「支援」は一時的なもので
やり続けてはだめです。
どこかのタイミングで
「応援」に切り替えないと
お互いが不幸になります。
(平 了)
おはよーございナツ。
困っている人に対し
自分に何ができるだろうか、
と考えることは
一見、優しいことのように思えるけど
利己的な損得勘定の
間合いを測ることでもあります。
例えば、災害の被災地に対して
義援金を送ろうと思ったら
寄付する金額を決めなくてはいけません。
無限にある金額のグラデーションの中から
****円にしよう、と決めるのは
オノレの吝嗇っぷりとガチで向き合うことです。
よし、10,000円にしよう!と決めても
いざお財布を開く段階になったら
やっぱりまた躊躇しだしたりして。
被災地の様子をニュースで見て
心が痛くなったのは事実なのに
出さない言い訳が次々に思い浮かび
結局、5,000円になっちゃったりさ。
(´-ω-`)
今週も一週間ずっと、ついつい
ゴミ屋敷のことを考えていたのですが
ひとえにそれは
自分の損得勘定と向き合うことでもありました。
彼女を見捨てることもできます。
見捨てたからといって
誰から責められることでもありません。
でも、見捨てたくないと思ってしまった。
よし、なら、何かしよう。
では、ワタシは彼女のために
どれくらいの時間と労力とお金と心労を
差し出せるだろうか?
いろんなパターンを想定して
最大値から最小値まで
覚悟を数値化するというのは
なかなか難儀な作業でした。
その数値以上は差し出しませんよ、という
オノレの冷たさを具体化する作業でもあるからね。
あと、彼女本人と接触して
性格や価値観やビジュアルなどを知ってしまったら
自分の気持ちが変わるかもしれません。
拒絶される可能性も、
利用される可能性も、あります。
数年がかりの長期戦になるかもだから
気力も温存しておかなくては。
いろんなシミュレーションをしながら
義侠心と損得勘定の間合いを計測している
今日この頃です。
・・・ふぅ。(´・ω・`)
(そんな競技だったっけ?)
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