67年目の夏

2012-08-24 23:12:12 | 日記
こんばんにゃ。

明日は、三十郎さんの四十九日です。

もとい、1916年生まれの享年96歳、右派の三十郎さんは
宗教も神道のため、正式には
「四十九日」でなく「五十日祭」という催しらしいです。

仏教と神道では、いろいろ違いがあるのね。

でも本来なら、先週末に執り行うべき日程だったのですが
生きてる人間の都合により、1週間ずらされたということで
もはや、何が何だか・・・。

49日も50日も57日も、誤差範囲だよね。
仏も神もヤオヨロズおわします国ですもの。ノープロブレム。




だから、というわけではありませんが
今日は、仕事帰りに
1927年生まれ・85歳のお婆ちゃま(通称:たまちゃん)家に立ち寄って
グダグダと世間話のくだをまいていました。

たまちゃんちの何がいいって
いつも、ビール・日本酒・焼酎等々、酒類や
ホルモン煮込みをはじめとする、酒の肴類が
切らすことなく揃っていることです。えへへ。

85歳というご年齢ながら
目も耳も足腰も髪も肌つやも記憶も
何もかもがすこぶる達者なたまちゃんは
ワタシの絶好の話し相手であり、よき友人です。

普段から、ふと誰かとたわいもない話がしたくなったときには
勝手にたまちゃんちに上がりこんでは
勝手にたまちゃんちの晩御飯を食べながら酒を飲むという
自由気ままを許してもらっています。




今日は、お盆の過ごし方などなど
お互いの近況報告をつらつらおしゃべり。
たまちゃんちは、来客がひっきりなしで、大変だったそうです。

それもそのはず、
たまちゃんは、7人姉弟の一番上で
しかも姉弟は一人も欠けることなく、みなお元気。

子供や孫だけでなく、遠縁まで含めると、すごい人数になるそうで
今年のお盆は、甥っ子ファミリーや姪っ子ファミリーまで来て
それはそれは賑やかだったとか。

 #何だか楽しそうだな~。(*^_^*)

そんな話から膨らんで、たまちゃんの若い頃の思い出話になり
戦時中、日赤病院で、看護師の卵として働いていた頃の話を聞きました。

焼け野原の中、日赤病院だけがポツネンと戦火を免れた話、
積み重なった死体から燐が出て火の玉が飛んでいた話、
入院していたアメリカ兵の捕虜が騒いでいた話、
原爆が落ちた直後の広島に行った話、
・・・などなど。

友人から聞く生々しい戦争の話は、心に迫るものがあり
「ちょっと遅い8月15日」的、神妙な気分になりました。




三十郎さんやたまちゃんと
同じ時代に生きて、出会えて、好き同士になれたって
考えたらすごいことだよね。

ワタシが80歳90歳になったとき
若い世代に語るべき言葉を持っているかしらん。

たまちゃん宅で、久しぶりに
Nちゃん(6年位前、我が家に半居候してた人)と
ばったり会ったのも不思議。

ご縁の不思議さに想いを馳せる
戦後67年目の8月の夜です。

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