフィールドに行った事のある人に次々に喋ってもらった。
友達のキョーコは名古屋から来てくれた。数年前、僕とJCがガイドになりクラブフィールドへ連れて行った。ロープトーに乗るのに苦労してブロークンリバーの山頂へたどりつくまで3日かかった。彼女の名誉の為に言うがスノーボーダーにとってロープトーは非常に大変なのだ。彼女が特別ヘタクソなわけではない。
「滑りたかったら頑張って登って来い」
冷たく突き放し、彼女が必死で練習している横で、僕とJCはパウダーをくいまくっていた。ひどいヤツらだ。頑張った甲斐あって山頂までたどりつき、裏の景色を見た感動は彼女にしか分らないものだ。
小学校の先生をやっているだけあって、人前でしゃべるのがウマイ。誰にでも一つくらいは取り得があるものだ、と本人が聞いたら怒るような感心をした。
講演が終り、表彰式である。
スキー板、スキーグローブ、手づくりの帽子、日本酒、味噌、ジュース、各種食べ物、商品券、ステッカーなどなど、参加者全員になにかしらの物が行き渡る。僕が欲しいな、と思うような物もいくつもあった。
そして1週間にわたる長いイベントが終わった。
イベントの打ち上げは山茶庵だ。打ち上げと言ってもバカ騒ぎをするわけではない。イベント関係者全員で『やれやれ、お疲れ様』という感じでサケを飲みメシを食うのだ。
明日になれば、自分の仕事に戻る者、旅を続ける者、とチームはバラバラになる。一つの事を成し遂げた充実感がその場を満たす。気持ちの良い晩だ。
誰もが穏かな表情でマアマアドモドモ、と能生谷最後の夜は更けていった。
続