おはよーございナツ。
一昨日、友人の奥さんが闘病の末亡くなり
昨晩はお通夜に行ってきました。
土曜日にお通夜、日曜日に葬儀、という週末葬でしたが
さすが、喪主(友人)が現役会社員だけあって
お通夜で100人を超す大人数でした。
もしこれが、喪主が会社を退職した後だったら
奥さんは専業主婦だったので
親族と友人が主の、こじんまりしたお通夜になったでしょうか。
ずらりと並んだ立派な花輪たちを見ながら
ぼんやりとそんなことを考えていました。
大勢の葬儀と、少人数の葬儀、どちらが「よい」と感じるかは
もちろん人によって様々でしょうが
ちなみにワタシが故人になった場合は
「こじんまり」のほうがいいなぁ。
葬式・墓・戒名、全て無用。
遺灰は公園の砂場にでも撒いて(←迷惑(^_^;))
遺品は全て断捨離してもらって
この世からそっと足跡ごと姿を消せるのが理想です。
#見送る側にとっては
こんなはた迷惑な公開遺言を残されても困るでしょうが
まぁ、好きなようにして下さい。
今月は、お盆ということもあり
主人と自分のそれぞれの実家に帰省した際に
「親が亡くなった後」のことを、親本人たちとも
正面から話し合う機会がありました。
和やかにあけすけに、ワイワイ話せる家族でよかったわ。
エンディングノートの記載事項はできるだけ叶えてあげましょう。
あと、「残すほう」と「残されるほう」、どちらが「よい」かも
人によって全然違うところでしょうね。
ワタシは「残されるほう」の痛みを味わいたくないので
ずるいけど「残すほう」がいいなぁ。叶うならば。
今回のお通夜に出た、友人とその奥様は
何十年間、出勤前の「チュ!」が恒例だったくらい仲が良く
奥様の闘病中も、友人は感動的に献身的な介護を続けてきました。
そのラブラブっぷりを知ってるだけに
残された側の、友人の心境を思うと
胸が締め付けられ、何も言葉が見つかりません・・・。
彼岸は、ただのあちらではない。
思いもよらない、別の時間が流れている場所。死後の時空時間。
その岸辺に立って、こちら側の自分を観察したら
何が見えてくるだろう?
目前のことばかりにしゃかりきになっている私を
遠くから見つめるもう一つの目。
お彼岸は、そんな時間の遠近法だ。
年に二回くらいあっていい。いつか、私もたどりつく彼岸。
向こう岸があることに気付いたとき、こちら側の時間が生きてくる。
(山下 柚実)
一昨日、友人の奥さんが闘病の末亡くなり
昨晩はお通夜に行ってきました。
土曜日にお通夜、日曜日に葬儀、という週末葬でしたが
さすが、喪主(友人)が現役会社員だけあって
お通夜で100人を超す大人数でした。
もしこれが、喪主が会社を退職した後だったら
奥さんは専業主婦だったので
親族と友人が主の、こじんまりしたお通夜になったでしょうか。
ずらりと並んだ立派な花輪たちを見ながら
ぼんやりとそんなことを考えていました。
大勢の葬儀と、少人数の葬儀、どちらが「よい」と感じるかは
もちろん人によって様々でしょうが
ちなみにワタシが故人になった場合は
「こじんまり」のほうがいいなぁ。
葬式・墓・戒名、全て無用。
遺灰は公園の砂場にでも撒いて(←迷惑(^_^;))
遺品は全て断捨離してもらって
この世からそっと足跡ごと姿を消せるのが理想です。
#見送る側にとっては
こんなはた迷惑な公開遺言を残されても困るでしょうが
まぁ、好きなようにして下さい。
今月は、お盆ということもあり
主人と自分のそれぞれの実家に帰省した際に
「親が亡くなった後」のことを、親本人たちとも
正面から話し合う機会がありました。
和やかにあけすけに、ワイワイ話せる家族でよかったわ。
エンディングノートの記載事項はできるだけ叶えてあげましょう。
あと、「残すほう」と「残されるほう」、どちらが「よい」かも
人によって全然違うところでしょうね。
ワタシは「残されるほう」の痛みを味わいたくないので
ずるいけど「残すほう」がいいなぁ。叶うならば。
今回のお通夜に出た、友人とその奥様は
何十年間、出勤前の「チュ!」が恒例だったくらい仲が良く
奥様の闘病中も、友人は感動的に献身的な介護を続けてきました。
そのラブラブっぷりを知ってるだけに
残された側の、友人の心境を思うと
胸が締め付けられ、何も言葉が見つかりません・・・。
彼岸は、ただのあちらではない。
思いもよらない、別の時間が流れている場所。死後の時空時間。
その岸辺に立って、こちら側の自分を観察したら
何が見えてくるだろう?
目前のことばかりにしゃかりきになっている私を
遠くから見つめるもう一つの目。
お彼岸は、そんな時間の遠近法だ。
年に二回くらいあっていい。いつか、私もたどりつく彼岸。
向こう岸があることに気付いたとき、こちら側の時間が生きてくる。
(山下 柚実)