二日目の朝、まだ暗いうちに行動を始める。
今回の目的の山はアレックス・ノブ。
この山は朝のうちが勝負である。
日が高くなると周りの森の湿気が雲となって上がってきて、午後には曇ってしまう。
10年前に一人で西海岸に来た時には、お隣フォックス氷河の脇のマウントフォックスに登った。
その時は朝から快晴で『あの山に登ったら景色がいいだろうなあ』と思い登り始めたのだが、登っている途中でガスが出てしまい山頂に着いた時には何も見えなくなってしまった。
アレックス・ノブもそことほとんど同じ地形で、氷河の南側の山である。
その時の経験は財産であり、同じ事を繰り返さないということからも行動は早朝からとなる。
タイとキミが仕事に出かける時間に合わせ家を出て、街で食料とコーヒーを買って登山口に向かった。
車を停め、ブーツを履きゲーターをつける。コーヒーを飲みながら装備をチェック。
そしておもむろに歩き始める。
辺りは明るいが谷が深いので朝日がまだ差し込まない。
森は夜露でびっしょりと濡れ、コケやシダの緑が美しい。数多くの鳥たちが木々の間を忙しそうに飛び交う。
これこれ、この自然に包まれる感覚。これを味わいたくて僕は山に来る。
最初はタイが休みなので一緒に登ろうという話だったが、急にヤツが仕事になった。
誰かと一緒に山へ行くのも良いが、一人で行くのも好きである。
全ての行動の判断と責任を自分で負うというピリピリした緊張感、そして他人のペースに巻き込まれない自由感、一人で自然を感じる開放感、そういった想いが入り交ざる。

ガイドをしていてよく聞かれることだが、ガイドになるための条件、ガイドになるには何が必要か。
以前はこう答えていた「どんな状況でも、自分自身が楽しむこと。自分が楽しまなかったらお客さんを楽しませる事などできない」だが今はこう言う「先ず自分のことを全て自分でできること」テメーのケツをふけないヤツが人の面倒を見れるかってわけだ。
こんな事を書くのも「ガイドにはなりたい、けれど自分から行動をおこさないで全て教えて欲しい」という人が増えているからだ。
いや、これはガイドだけの話でもないな。
「自分はプロのスノーボーダーになりたい。どうやったらなれるのか教えて下さい。でも血のにじむような努力はしたくない」そんな話を以前聞いた。
要は受身なのだ。受身では何も始まらない。大切なのは一歩踏み出すことである。
単独行ができるかどうか、というところがカギだろう。
何も素人のレベルでマウントクックに登れと言っているわけではない。
近くの簡単なハイキングコースとかそんなでもいいし、地図を見ながら街の中をひたすら歩いたっていい。
アウトドアだけでなく、全てのものごとにおいて自分一人で判断をして行動できるか。
ガイドに限らず、これからの世界で生きていく人間は自分の判断と行動の責任、これをきっちりと身につける必要がある。
一人で行動できないヤツが集まっても何も始まらないが、一人で行動できる人達が集まると物事はどんどん面白い方へ転がっていく。

歩き始め、しばらくは整備されていた山道だったが、分岐から本格的なトレッキングコースになる。
視界が開けない登りで高度を稼ぐうちに日が当たり始めた。
シダのシルエット越しの太陽に向かい手を合わせた。
そして唱える。「お天道様、今日もいい1日になりますよう、よろしくお願いします。」
そして再び登り始める。
視界が開ける場所、休憩場所などを確認しながら歩く。
今回は下見なので、歩き始めてからの時間と標高そして注意点などをメモに取りながら歩く。
このコースは初めてだが、お隣フォックス氷河のマウントフォックスは歩いた事がある。
地形、山頂からの景色、天候の特長、植生などおおよその見当はつく。
これぐらいのコースならば、初めて歩くコースでも人をガイドできるだろう。
だが、僕はそれを自分に許さない。
それはプロの仕事ではないからだ。
そしてそれをやる人を山は許さないだろう。
下調べをしっかりして、装備も万全、気力体力も充分で時間にも余裕がある。
そんな時でも山の事故は起きる。
ましてやそのうちのどれかが欠けたら事故の可能性は大幅に増える。
山とはそういうものだ。
甘く見れば痛い目に会うが、敬意を持って接すれば素晴らしい感動を与えてくれる。
どんな場合でも危険があるのを知りながら、リスクをできるだけ減らし、感動を共にする。ガイドとはそういう仕事だと思う。
休憩場所、水が補給できる場所、危険箇所、トイレの有無、そういったことも人に聞けば分かるが、それでも自分が最低一回は行かなければいけない。
地形の特長、植生の変化、アクシデント時の対応など、細々とメモを取りながら歩く。


視界が開けない森の植生が変わり森林限界を超え、しばらく尾根を歩き山頂に着いた。
想像通り、氷河の末端部から一番上まで見渡せる。
想像通りでもその場に来て景色を見る感動は大きい。この国の自然は常に人の想像を超えるものがある。
これが人が山に惹かれる理由だ。
このコースはヘリコプターアクセスは別にして、この辺りの1日ハイクでは最高の場所だろう。
ダイナミックな氷河、険しい稜線、反対側には西海岸、その向こうには青いタスマン海が広がる。
だがこの時も下から雲が上がってきて、海岸の方向はガスにかすむ。
天候や風向きにもよるが、雲の上がる速度は思ったより速い。行動の参考にしよう。
絶景ポイントに一人。
のんびりとランチを食べている間にも雲が上がってきた。
下見も済んだことだし、ゆっくりと下ることにしよう。
分岐まで下り、時間に余裕もあるのでレイク・ウォンバットまで歩く。
森に囲まれた小さな湖で一休み。
ここでは時間がゆっくりと流れる。
時間の流れる速さはニュージーランドと日本で違うが、この国の中でも東と西では違う。
時間と空間は本来切り離せられないものなのだが、今の世の中では時計というものによって時間だけが一人歩きしている。
小さい空間には短い時間が流れ大きな空間には長い時間が流れる、と友達のサダオが言っていた。なるほどな。


僕の住むクライストチャーチでは夕日は遠くの山に沈む。
西河岸では夕日は海に沈む。
浜辺で海に沈む夕日を見るというのは、一つのイベントである。
ましてや今日は1日フルに山を歩いたのだ。
これはもうビールでしょう。
タイの家からビーチまで車で5分ほど。
オカリトという集落は人口30人ぐらいか。
浜辺に出るとちょうど夕日が水平線に近寄るところだった。
ここで『大地に』。
とことん地球で遊ばせてもらった日の最初のビールを一口分大地に捧げる儀式、『大地に』。
昔の相方JCが始めたこの儀式を僕は律儀に守り続けている。
この日最初のビールが砂浜にしみこんでいった。
そして喉を潤す。不味いわけがない。
今日のビールはスタインラガーのピュア。理由は安売りをしていたから。
ラガービールの爽快感がたまらん。
オレンジ色の太陽が海に沈むのを見ながらビールを飲む。
なんというぜいたく。そして今、自分は生きてると感じる。
僕は夕日に手を合わせ拝んだ。
「今日も1日ありがとうございました。おかげで最高の1日でした」
思えば朝日に向かって拝み、1日まるまる遊んで沈む夕日に又拝む。
お天道様万歳である。
今日という日の最後の光を見届け、余韻にひたり、またビールを開ける。
ふとマオリの父方の神、イーヨ・マトゥアの存在を背中に感じた。
さて腹も減ってきたな。今日の晩飯はカツオの刺身だ。
帰ってカツオをつまみに酒でも飲むか。
続く


今回の目的の山はアレックス・ノブ。
この山は朝のうちが勝負である。
日が高くなると周りの森の湿気が雲となって上がってきて、午後には曇ってしまう。
10年前に一人で西海岸に来た時には、お隣フォックス氷河の脇のマウントフォックスに登った。
その時は朝から快晴で『あの山に登ったら景色がいいだろうなあ』と思い登り始めたのだが、登っている途中でガスが出てしまい山頂に着いた時には何も見えなくなってしまった。
アレックス・ノブもそことほとんど同じ地形で、氷河の南側の山である。
その時の経験は財産であり、同じ事を繰り返さないということからも行動は早朝からとなる。
タイとキミが仕事に出かける時間に合わせ家を出て、街で食料とコーヒーを買って登山口に向かった。
車を停め、ブーツを履きゲーターをつける。コーヒーを飲みながら装備をチェック。
そしておもむろに歩き始める。
辺りは明るいが谷が深いので朝日がまだ差し込まない。
森は夜露でびっしょりと濡れ、コケやシダの緑が美しい。数多くの鳥たちが木々の間を忙しそうに飛び交う。
これこれ、この自然に包まれる感覚。これを味わいたくて僕は山に来る。
最初はタイが休みなので一緒に登ろうという話だったが、急にヤツが仕事になった。
誰かと一緒に山へ行くのも良いが、一人で行くのも好きである。
全ての行動の判断と責任を自分で負うというピリピリした緊張感、そして他人のペースに巻き込まれない自由感、一人で自然を感じる開放感、そういった想いが入り交ざる。

ガイドをしていてよく聞かれることだが、ガイドになるための条件、ガイドになるには何が必要か。
以前はこう答えていた「どんな状況でも、自分自身が楽しむこと。自分が楽しまなかったらお客さんを楽しませる事などできない」だが今はこう言う「先ず自分のことを全て自分でできること」テメーのケツをふけないヤツが人の面倒を見れるかってわけだ。
こんな事を書くのも「ガイドにはなりたい、けれど自分から行動をおこさないで全て教えて欲しい」という人が増えているからだ。
いや、これはガイドだけの話でもないな。
「自分はプロのスノーボーダーになりたい。どうやったらなれるのか教えて下さい。でも血のにじむような努力はしたくない」そんな話を以前聞いた。
要は受身なのだ。受身では何も始まらない。大切なのは一歩踏み出すことである。
単独行ができるかどうか、というところがカギだろう。
何も素人のレベルでマウントクックに登れと言っているわけではない。
近くの簡単なハイキングコースとかそんなでもいいし、地図を見ながら街の中をひたすら歩いたっていい。
アウトドアだけでなく、全てのものごとにおいて自分一人で判断をして行動できるか。
ガイドに限らず、これからの世界で生きていく人間は自分の判断と行動の責任、これをきっちりと身につける必要がある。
一人で行動できないヤツが集まっても何も始まらないが、一人で行動できる人達が集まると物事はどんどん面白い方へ転がっていく。

歩き始め、しばらくは整備されていた山道だったが、分岐から本格的なトレッキングコースになる。
視界が開けない登りで高度を稼ぐうちに日が当たり始めた。
シダのシルエット越しの太陽に向かい手を合わせた。
そして唱える。「お天道様、今日もいい1日になりますよう、よろしくお願いします。」
そして再び登り始める。
視界が開ける場所、休憩場所などを確認しながら歩く。
今回は下見なので、歩き始めてからの時間と標高そして注意点などをメモに取りながら歩く。
このコースは初めてだが、お隣フォックス氷河のマウントフォックスは歩いた事がある。
地形、山頂からの景色、天候の特長、植生などおおよその見当はつく。
これぐらいのコースならば、初めて歩くコースでも人をガイドできるだろう。
だが、僕はそれを自分に許さない。
それはプロの仕事ではないからだ。
そしてそれをやる人を山は許さないだろう。
下調べをしっかりして、装備も万全、気力体力も充分で時間にも余裕がある。
そんな時でも山の事故は起きる。
ましてやそのうちのどれかが欠けたら事故の可能性は大幅に増える。
山とはそういうものだ。
甘く見れば痛い目に会うが、敬意を持って接すれば素晴らしい感動を与えてくれる。
どんな場合でも危険があるのを知りながら、リスクをできるだけ減らし、感動を共にする。ガイドとはそういう仕事だと思う。
休憩場所、水が補給できる場所、危険箇所、トイレの有無、そういったことも人に聞けば分かるが、それでも自分が最低一回は行かなければいけない。
地形の特長、植生の変化、アクシデント時の対応など、細々とメモを取りながら歩く。


視界が開けない森の植生が変わり森林限界を超え、しばらく尾根を歩き山頂に着いた。
想像通り、氷河の末端部から一番上まで見渡せる。
想像通りでもその場に来て景色を見る感動は大きい。この国の自然は常に人の想像を超えるものがある。
これが人が山に惹かれる理由だ。
このコースはヘリコプターアクセスは別にして、この辺りの1日ハイクでは最高の場所だろう。
ダイナミックな氷河、険しい稜線、反対側には西海岸、その向こうには青いタスマン海が広がる。
だがこの時も下から雲が上がってきて、海岸の方向はガスにかすむ。
天候や風向きにもよるが、雲の上がる速度は思ったより速い。行動の参考にしよう。
絶景ポイントに一人。
のんびりとランチを食べている間にも雲が上がってきた。
下見も済んだことだし、ゆっくりと下ることにしよう。
分岐まで下り、時間に余裕もあるのでレイク・ウォンバットまで歩く。
森に囲まれた小さな湖で一休み。
ここでは時間がゆっくりと流れる。
時間の流れる速さはニュージーランドと日本で違うが、この国の中でも東と西では違う。
時間と空間は本来切り離せられないものなのだが、今の世の中では時計というものによって時間だけが一人歩きしている。
小さい空間には短い時間が流れ大きな空間には長い時間が流れる、と友達のサダオが言っていた。なるほどな。


僕の住むクライストチャーチでは夕日は遠くの山に沈む。
西河岸では夕日は海に沈む。
浜辺で海に沈む夕日を見るというのは、一つのイベントである。
ましてや今日は1日フルに山を歩いたのだ。
これはもうビールでしょう。
タイの家からビーチまで車で5分ほど。
オカリトという集落は人口30人ぐらいか。
浜辺に出るとちょうど夕日が水平線に近寄るところだった。
ここで『大地に』。
とことん地球で遊ばせてもらった日の最初のビールを一口分大地に捧げる儀式、『大地に』。
昔の相方JCが始めたこの儀式を僕は律儀に守り続けている。
この日最初のビールが砂浜にしみこんでいった。
そして喉を潤す。不味いわけがない。
今日のビールはスタインラガーのピュア。理由は安売りをしていたから。
ラガービールの爽快感がたまらん。
オレンジ色の太陽が海に沈むのを見ながらビールを飲む。
なんというぜいたく。そして今、自分は生きてると感じる。
僕は夕日に手を合わせ拝んだ。
「今日も1日ありがとうございました。おかげで最高の1日でした」
思えば朝日に向かって拝み、1日まるまる遊んで沈む夕日に又拝む。
お天道様万歳である。
今日という日の最後の光を見届け、余韻にひたり、またビールを開ける。
ふとマオリの父方の神、イーヨ・マトゥアの存在を背中に感じた。
さて腹も減ってきたな。今日の晩飯はカツオの刺身だ。
帰ってカツオをつまみに酒でも飲むか。
続く

