あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

2024年 日本旅行記 5

2024-06-18 | 
白馬3日目、この日は娘が休みなので一緒に八方尾根に行く。
知り合いのつてで、娘は先シーズンから八方尾根で働き始めた。
先シーズンはゴンドラ山頂駅のインフォメーションセンターで仕事をしたが、外に出る仕事をしたくて今年からスキーパトロールとなった。
きっかけは親の人脈だったが一冬を過ごして自分なりの人間関係を作り、晴れて今年からパトになった。
今回の日本行きの目的の一つは、娘の仕事場を見に行きパトロールの隊長に「娘がおせわになっています」と菓子折りの一つでも持って挨拶に伺うという、まるで絵に描いたような親父になろうと思ったわけだ。
一緒に滑るのは昨日に引き続きトモヤとジャカそしてカズヤの息子のヒュージである。
八方尾根は昔から日本のスキー業界では名だたるスキー場で、長野オリンピックも開催されたし、腕自慢のスキーヤーが集まる。
そんな上手い人に囲まれてシーズンを過ごしたせいか、娘のスキー技術も去年とは比べものにならないぐらいに上手くなった。
小さい頃からブロークンリバーなどでスキーをしてきたからスキー操作とバランス感覚はある。
そこにきて僕が苦手なスキー理論や基礎的なことも多分先輩達に教わったんだろう、そしてパトロールの仕事は重たい荷物を持って滑るなど体力も使うので筋力も鍛えられたのだろうな。
若者達が滑るスピードが速いのでついていくのがやっとだし、ちょっとしたギャップで飛ぶなんてのは自分も20代30代の頃にはよくやったが、それはすでに過去の話だ。
今が盛りの20代の若者が体力に任せて滑るのには、どうあがいても敵わない現実がある。
こうやって人は子供に追い越されていくのだろうな。
親としては嬉しいやら寂しいやら、複雑な気持ちだ。
パトロール隊長が休みだったが古参の隊員に挨拶をしてパトロール部屋を見せてもらった。
パトロールやスキースクールの部屋というのは、どこかしら学校の部室のような雰囲気がある。
なんだかんだ言って体育会系の実力社会なのである。
スキーは滑れて当たり前、その上でチームで働くのでスキー場全体を俯瞰的に見る視点や、事が起こった時に一歩先を考えて行動する事も必要とされる。
古参のパトロール隊員と話をした感じでは、娘は仕事もきちんとやっているようで皆に可愛がられているのが感じられた。
親バカ親父としては一安心という具合だ。



午前中をそんな具合に滑り、麓に下りトモヤが働いている絵夢という食堂でお昼である。
トモヤは昼間はスキーパトロールで夜は絵夢で働き、このお店の上の部屋で寝泊りをしている。
今から考えれば自分もまだ駆け出しの頃は、昼はスキーインストラクターをして夜はペンションでお客さんに出す晩飯を作り、屋根裏部屋で寝泊りをしてシーズンを過ごしていた頃があった。
あれは20代前半だったから、ちょうど今のトモヤや深雪と同じ頃だ。
トモヤから絵夢という食堂の話は聞いていて行ってみたいと思っていたし、トモヤも僕を連れて行きたいと考えていたようだ。
メニューはラーメンとかギョーザとか定食とかお好み焼きといたって普通で、街の定食屋という感じである。
僕はトモヤが勧めるままに定食にしたが、半ラーメンが付いてきて、それが普通に美味くてなおかつとんでもなく安い。
定食が800円ぐらいだっただろうか。
よそものの僕が見ても「えー、この値段設定で大丈夫なの?」と思ってしまう。
スキー場のそばではハンバーガーとチップスで1500円とニュージーランド並みの値段を取る店もある。
こりゃ人気の店だろうなぁ、庶民の味方だ。
おかみさんと二言三言交わしたが、昭和の頑固オヤジの女版みたいな雰囲気で非常に好感が持てた。
こういう人が現場にいるのを見て、トモヤが何故ここで働いているのが分かる気がした。



そして夕方はカズヤの家でバーベキューをする。
カズヤの話も過去の話で書いているはずだが、見つからないのであらためて書いておこう。
古瀬カズヤ 通称カズー 今や白馬ではレジェンドスキーヤーとして名高く Locus Guide Serviceというガイド会社を運営する。
カズヤに最初に会ったのは90年代半ばぐらいだから、もう30年も前になるのか。
僕はその頃マウントハットで働いていて、日本から来ていた若くて無鉄砲でやんちゃなスキーヤーカズヤに会った。
よく一緒に滑ったしよく一緒に飲んだ、まあそうだな、同じ青春時代を過ごした仲間だ。
そんないつもの飲みの席で奴が言い始めた。
「JCとかヒッヂさんとかニックネームがあるじゃないッスか?俺もカズってこっちの奴に呼ばれるけど、カズって結構多くて当たり前なんスよね。カズじゃあなくて何か欲しいッス。何かないッスか?」
確かに日本人の男が外国で呼ばれるニックネームはタカとかマサとかカズとかトシとか、英語話者が言いやすい名前がつく。
ちょうどその時に、いつものようにJCがギターを弾きながら僕はハーモニカとかカズーとかを演りながら飲んでいた。
ちなみにカズーとは楽器の名前で、口にくわえてハミングして演奏する。
発音はカー のようにズにアクセントを置く。
JCが言ったのか僕が言ったのかよく覚えていないが「じゃあカズーはどうだ?」
「何スか、カズーって?」
「これだよ、この楽器。これはカズーって言うんだよ。カズヤとゴロも似てるし良いじゃないか?」
「おお、いいッスね!カズーか!じゃあ俺は今日からカズーで行きますんでヨロシク」
そんな具合にヤツが年が少し下ということで弟のように可愛がっていたが、ある時ヤツがヘマをして僕と相方のJCが面倒を見て、一生僕らの奴隷となる運びとなった。
そんな奴隷のカズヤも結婚をして双子の子供ができて、白馬に家を持ち幸せそうに暮らしている。
奥さんのミホも結婚する前から知っているし、壮絶な夫婦ゲンカの現場に出くわした事もあった。
僕の娘はシーズン中は会社の寮に寝泊りしていたが、シーズン終わりに近づき寮も閉鎖となり古瀬家にホームステイをしている。
彼らの子供のように扱ってもらい、双子の子供達と同じ部屋に寝泊りをして兄弟同様に過ごしている。
現にこれを書いている5月末は双子の娘みそらと女二人でベトナム旅行をしているのである。
ちなみに写真でカズヤが着ているTシャツは、去年ヤツが家に来た時に酔っ払って犬のココのベッドで寝てしまい、ココがとても迷惑そうな顔をしているのを女房画伯が描いてTシャツに仕立てた、この世に1枚だけの特性Tシャツである。
ミホの着ているTシャツはもう1枚コピーがある。



ヤツの白馬の家がこれまた素晴らしい。
田んぼと畑に囲まれた一軒家で視界を遮るものはなく目の前には山がどーんと広がり、自分が滑ったラインや登った尾根が見えるだろう。
家の近くには大糸線というローカル線が走っている。
ジブリの『千と千尋の神隠し』に出てくるような雰囲気の列車が畑の中をカタンコトンと通っていくのを見る様がまたよろしい。
庭では季節ごとの野菜を育てているし、味噌や醤油も自分で作っているという、地に足がついた暮らしがある。
カズヤの女房ミホに言わせると、ニュージーランドの我が家の暮らしが彼らの数年先を行くモデルになっているそうだ。
家庭菜園での野菜作り、手作りの発酵食品や地元の食材を使う食生活、ガイドを生業とする生活、子供の成長から犬を飼うことまで、住む場所や細々したことは違えど芯というのか向いている方向性が同じなんだろう。



軒先にハンモックを掛けて、山を見ながらボンヤリと考え事をしていたらミホがビールを出してくれた。
至れり尽くせりだな。
つまみはホタルイカの漬けである。
春は日本海側でホタルイカがあがる。
先週に日本海まで行ってホタルイカをどっさり取ってきたと言う。
娘も連れて行ってもらい一緒に取ったらしいが、貴重な経験をさせてもらった。
春うららかな午後、暑くも寒くもなく、のどかなひたすらにのどかな景色の中でうたた寝なんぞ贅沢な時間を過ごしているといつのまにか夕方となり、家人も帰ってきて客人も訪れ古瀬家は一気に賑やかになる。
客人とはトモヤとケイスケ兄弟にジャカ、皆若くて生きのいい滑り手である。
そこに家主のカズヤが立山の仕事から帰ってきた。
立山の話や雪の話をせがんで聞きたがる若者達のカズヤへの敬いっぷしが微笑ましい。
そうなろうと本人が望んでいるわけではないが、いつのまにかそういう立場に自分が立っている事がある。
僕にとっては出来の悪い弟のような、階級としては最下層のカズヤだが、やはりここでは実力者なんだなぁと感心をするのだ。
その晩は古瀬家4人、僕と娘の深雪、トモヤ、ケイスケ、ジャカというメンバーで焼肉バーベキューの至福の時を味わった。








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