ディベートに伴う意識変容の報告

2012-01-14 15:44:15 | 日記
こんにちにゃ。

恐怖のディベート大会、昨日無事に終わりました。

指つっこんでグリグリされるどころか
付け入る隙など一切相手に与えない
敏腕弁護士のようなキレ者がチームの仲間にいたため
結果的には、チームとしては大勝利を得たのでした。

(ワタシ自身は、チームに大した貢献もできないどころか
 自分の発言の番、緊張で頭が真っ白になってしまい
 穴があったら入りたいくらいにダメダメでした・・・(T_T))

彼の陰に隠れるようにして、大きな身を潜めていましたが
「あのチームの中では、七吉が弱そうだから
 反対尋問の際には、あいつを指名して質問しようぜ」
なんて戦略を、相手チームから取られるかもしれないと思い 

相手の発言をメモに取り、手元資料を繰り、
「こういう角度から矢が飛んできたら、どう答えよう?」なんて
必死に脳みそをフル回転させていました。




前日は誰もほとんど寝てないくらい、準備も大変で
当日は、ずっとテンパリっぱなし&講師からのダメ出しで
あんな研修はもう二度とごめんだ!という思いもあるのですが

実は、その反面、結構楽しかったです。

例えるなら、お正月の高速道路、
長時間、バスの狭い車席に閉じ込められて、こわっていたところ
ようやく宮原SAに到着し、ようやく外の世界に出て
うーんと大きく伸びをした感じ?

今まで使ってなかった脳みそをフル稼働させたの、快感でした。

ビジネスの舞台でで、理路整然とした思考や発言ができないというのは
イコール、ダメ人間認定、ということに近いので
これまでも、ロジカルシンキングの本を読んだり、研修を受けたりして
身につけようと努力してきましたが、なかなか身に付かなくて。

長いこと、ロジックってやつに、憧れと憎しみと諦めを感じていました。

12/28の仕事納めの夜も
顔も性格も酒飲みなところも似ている、後輩Tちゃんと
「ロジカルだのクリティカルだの、犬にでも食わせてしまえばいい!」と
訳の分からない気炎を上げてたよね。

でも、ひと月も経たないうちになんだが、Tちゃんごめん。
ワタシ、間違ってたわ。

論理的に考えるって、意外に面白くて、意外に快感よ!




普段の生活に戻った後も、思考回路が普段と違っているのを感じます。

例えば、日経新聞を購読している人、
今日の朝刊の17面左上、「大機少機」のコラムを
ちょっと読んでみてくれないかい。

「『消費税増税を提案する前に
 国会議員の定数削減や公務員の人件費削減など、まず身を切る努力をせよ』
 といった声がよく聞かれる。
 しかし、この議論には、次のような疑問がある。
 第一に・・・。第二に・・・。第三に・・・。
 よって、安易に『身を削れ』と主張するのは考えものだ。」

という内容です。

今までの自分だったら、情報量の多い新聞紙面の、たかだコラムの一つ、
別に心にも残らず、読み飛ばしていそうですが

さらっと読み進んでいるだけで
自然に、その論拠に対しての疑問がいろいろ湧いてくるのです。

誰がいつどうやって、国会議員の定数を決めたの?
定数の増減の推移ってどうなの?
総額人件費のコントロールはされてないの?
民間の給与水準に準じて決められるということだけど
どういう計算式で、妥当性の判断は?
誰が案を作成し、誰が承認してるの?
・・・などなど。

そもそも、このコラムを書いた隅田川氏とは何者で
どういう狙いでこういう主張をしてるんだろうとも、想像してみたり。

読んでてふと気になっただけなので
国会の歴史を調べるといったアクションまでは起こしませんが
(隅田川氏の正体にいたっては、完全に妄想)

今更ながら、「自分の頭で考える」って快感ね、と実感しきり。




ディベートそのものは、散々な結果でしたが
この意識の変化が、何よりの成果かもしれません。

ある意味、脳みそに指つっこんでグリグリされたのかも?!(^_^;)
コメント (2)
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