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あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

神の国の旅 2

2015-11-06 | 


松本からは三重へ行き、友達に案内されて伊勢神宮である。
伊勢神宮には内宮と下宮があるというのも行って初めて知った。
先ずは下宮からお参り。
駐車場で車から降りた途端に感じる気。
これだ、これこれ、僕はワクワクしながら中に入っていった。
伊勢神宮では何十年に一回の建て替えが行われたばかりで、真新しい社の横に今まで建物が建っていた場所が空き地のようにある。
そこはしめ縄で囲まれ真ん中には大幣があった。
そこを通る時にやはり感じた。
ああ、ここにもいるぞ、神様が。
僕の手はキタロウの妖怪アンテナの如く反応した。
いや、むしろ新しい建物よりも、その何もない場所の方が強いような気がする。
神様も新しい建物が出来たからと行ってサッサと引越しをするのでなく、時間をかけてゆっくりと移るものなののかもしれないな。
そして内宮を参拝。
内宮は半分観光地だな、外国人のお客さんも多い。
まあこれはこれでありなんだろうが、個人的には静かなたたずまいの外宮の方が好きだ。
内宮を回り、案内看板を読んでみると祭ってある神様は天照大神だと。
ちなみに僕の守護神様は大国主命で、祭られているのは出雲大社である。
行きたいな、という思いがムクムク湧きあがった。
内宮の参拝途中でそんな想いが浮かぶなんて天照大神さんに失礼な話だが、自分の思いは止められない。
その日にライブの予定があり、それが終われば本州でのツアーは終了。
北海道へ行くまで特に予定は無い。
しかも天下御免のJRパスがある。
これはチャンスかもしれないぞ。
翌日の昼に僕は出雲にいた。



出雲にはばくぜんと行きたいなと思っていたのだが、本当に実現するとは。
それも前日のお昼までは伊勢神宮にいて出雲大社の事など考えてもいなかったのに。
日本の神社のトップ2を2日で巡ってしまうなんて、という想いも浮かんだが神サマだってそんなケチ臭いことは言わずおおらかにゆるしてくれるだろう。
先ずは何はともあれ出雲大社である。
大社というだけあってでかいぞ。
しめ縄の太さだってケタ外れである。
ここでもやっぱり僕の手はピリピリと痺れっぱなしだ。
この日は何か特別な日らしく、いつもなら垂れ幕がありその中は入れないのだが、その日だけ中まで開放して参拝できると。
なるほどね、急にどうしても行きたい、と思ったのはこういうわけか。呼ばれたな。
一番奥までくると手の痺れも絶好調。
ピリピリではなくビリビリ、ジンジン痺れる。
やっぱりここは気の力が強いんだな。
お賽銭は奮発して千円。
お賽銭に紙幣を出したのは生まれて初めてだ。
そして普段お世話になっている守護神の大国天に長々とご挨拶。
「今まで護っていただいてありがとうございます。自分なりに生きていきますからこれからもよろしくお願いします。」
僕はブツブツと唱え、長い間手を合わせ目を閉じた。
今までの人生で、山でも街でも死にそうになったことは何回もあった。
単独行の岩場でバランスを崩し、なんとか踏みとどまったこと。
足元から雪崩が起き、巻き込まれそうになったこと。
居眠り運転の車がセンターラインをはみ出して来て、正面衝突しそうになったこと。
そういった場面の状況が次から次へ浮かび消える。
各場面でギリギリで助かったのは守られているからだ。
自分は護られている。
何か大いなる存在によって、生かされている。
この限られた命で、何をとは未だはっきり見えないが、自分がやるべき事をやっていくことを、僕は大国様に誓い、出雲大社を後にした。



よく神社仏閣めぐりなどと言い神社とお寺は一緒にされてしまうこともあるが、今回の僕の旅ではお寺はほとんど行かなかった。
唯一行ったお寺は先祖のお墓参りに行った地元のお寺と、最後の最後に鎌倉観光に寄った大仏の高徳院にあじさい寺ぐらいだ。
意識してそうしたわけではないが、気がついてみると神社ばかりに足が向き、人生でのお参りを凝縮したぐらいにあちらこちらの神社へ行き、祠や社などにも手を合わせたが、仏教のお寺には全く縁がなかった。
そういう流れなのか、今回はとことん八百万の神に触れてきなさいという、神様のはからいだったのかもしれない。
日本はやっぱり神の国なんだな、と思ったのも本州までだった。



コメント
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