大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ローマの信徒への手紙16章1~27節

2018-03-05 19:00:00 | ローマの信徒への手紙

2018年3月4日 大阪東教会主日礼拝説教 「主にある家族として」 吉浦玲子

<名前を呼ぶこと>

 今日は月初めで、礼拝ののちの報告-正確には報告までが礼拝になりますが-その報告の中で、今月、受洗と誕生の記念日を迎えられた方の名前を読み上げさせていただきます。また昨年の11月に行われた逝去者記念礼拝でも、逝去者のお名前が長老から読み上げられました。皆さまにとって、なつかしいお名前もあれば、まったく存じ上げられないだろうなという方の名前もあったかと思います。名前を呼ぶということは、それ自体は大きな意味を持たないようにも感じられますが、実際のところ、名前を呼ぶという行為はその個人の人格とか命を重んじることです。たとえ存じ上げない名前であっても、わたしたちは名前を聞く時、そこに一個の人間の存在を感じ取ります。名前は人間としての存在を確かに現わすものです。逆に、人間の人格や命が軽んじられているところでは、人はその個人の名前では呼ばれないのです。たとえば番号で呼ばれます。歴史を見ても、さまざまな理由で自由を奪われ囚われている人は囚人番号といった番号で呼ばれたりしてきました。

そして聖書においてはことに名前には大きな意味があります。旧約聖書では、アブラハムは<すべての国の父>という意味ですし、その子どものイサクは<笑う>でした。それぞれに名前によって現わされた物語がありました。そしてなにより、「神の名」というときそれは単に、神の個別の名前を指すのではなく、神ご自身を指します。「神の名」というのは神の存在そのものを示すものなのです。主の御名を賛美します、ということは主ご自身を心から賛美しますということなのです。

 さて、ローマの信徒への手紙16章は、いよいよ手紙の最後となりました。今日は、片仮名の多い読みにくいところを長く読んでいただきました。ここでは個人の名前をあげて、パウロが挨拶をしています。とてもたくさんの人名がでてまいります。名前が挙がっている人々の多くは有名な人々ではなかったようです。もちろんたとえば3節のプリスカとアキラは他の手紙にも名前が出てきますし、プリスキラとアキラという少し違う名前で使徒言行録にも出てきます。パウロを支えた有名な人だといえます。しかし、ここに名のある多くの人々は無名の人々で、当時、ローマの教会につながっていてパウロと知り合いだった人々です。聖書の中でもここだけに出てくる名前がほとんどです。これがまだ古い名前であっても漢字で書かれた名前であれば、私たちは多少はイメージができます。あるいは現代風の欧米人の名前であっても少しはイメージがわくかもしれません。しかし、当時のローマの教会に集った人々のカタカナの名前からは、2000年後の日本で生活をする私たちにはほとんどなにも感じ取ることはできません。しかし、その無名の人々の名前がでてくる挨拶の部分を、教会はあえてそのまま正典である聖書の中に残しました。これにはどういう意味があるのでしょうか?

 聖書学者という方々は昔からたいへん探究熱心で、この無名の人々のことをいろいろな手段を使って調べてこられたようです。その結果、ある程度はここに名を記されている人がどういう人であったかが類推できるようです。このような研究というのはすごいものだと思います。その研究の結果を加藤常昭先生の書いたものから孫引きのような形で知ることができました。

 そして結論から先に言いますと、ここで名前が挙がっている人々は、人種も身分もさまざまな人々であったということです。おそらく今日の日本の教会とは比べ物にならない多様性を持った人々の名前がここに挙げられているようです。たとえば12節に出てくるペルシスというのは「ペルシャの女」という意味なのだそうです。この名前から分かることはこの女性はおそらく奴隷であったということです。奴隷の身分であった、おそらく遠くペルシャから売られてきた女性であったであろうと言われています。その女性が主のために非常に苦労をしたとさりげなく記されています。自分の身分にまつわることや生活上の苦労ではなく、宣教の活動において、教会を支えることにおいて苦労をしたということが書かれているのです。それ以外にも名前から奴隷であることが分かる人々が何人か混じっているようです。一方で11節にはヘロデオンという名前があります。これは「ヘロデ家の人々」という意味です。ヘロデと言えば、新約聖書においては悪名だかい名前です。ヘロデ大王は主イエスがお生まれになった時、その命を狙って二歳以下の子どもたちを虐殺した王です。そしてまたその息子のヘロデ・アンティパスは洗礼者ヨハネを殺した人物でした。しかし、その親族たちで、当然、身分が高くて、ローマに住むことができた人々の中に、キリスト者になった人々がいたということです。主のなさることは実に驚くべきことです。ある神学者はここで、パウロはさりげなく、ヘロデに象徴されるこの世の暴力、悪の力へのキリストの勝利を書きこんでいるのだと語っています。10節にあるアリストブロも詳細は分かりませんが、身分の高い人であったようです。

<さまざまな人々>

そういった名前をパウロは、無作為に並べているのです。いえ、パウロ自身はなんらかの筋道をもって並べているのかもしれません。しかし、読み手から見ると、実にランダムに並んでいるように感じられるのです。たとえば身分の高い人から順番に名前があがっているわけでもありません。人種別に並んでいるわけでもありません。男女も混じり合っています。そもそも最初に名前を挙げられているのは女性ですが、このことも男尊女卑が徹底していた当時としては驚くべきことです。パウロを男性優位論者、差別主義者のように批判する人も多いのですが、ここでの名前の挙がり方を見ると、パウロが性別をはじめとしたその人の外的なことがらで人間を差別をする人物ではないことがわかります。共に神を見上げている人々に、手紙の最後でパウロはこの世の序列や気遣いからは解き放たれて実に朗らかに挨拶をおくっているのです。

 この手紙は、ローマの教会で実際に読み上げられたと考えられます。その読み上げられる手紙の最後に人々の名前が読まれるのです。ちょうど今日、わたしたちの教会で、記念日を迎える人が名前を呼ばれるように、名前が読まれたのです。ローマの教会で2000年前、名前が読まれた人は突然自分の名が出てきて恥ずかしかったり、驚いたり、あるいは喜んだりしたでしょう。その名前を読み上げるというその行為が、まさに教会の交わりを現わしているのです。そのことをパウロはよくよく理解して、一人一人のことを喜びをもって祈りをもって名を記したのです。そして、さまざまな背景を持った人々の名前が性別やこの世の身分や人種と関係なく読み上げられていくのです。パウロ自身は今はその教会の交わりの中にまだいないけれども、たしかにローマの地で手紙が読まれ、名前を読み上げられる人々がいる、その情景を思い描きながら、心を込めてパウロはひとりひとり名前を書いたのでしょう。

 もちろん、ローマの教会のなかにも問題があったであろうということは、多くの教会を牧会してきたパウロには分かっていたでしょう。皆が皆、なかよくしていたわけではないかもしれません。いやむしろ対立だってあったでしょう。しかし、それらを越えて、そこに教会という愛の共同体があることをパウロは確信して、名前を記したのです。

 そして名前を記したのち、16節には「あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい」とあります。当時は、礼拝の中で口づけをして挨拶をするという慣習があったようです。これは特に聖餐を祝う礼拝においてなされたと考えられるそうです。現代でも実際に口づけを交わすところも残っているようですが、形を変えて行われているものもをあります。たとえば以前もお話しいたことがあると思うのですが、教会によって、聖餐のある礼拝の中で「平和の挨拶」というものを礼拝の中でするところがあります。わたしの母教会でもそうでした。「平和の挨拶」は両隣や近くの席の人と、実際に挨拶をするのです。「主の平和」といって挨拶したり、握手をするときもあります。これは、慣れないと、日本人にとってはすこし気恥ずかしさのあるものです。しかし、口づけにせよ平和の挨拶にせよ、それは主の食卓である聖餐にあずかる人々が神の前の家族として交わるということを象徴的に現しています。

 パウロは多くの名前を書き「よろしく」と言っていますが、この「よろしく」という言葉の語源には祝福がありますように、平安がありますようにという意味のあるそうです。ですから多くの人々の名前を出してそれぞれに「祝福がありますように」とパウロはあいさつをしているのです。そしてまた、みなさんたちもまた互いに祝福がありますようにと挨拶をかわしなさいとパウロは語っています。祝福を祈りあう共同体が教会だからです。

<主に応答して生きる>

 さて、いま私たちは主イエス・キリストのご受難を覚える受難節を迎えています。その受難節に特に覚えておきたい名前が今日の聖書箇所にあります。13節の「ルフォスと、およびその母」です。イエス様が十字架を担ってゴルゴダの丘まで歩まれていた途中で、道で倒れられてしまわれた。そのとき、たまたまその場にいたキレネ人のシモンという人が代わりに十字架を背負って歩いたという記事が福音書の中にあります。マルコによる福音書では、15章21節に「アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人が」と記されています。マルコが福音書を記したとき、おそらくアレクサンドロとルフォスというのは当時の教会では良く知られた名前だったと考えられます。<あのアレクサンドロとルフォスの父であるシモンがイエス様の十字架を背負ったのだよ>とマルコは記しているのです。そのマルコが記しているアレクサンドロとルフォスのうちのルフォスが今日の聖書箇所の13節に出てくるルフォスだと考えられています。つまり、主イエスの十字架をむりやり担がされたシモンの家族がそののちキリスト者になり、その家族がパウロとも知り合いであり、パウロの宣教を助けていたということがここで分るのです。

 マタイによる福音書でも共にお読みしたことですが、シモンはおそらく祭りを祝うために田舎から出てきていたのです。ある意味、旅行気分でエルサレムにやってきていた。それなのにたまたま主イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いていくところに遭遇してしまったのです。ひょっとしたらシモンは体格が良かったのかもしれません。ローマの兵隊から無理やり主イエスの十字架を背負わされて今いました。シモンにしたら迷惑千万なことです。しかし、それがキリストの恵みにあずかる祝福の始まりでした。

 とても奇妙なやり方で神様はシモンとその家族を選ばれたのです。「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。」主の十字架を背負うということに選ばれたシモンの子供という特別の選びがここにあったのです。主に結ばれるという選びがたしかにここにあったのです。そして選ばれた者はその選びに応えて生きていくのです。パウロは「その母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。」と心を込めて書いています。彼らがどれほどパウロの宣教のために心を砕いたのかがわかります。

 しかし、ルフォスとその母だけではありません。ここに名前を記されているすべての人々はさまざまな経緯でキリストに結ばれた人々です。キリストに選ばれた人々です。そしてそれぞれに宣教の苦労を担った人々でした。主イエスの十字架と復活によって明らかにされた神の愛に突き動かされた人々です。

 わたしたちもまたキリストに選ばれて今日この場にいます。私たちも十字架を担われるキリストと出会いました。いばらの冠をかぶせられて頭から血を流され、また鞭打たれ体からも血を流され、いくたびを倒れながら十字架を担ってくださったキリストを肉眼では見ていません。しかし、聖霊によって出会わせていただきました。私の罪のために血を流されたキリストと出会いました。それぞれにキリストご自身から招かれました。

 ですから私たちもまたそれぞれに十字架を担います。キリストの御後を歩んでいきます。それは新たな苦労を背負い込むことではありません。わたしたちの最も重い荷はすでに取りさられています。罪という最も重い荷物は取り去られ、私たちは身軽になりました。解放されました。その身軽になった自由になった私たちは喜びをもってキリストから与えられる新しい使命に生きます。新しい十字架を負うのです。それは担いきれないほど重いものではありません。担う力をもキリストから与えられて、私たちは喜びの内に歩んでいきます。


ローマの信徒への手紙15章22~33節

2018-03-05 17:11:00 | ローマの信徒への手紙

2018年2月25日 大阪東教会主日礼拝説教 「信仰者は旅をする」吉浦玲子

<現実と希望>

 パウロはローマ訪問の希望を今日の聖書箇所で語っています。パウロの宣教のあり方は、先週お読みした箇所にあるように「他人の築いた土台の上に建てたりしない」ものでした。つまり、自分で土台から建てていくことがパウロの宣教の使命だとっています。コリントの信徒への手紙で、「私は植え、アポロが水を注いだ」とあります。最初にコリントの教会の教会の土台を建てたのがパウロであり、その後、アポロが働いたということです。パウロはコリントにかかわらず、どちらかというと教会を新たに開拓して建てていく役割をしていました。教会がどうにか形を持った後の牧会は後継者に委ねる形であったようです。しかし、パウロは創立者である自分がえらいとは言っていないのです。コリントの教会の中で、パウロ派、アポロ派と争っている人々に「私は植え、アポロが水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」と語りかけます。教会の仕事に限らず、この世界には新しいことを切り開くパイオニアタイプの人もいれば、すでにある程度形の整った仕事を継承し、成長させていくタイプの人もいます。どちらのタイプがえらいということではもちろんなく、どちらのタイプの人もこの世界には必要です。そのどちらもが必要なうちのパイオニア型であったパウロは、さらにパイオニアとして前進をしていきたいという願いがありました。先週も申し上げましたように、ローマ帝国の支配下の西側の地域にパウロは歩みを進めたかったのです。その歩みの途上でローマにいき、また、さらにイスパニア、つまりスペインまで行きたかったようです。それが今日お読みした箇所の最初の部分に記されています。

 新約聖書を長くお読みの方はご存知でしょう。このパウロの希望がこののちどうなったかということを。それは使徒言行録を読みますとわかります。パウロはたしかにこの後、ローマに行くことになります。しかし、それは自由な宣教者としての立場でいくのではありませんでした。パウロは囚人として護送されてローマに行くことになります。それは一説にはこのローマの信徒への手紙を書いた10年後くらいのことではないかと言われます。このローマの信徒への手紙を書いていた時には、パウロ自身、まさかそのような形で、将来、自分がローマに行くことになろうとは思ってもいなかったでしょう。いま使徒言行録の中のパウロの歩みを詳細には追いませんが、パウロはエルサレムで逮捕され、さまざまなところで何回も取り調べを受け、それに対して弁明をしました。パウロはローマ市民権を持っていましたから、最終的にローマ皇帝に上訴をしました。それゆえにパウロはローマへと向かうのですが、そのローマへ向かう途中、船が暴風に襲われ難破するということもありました。たいへん困難な状況でパウロはローマへとたどり着くのですが、使徒言行録の中のパウロは、逮捕されても、反対者から批判をされても、船が難破してマルタ島で過ごすことになっても、首尾一貫した態度をとり続けます。それはイエス・キリストを証しするということです。自分の状況を良くしようとか、良い待遇を受けようということにはまったく無頓着でした。たとえば法廷において自分を取り調べている相手に対してもイエス・キリストの伝道を始めたりするのです。

 「こうして神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように」とパウロは今日の聖書箇所の最後に記しています。しかし使徒言行録を読む限り、パウロのローマ訪問は「喜び」とは程遠い現実であったように感じられなくもありません。

<織り物とジグソーパズル>

 ところで、ある牧師は、神の御業は織物のようなものだとおっしゃいます。縦糸と横糸を織って行く、いろんな色が混じり合い、織っている途上では、最終的な織物の柄はわかりません。あるときは、なんだか汚いくらい糸ばかり織っているような時が続くこともあるかもしれません。しかし、最終的にできた織物をみるとき、その暗い色によってくっきりとかたどられた見事な柄ができていることに気づきます。美しい明るい糸も、あまりきれいとは思えない暗い糸もその織物の中でそれぞれに生き生きと用いられてすばらしい模様を編み出していくのです。神と共にあるわたしたちの日々もまたそうであるとその牧師は言います。わたしたちはこの糸が織り物のなかでどのようなものになるのかはっきりとはわからぬまま人生の織物を織っています。でも、日々織って行くどの糸も、一本も無駄なく素晴らしい模様のために用いられるのだと。私たちの人生は神のご計画によって素晴らしい織物を織っていくようなものだとその先生はおっしゃいます。

 それはまたジグソーパズルにも似ているかもしれません。わたしはあまり根気がないのでジグソーパズルはしませんが、ご存知のように、ジグソーパズルはたくさんのピースをはめ込んでいき、その最後の1ピースがおさまったとき、絵が完成します。最初、いくつかのピースをつないで、部分だけを見ていた時には全体の絵とは程遠い印象です。それがどんどんピースがつながって、ようやく最終的な絵を見ることができます。もっともわたしたちの人生のジグソーパズルはさきほどの織り物のと同様、最初から完成の絵が分かっているわけではありません。途上では、いったいどのようなものが完成するのか想像もつきません。しかし、わたしたちが日々ピースをつなげていく歩みをしていく時、最終的に神は私たちには想像のつかない素晴らしい絵を完成させてくださるでしょう。私たちは自分が手に持っているピース一片一片の意味をわかりません。それでも根気よく、そのピースをつなげていくとき、素晴らしい絵が神によって完成されていきます。

 パウロは確信をしていたのです。自分自身が神に用いられてキリストの証し人として生きていくとき、その日々に困難があり、自分が願っていたこととは違う状況になろうとも、最終的には、神はなにがあっても、素晴らしい絵を完成させてくださることを信じていたでしょう。パウロのジグソーパズルには鞭うちというピースがあったり、船が難破するというピースがあったり、反対者から陥れられて法廷に立つというピースがありました。しかし、その一枚一枚を神に捧げて生きていく時、どの一枚も無駄にはならない、最終的に美しい絵を神様が完成させてくださることをパウロは確信していたのです。

 自分の一日一日は、神の前にあって、ジグソーパズルの1ピースに過ぎない。でもそれを自分で無理につなげて絵を完成させるのではなく、神が完成させてくださるという確信があったのです。ですから、自分の思っていた通りには必ずしも物事が進んでいかなくても、その日々はパウロにとっては喜びに満ちたものでした。いやもちろん、日々にあって、パウロも恐れ、嘆き、悲しむことは多くあったでしょう。なかなかものごとが思っていたように進まず、不安で押しつぶされそうな時もあったでしょう。しかし、日々のさまざまな思いもありながら、神に信頼していたのです。ですから、パウロ自身、囚人としてローマに向かうとき、こんなはずじゃなかったと困惑はしなかったでしょう。神に信頼する時、未来は本当の意味で希望になります。ローマの信徒への手紙の5章で「わたしたちは知っています、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」とパウロが語っているのを少し前に共にお読みしました。これは困難の中でも忍耐して希望を失わないようにしましょうということではありませんでした。神ご自身が欺くことのない希望を私たちに与えてくださるから私たちは忍耐ができ練達できるのです。その日々が神によって希望を生みだしていくものとなるのです。

<祝福をまとって行く>

 ところで今日お読みいただいた29節には「そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところへ行くことになると思っています。」とあります。また、今日最初にお読みいただいた創世記12章は、アブラハムの旅立ちの場面でしたが、神はアブラハムに「あなたは祝福の源となる」とおっしゃっています。神はアブラハムを祝福して旅立たせました。しかしその神の大いなる恵み、祝福はアブラハム個人にとどまるものではありませんでした。その祝福はアブラハムからあふれ出ていきました。いまや、そのアブラハムへの祝福が全世界に及んでいるのです。あなたを祝福の源とするとおっしゃった神の言葉のように、アブラハムに始まった祝福はまずイスラエルへ広がり、キリストの到来ののちには、イスラエルの枠を越えて、全世界に及びました。

 パウロは29節の前のところで、当時財政的に苦しかったエルサレム教会を支えるための援助金をもってエルサレムへ向かうことを書いています。この援助金を取りまとめてわざわざエルサレムに向かうということ自体、たいへんな困難なことでした。その困難な業をパウロはあえて自分でやったのです。しかし、そのあとにある「キリストの祝福をあふれるほど持って」という言葉は、援助がうまくいった喜びのうちに、ということではありません。そちらにいって、一緒に喜びあいましょうということではありません。「キリストの祝福をあふれるほど持って」という言葉は原語では「キリストの祝福の充満のうちに」という意味があります。つまりパウロ自身が祝福の中にすっぽりと包まれているというイメージなのです。

 パウロがなにか手土産のように祝福をたずさえていくのではなく、パウロ自身が充満する祝福の中に包まれている、そしてパウロがゆくところゆくところ、パウロと出会う人にも祝福が注がれていくというイメージです。かつてアブラハムは祝福の源とされました。アブラハムは旅立ってのち、生涯ほぼ定住はしませんでした。転々と旅をしました。神から最終的な行き先は告げられず、転々としたのです。その旅の途上でアブラハムが寄留する土地にはいつも祝福がもたらされました。それはアブラハムの息子のイサク、ヤコブでも同様でした。さらにその子どものヨセフもそうでした。ヨセフは、エジプトに奴隷として売られてしまいますが、売られていった先で祝福をもたらす存在となりました。つまり私たちの信仰の遠い祖先たちもまた、パウロと同様、自分自身の思いではなく神のご意志により旅をする人生でした。アブラハムもイサクもヤコブもヨセフも、必ずしも自分の願っていた人生を生きたわけではなかったでしょう。しかし、その歩みは神の祝福の充満のうちの歩みでした。それはアブラハムとかパウロといった信仰の巨人だからそうだったのではありません。私たち一人一人もすでにそうなのです。わたしたちもまた祝福にすっぽりと包まれているのです。その祝福は、キリストの十字架の死と復活によって与えられたものです。

 ところで、先日、クリスチャンの友人と話をしました。その方はわたしと同年代でしたが、なかなか自分の家族が教会に行ってくれない、洗礼を受けてくれない、信仰を持ってくれないと嘆いておられました。それは自分の信仰生活がちゃんとしていないからだろうかと思いつめておられました。家族への伝道というのはどの家庭でも難しいものです。その方には、月並みなことではありますが、気長に祈りつつ待つしかないよ、というようなことを申し上げました。ただ、話しつつ思ったのです。その方自身がすでに祝福の源となっていることをもっと感じてほしいなと思いました。その方自身にあふれる程の祝福があり、すでに祝福に包まれている。たしかにご家族への伝道はいろいろな要因があり、むずかしいでしょう。しかし、その方を包む込む祝福はかならずその方の周囲に影響を及ぼしていると思うのです。ですから自分の「信仰生活がだめだから」なんて落ち込むことはないのです。もちろん、だからといってなにも伝道をしなくてよいということでもありません。しかし、既に自分を包んでいる祝福の充満を感謝しつつ歩む生活がもっとも大事なのではないかと思います。

 私たちひとりひとりは、祝福にすっぽりと包まれて、神と共に旅をしていく人生です。そして美しい織物をおっていく、またジグソーパズルを完成させていただく日々です。思いもかけないこともあります。こんなはずじゃなかったということもあります。ローマに向かっているつもりなのに、ぜんぜん違うところに回り道をするような日々もあります。エジプトに放り出されるような日々もあります。しかしなお、その歩みの中で、わたしたちはそれぞれにキリストの祝福に充満されて歩んでいくのです。私たち自身には祝福に充満されている感覚はないかもしれません。それどころか辛いことばかりある日々かもしれません。しかし、わたしたち自身にははっきりと気づけなくても、わたしたちもまた、アブラハムと同様、祝福の源とされているのです。パウロと同様、キリストの祝福の充満の中にあるのです。

 私たちが意識しようとしまいと、わたしたちは、祝福の充満の中を旅していきます。美しい神のご計画のうちに信頼して歩んでいきます。


ローマの信徒への手紙15章14~21節

2018-03-05 16:50:02 | ローマの信徒への手紙

 2018年2月18日 大阪東教会主日礼拝説教 「わたしたちの使命」吉浦玲子

<おわりにさしかかった手紙>

 今日の聖書箇所は、新共同訳聖書には「パウロの使命」と表題がついています。「使命」という言葉は良く聞く言葉です。<与えられた役目>とか<使者としての役割>などの意味です。役目・役割と言ってもそれは重要な内容であるニュアンスがあります。そしてまたそれは外から与えられるニュアンスがあります。自分勝手にこれは自分の使命だというのではなく、使命として与えられたという感覚があります。その表題のように、この箇所はパウロ自身が自分の使命を振り返って語っています。他のパウロの手紙では、宛先となった教会の状況や、パウロへの反対者や批判者を念頭において、かなり強い口調で、自身の立場を弁明するように自分自身の使徒としての正当性や、キリストの伝道者としての召しを語っているところがあります。しかし、このローマの信徒への手紙では、それほど強い弁明的な書かれ方はしていません。

 この手紙のあて先であるローマの教会は、そもそもパウロ自身がこれまで直接関わってきたところではありませんでした。教会の中に、何人か、知り合いはいるようですが、ローマの教会自体はパウロやパウロの同労者が設立したり牧会している教会ではありませんでした。今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙の1章と合わせて読むとき内容が良く分かります。そもそもパウロ自身に、ローマ訪問の希望があったのです。今日の聖書箇所の後にもローマ訪問についてふたたび触れられていますが、この手紙が書かれた当時、彼はローマ帝国の支配している地域のなかの東の方で宣教活動を行っていました。将来的には西側でも宣教を行いたいというのがパウロの願いでした。そのためにはやがてローマに行き、さらにはイスパニアにも行きたい、そういう願いがあったようです。その願いのうちに、まだ見ぬローマの人々に宛てて書かれたのがこの手紙です。手紙全体が、まだ見ぬローマの人々への挨拶であるともいえます。

 ところが、本日の聖書箇所の15節に「この手紙ではところどころかなり思い切って書きました」とパウロは語っています。たしかにこの手紙には、挨拶以上のものが書かれています。かなり「思い切った」神学的な事項が書かれています。ローマの人々はいきなり面識のない人物からこの手紙を受け取ってびっくりしたのではないでしょうか。自分たちの先生でもない、なにか関係のある人でもない人物から、「いつかそちらを訪問したいと願っています」といった当たり障りのない挨拶だけでなら良いのですが、キリスト教の神学の根本を記した手紙がいきなり送りつけられてきたのですから。受け取った方は、いったい何事かと思ったことでしょう。ローマの信徒への手紙で、のちのち読む者からしたら神学的な本文と言える部分は、先週の箇所でほぼ終了したといえます。ローマの人々は面食らったかもしれませんが、その箇所が、のちの偉大な神学者たちへ多大な影響を与えました。そういう意味においては、今日共にお読みします箇所からは、ほとんどあとがきに近いものとなっています。しかし、本来のパウロの手紙の趣旨からしますと、むしろ重要なところでもあります。

 ここまで書いてきて、手紙の終盤にさしかかり、パウロ自身、手紙を受け取る人々の困惑と懸念とを改めて少し感じたのかもしれません。それで「思い切ったことを書きました」とパウロは言い添えているのかもしれません。

<信頼のみなもと>

 今日の聖書箇所では、「兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。」と語っています。この最初の「兄弟たち」という言葉は原語では「<わたしの>兄弟たち」となっています。ある方が調べたところによりますと、ローマの信徒への手紙では、「兄弟たち」という言葉は何度も出てくるのですが、「わたしの兄弟たち」と語られているのはここを含めて二箇所だけなのだそうです。つまりそれだけパウロは、親しみを込めて丁寧にこの場所で語りかけているということです。もちろん面識のない相手です。しかし、パウロは親しみを込めて丁寧に呼びかけ、さらに「このわたしは確信しています」とまで言うのです。なにを確信しているかというと「あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができる」ということをです。これはまだ見ぬ相手に対するおべっかや持ちあげて言っている言葉ではありません。面識はないけれど、パウロは、キリストにあって、ローマの教会の人々を信頼していたのです。その信頼のゆえに「ところどころ思い切ったことを書いた」のだと言っているのです。相手への信頼がなければ、大伝道者のパウロであろうと、思い切ったことは書けないし、言えないのです。ローマの教会の人々は、互いに戒め合うことのできる共同体であるから、つまり相互に悪いところは指摘し合え、指摘されたら素直に悔い改めることのできる人々の集まりであるから、思い切ったことが言えるのだとパウロは語っているのです。

 ひょっとしたら、その信頼感は、ローマの教会にいる何人かの知り合いから漏れ聞いた教会の様子からパウロは得たのかもしれません。しかし、伝え聞いた噂程度で「確信しています」とまでは言えないはずです。パウロを確信させたものは、ローマの教会の人々が主にあって結ばれた人々であるという事実からなのです。面識もないまだ見たことのない人々であっても、そこにたしかに教会があり、主に結ばれた共同体がある、もちろん人間の集まりである以上、たとえばコリントの教会のような現実的な揉め事や問題はあったかもしれません。しかしなお、コリントであれローマであれ、そこにキリストに結ばれた人々がいる、ただそのことにおいて、パウロは信頼し、確信して語っているのです。

 その信頼のゆえに、そして他の書簡のようなややこしい背景が比較的ないゆえに、今日の聖書の箇所の後半に記されている自分の使命に関しても弁明的な表現ではなく、自然な口調で語られています。しかし、そこで語られていることも、実は「思い切った」ことになっています。パウロは自分自身が「神の福音のために祭司の役を務めている」と語っています。そもそも祭司というのは、神と民の間に立って、執り成しをする役割を担っています。神への執り成しのために、供え物を捧げるのも祭司の役割です。パウロは祭司として、こともあろうに異邦人を供え物として捧げるのだと大胆に語っています。パウロはユダヤ人であり、手紙のあて先はローマの人々、つまり基本的には異邦人です。その異邦人であるローマの人々に対してわたしは異邦人を神への供え物とする役割を務めているという言い方は、かなり思い切った発言です。下手をすると、ユダヤ人と異邦人の間の溝を背景に批判が出る恐れもある言い方です。しかし、パウロは誤解を恐れずに語りました。理解してもらえると信じていたからです。

 ユダヤ人と異邦人と出自は異なっていながら、共にキリストに結ばれた者同士である、そしてそのまなざしは共にキリストに向けられている、その確信のなかでパウロは語っていました。それぞれのまなざしがキリストに向かっているのではなく、人間としてのパウロであったり、この世的な人の集まりとしての集団であれば、「なんだあいつは偉そうなことをいって」とか「ユダヤ人のように聖書を深く知らない人たちには信頼して語れない」ということになります。しかし、共に、キリストに結ばれ、見ている先はキリストなのだという信頼のゆえにパウロは語ります。

<ほんとうの伝道>

 供え物という表現は、ローマの信徒への手紙の12章にある「神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとしてささげなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」とつながるものです。キリストの十字架と復活によって救われ、キリストのものとされたわたしたちは、わたしたち自身を神に供え物としてささげます。それこそがまことの礼拝だとパウロは語っていました。その供え物をささげる祭司の役を自分は担っているのだとパウロは語っています。それは形式的な儀式的な意味でパウロは語っているのではありません。パウロ自身が担っている宣教そのものを語っています。

 これは今日においても通じることです。わたしたちはともすれば、宣教、伝道というとき、教会という組織や、求道者への宣伝というところにどうしても目が向きます。しかし、まことの宣教、伝道というのは、人々を神へと捧げるものなのだとパウロは語っています。

 これは今日の最初のところで、パウロがローマの人々への信頼について語っているところともつながります。わたしたちは教会の中にあっても、外に向かう宣教においても、ともすれば人間ばかり見ているのです。神を見る、神へ捧げるという方向性をどうしても見失ってしまいます。

 ある方は、それはそもそも私たちが、自分たちの必要ばかりを求めているからだとおっしゃいます。わたしたちは、礼拝の姿勢においても、宣教の姿勢においても、神の方を向くのではなく、自分たちの必要をどうしても求めてしまうのです。そしてそれは自分の必要を満たす神を求めてしまう心から来るのです。

 もちろん神は、祈りに応えて、私たちの必要を満たしてくださる神です。しかし、なにより大事なことは、まずわたしたちが神から必要とされた、求められた存在であるということです。

 わたしたちは罪人でした。神から離れて生きていました。そもそも神など求めていませんでした。私自身を振り返っても自分の御利益は求めていました。自分が少しでもしんどい思いをせずに生きていけることを求めていました。なんとなく心が平安になれて、清らかな思いになれたらいいなとは願っていました。でも根本のところで、神を求めてはいませんでした。

 そんな人間を求めてくださったのは神の方でした。まさに飼い主のいない羊のように、混沌とした不安な日々の中でおろおろと生きていた、いや場合によってはそんな自分の憐れな現実を知ることなく、むしろ自信を持って生きていた私たちを、神は求め、見つけてくださいました。パウロ自身もキリスト者の迫害者でありながら、神に見いだされ救い出された人間でした。その喜びの内にパウロは自分自身の使命に自分をささげました。その使命は、異邦人を神に捧げることでした。パウロが自分の手柄として信仰者を得ていくのではありません。純粋に神に向かう行為として宣教はなされたのです。

<私たちも使命に生きる> 

 ところで、少し話はずれますが、マタイ、マルコ、ルカ福音書はたがいに似た記述の多い福音書で、この三つを合わせて共観福音書と言うことがあります。共に観る福音書と書きます。その共観福音書には、キリストの十字架と復活の出来事のあと、弟子たちがキリストの証人として派遣されたことが記されています。キリストの大宣教命令として有名です。一方、ヨハネによる福音書は共観福音書とはかなり趣が異なる福音書であり、十字架と復活ののち、共観福音書のような弟子たちの派遣の記事はありません。しかし、ヨハネによる福音書の最後の章には主イエスとペトロの会話が記されています。主イエスが逮捕された時、主イエスのことを三回も知らないと言ったペトロに対して、主イエスは三回「わたしの羊を飼いなさい」とおっしゃいます。自分を裏切り逃げ、自分のことを知らないと答えた弟子のペトロを責めることなく、「わたしの羊を飼いなさい」と主イエスは新たな使命をペトロに与えられました。

 共観福音書とは書かれ方が異なりますが、復活のキリストと出会った者は、イエス・キリストの証人として遣わされていくことはヨハネによる福音書においても同様なのです。大牧者であるキリストの羊を飼うこと、まだキリストの元に来ていない羊を探しだし、キリストの恵みの囲いの中に招き入れること、それが復活のキリストと出会い、救われた者の使命なのです。

 キリストの証人となる、それは専任の牧師や伝道者になること、あるいは特別な伝道的な活動をすることだけを意味しません。すでにキリストを信じ、信仰を告白し、その恵みの内に生かされているものは、それぞれのあり方で、その日々のなかで、キリストの証人として生かされていきます。その生き方こそが自分を神への供え物として生きる生き方でもあります。そしてまたその生き方を通じて、だれかを神へと捧げる役割をになっていきます。

 それはことさらにだれかを神様を信じるように説得するのではありません。共に神の方を向いて生きるということです。お互いの顔ばかり見るのではありません。共にキリストの方を向くのです。しかし、ひょっとしたら私たちはそれぞれに孤独かもしれません。孤独な日々があるかもしれません。しかし、それでも私たちが自分の孤独にだけ目を向けるのではなく、自分の思いだけにとどまることなく、キリストを仰ぐとき、私たちには使命が与えられます。新しい使命がかならず与えられます。神と隣人へ愛を注ぎだす使命が与えられます。


ローマの信徒への手紙15章1~13節

2018-03-05 16:48:28 | ローマの信徒への手紙

2018年2月11日 大阪東教会主日礼拝説教 「共に喜ぶ」吉浦玲子

<同じ思い、同じ心は可能か>

 今日の聖書箇所6節でパウロは「忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。」と語っています。<互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて>神の前にある共同体としてのあり方がここには記されています。<同じ思い>、<心を合わせる>、<声をそろえる>、、、これはなかなか難しいことです。人間の集まりがあってその集まりにおいて同じ思いで心を合わせて声をそろえるということは簡単ではありません。パウロは神の前にある共同体に対してこう語っているのですが、神の前にある共同体であっても、同じ思いで心を合わせてということは現実的にはたいへん難しいことであることを私たちは知っています。

 世間ではオリンピックが始まりました。オリンピックなどの大きなスポーツ大会の良いところは、基本的には、皆で応援ができるというところです。皆で応援をするというときの「皆」の範囲が広がります。国内のスポーツ大会であれば、それぞれにひいきのチームや選手がいて、それぞれに応援をしますが、国際大会ともなると、だいたい自分の国の選手を皆で応援することになります。もちろん日本にもいろんな民族の方が住んでおられ、みんながみんな日本人の選手だけを応援するということではありません。そしてまた競技ごとに応援したい選手はあるかと思います。けれど、大きな国際大会であれば、勝利すれば共に喜び、負ければ共に残念に思うときの連帯感が一般的に増します。

 そんなオリンピック選手の活躍に対しては同じ思いで心を合わせて応援はできても、神の前にある共同体として、そして神の前の共同体であっても、<同じ思い>で<心を合わせて><声をそろえる>というのはなかなか難しいことです。モーセによって率いられた出エジプトの民は、繰り返し神の奇跡を目の前に見ていたにもかかわらず、いくたびも分裂し、問題を起こしました。かつての紀元前のイスラエル王国最大の王ダビデのもとにありながらも、いくたびも人々は争いました。

<担う信仰>

 パウロは今日の聖書箇所冒頭で「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。」と語り始めます。<強い者><強くない者>という言い方には、抵抗を感じられる方もあるかと思います。これは原語の意味から言いますと「出来る者」「出来ない者」という言葉になるそうです。なにが出来るのか?それは神を信頼することが出来るということです。神を信じきることができる、神を信じ切る人が出来る人であり、強い人だとパウロは考えているのです。つまり、パウロは「自分たちのように神を信じきることのできる信仰の強い者は、まだそこまで神を信じきることのできない信仰の弱い人の弱さを担うべきだ」と語っているのです。

 この強い、強くないという言葉は、一般的に使われるときのニュアンスとはだいぶ違うものです。強いとか出来る、という言葉には能力の高さ、スキルの高さが通常ではイメージされます。しかし、むしろ自分の能力やスキルに頼っている人は弱い人出来ない人なのだということになるのです。このパウロの感覚は信仰者としてたいへん大事なことです。神の共同体において、この感覚が往々にして欠如することがあるからです。この世的な能力やスキルによって、神の共同体での強い強くない、出来る出来ないが判断される場合が往往にあるのです。この世的な出来る出来ない、強い強くない、の尺度が神の共同体においても用いられる時、その共同体は、<神の前の共同体>しての力を決定的に失います。この世的な強さにおいて強いことを大事にする共同体は、一見、ひとときは順風満帆にみえるときもあるかもしれません。しかし、この世の流れと共に、そしてこの世の共同体より早く朽ち果てていく存在となります。

 しかしまた逆に、パウロの言葉どおりに強い強くない、が、神への信頼の強さにおいて判断されたとしても、問題は起こります。たとえば、パウロの言うところの神への信頼の<強い>人、神への信仰が<出来る>人が、神への信頼が<弱く>、何でも自分の能力に頼って行おうとする人に対して「あなたは信仰が弱い」と批判するようなことも起こります。これは先立ちます14章などでもパウロが警告していた内容でもあります。

 強い人が弱い人を批判するのではなく、神を信頼し、神への信仰が強い人は、むしろ弱い人を担って行くべきだとパウロは語ります。自分の信仰が強いと考え、弱い人を担わないならば、それは信仰がそこでとどまることになります。そこで信仰がとどまるならば、それは自己満足の信仰だというのです。弱い人を担うことのない信仰は、自分の満足を求める信仰だとパウロは考えています。「おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。」とパウロは続けます。この「向上」という言葉は「建て上げる」というニュアンスがあります。ここで「隣人を喜ばせ」というのは、親切にするとか、気遣いをする、配慮をするというだけではありません。単に自分の好みを押し殺して、他者に仕えて他者を喜ばせるということだけではありません。互いに建て上げられていく存在として交わるということです。

 それは健全な人間関係を想像してみるとき、ある程度、理解できることではないでしょうか?たとえば子供を喜ばせたいと親が思ったとしても、子供の成長にとって良くないことは親は通常はしないと思います。もちろん、甘やかしすぎな親もいないわけではないですが。十分かどうかは親それぞれとしても、基本的には親は子供が心身ともに健やかに成長するように、つまり建て上げられていくように子供を担って行くものではないでしょうか。またそのことを通じて親自身も成長していくのではないでしょうか。

<忍耐の源>

 私たちは神にある共同体にあって、そのように隣人を担いながら生きていくのだとパウロは語っています。しかし共同体の中には、さまざまな人がいます。年齢も出自も趣味も考えも異なる人々がいます。かわいい子供や、自分の気の合う人なら担うことはそれほどむずかしくはないかもしれません。しかし現実には、そうでない場合も多くあります。ですから、そこには「忍耐」が必要となります。「キリストもご自分の満足はお求めになりませんでした。」とパウロは語ります。キリストは、弟子たちを、そしてまた私たち一人一人を愛して愛し抜かれ、忍耐に忍耐を重ねられ、十字架の死まで歩んでいかれました。私たち一人一人を建て上げてくださるために、ご自分の満足を求めることなく、私たちを担ってくださいました。

 私たちは思うのです。キリストはたしかに忍耐してくださった。私たちの弱さとどうしようもないところを忍耐してくださいました。水曜日から受難節が始まりますが、キリストの御受難を覚える時、私たちはほんとうに感謝であると思うのです。しかし、一方で、私たちはキリストではありません。弱い人間です。ですから、キリストのようには忍耐することができない、とも考えます。もちろんその通りです。私たちはキリストのように忍耐することはできません。どうしても自分の満足を求めてしまうものです。

 この世界で、そして日々にさまざまなことがあります。ですから、どうにかほっとしたい、平安を得たい、そう思います。もちろん、隣人と担いあうことも大事だといわれるともっともなことだと思います。しかし、担いなさい、忍耐しなさいとばかり言われると、しんどくもなるのです。

 たしかにそうなのです。忍耐はしんどいのです。私たちは忍耐の源が自分の中にあると思っていたら、とても疲れてしまうのです。自分の力では、到底、忍耐などできないのです。本来、人間は、自分の満足を求めずに隣人の満足を求めては生きていけないのです。仮にひとときはできたとしても結局は燃え尽きてしまうのです。パウロは4節で「わたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。」と語っています。そしてまた「忍耐と慰めの源である神」とも語っています。旧約聖書の時代から、長い長い時代を貫いて神は忍耐の神でありました。アブラハムの時代から繰り返し反逆する民に忍耐に忍耐を重ね、担ってくださいました。ただ担ってくださっただけではありません。慰めをも与えてくださいました。

<慰めの源なる神>

 神は自らの罪のために傷つき、力尽きそうな人間に慰めを与えてくださいました。この慰めという言葉は、日本語でのニュアンスとは違いまして、本来、強い言葉です。英語でコンフォートと言いますが、これは「力を与える」という意味があります。人間は神の慰めによって深いところから力を与えられるのです。神は力尽きて倒れた人間を担われるだけではありません。力を与え、みずから立ちあがらせてくださる神です。旧約聖書のイザヤ書の40章には「慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる」とあります。これはまさに慰め主である主イエス・キリスト到来の預言の言葉でした。「エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ」イザヤの言葉は神への罪のゆえに国が亡び闇の中にいた人々へと響きます。まさに聖書に語られている忍耐と慰めの源である神からの希望の言葉です。人間の闇の中に輝いた慰めの言葉であり、倒れていた人間を立ち上がらせる言葉でした。その希望の言葉はキリスト到来において成就しました。キリストは倒れていた者を立ちあがらせる慰め主でした。

主イエスはそのご生涯において多くの奇跡をなされました。多くの人々を力づけ立ち上がらせてくださいました。たとえばマルコによる福音書5章に会堂長ヤイロの娘が癒される話が記されています。福音書によるとこの娘は主イエスが会堂長の家についた時すでに死んでいたとあります。しかし、主イエスはかまわずに会堂長の家の中に入っていきます。それを見た人々は主イエスの行動を馬鹿げたことと思ってあざ笑います。しかし、主イエスは少女の手を取っておっしゃるのです。「タリタ、クム」。これは「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい。」という意味のアラム語です。主イエスの時代、イスラエルの人々は旧約聖書時代のヘブライ語ではなくヘブライ語によく似た原語であるアラム語をしゃべっていたのではないかという説が有力です。実際、聖書の中には、イエス様ご自身の言葉としてアラム語が記されている箇所が何か所かあります。その一つがこの「少女よ起きなさい」の「タリタ、クム」という言葉です。「タリタ・クム」、まさに主イエスのその言葉で、少女はすぐに起き上がります。主イエスはただ娘を亡くして嘆いていた人々を言葉で慰められただけではありません。少女の手をとって「タリタ、クム」そういって立ち上がらせてくださったのです。ヨハネによる福音書5章ではベトサダの池のほとりで38年間病の中にいた人に「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と主イエスはおっしゃったという記事があります。「すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出した」とあります。

それらは単なる大昔の奇跡物語ではありません。旧約聖書から新約聖書全体を貫く神の人間への忍耐と慰めの現実を現す出来事でした。「タリタ、クム」という主イエスの言葉は今日においても、倒れている人を立ち上がらせるのです。力尽きてうずくまる人をふたたびその足で歩ませてくださいます。「タリタ、クム」「起き上がりなさい」主イエスの言葉は、弱い慰めではなく力ある言葉として、いえ力そのものとして、私たちを立ちあがらせてくださいます。

私たちは罪に死んでいました。しかし、十字架と復活の主から「タリタ、クム」という言葉を与えられ起こしていただきました。命の中へと起こしていただきました。忍耐と慰めの源である神に私たちは力を与えられ立ち上がらせていただきました。まさに「タリタ、クム」という主イエスの言葉によって立たせていただいた私たちであるゆえに「同じ思い」をいだかせていただき、「心を合わせ」「声をそろえて」互いを担い合うことができます。本来は忍耐などはできない私たちが「タリタ、クム」という主イエスの言葉によってたちあがらせていただいたゆえに互いに担い合うことができます。

7節以降、パウロは再びユダヤ人と異邦人について語ります。当時、もっとも互いに担い合えない存在であったユダヤ人と異邦人、その双方にパウロは語りかけます。キリストはユダヤ人としてお生まれになりました。ユダヤ人に仕えられました。しかしまた同時に異邦人の希望の源でもありました。「エッサイの根から芽から現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。(イザヤ11:10)」<エッサイの根より>という美しいクリスマスの讃美歌がありますが、キリストはユダヤ人にも異邦人にも希望の源となってくださいました。切り倒されて死んだかのようだったエッサイの切り株の根から主イエスご自身がこの世界に命をもって来られました。そして「タリタ、クム」と私たち立ちにおっしゃいました。このキリストの言葉のゆえに、力のゆえに、私たちは立ち上がり、互いに担い合います。そのとき、単なる情感的な共感や熱狂ではなく、まことに神の前にあって私たちは一つの心となります。


ローマの信徒への手紙14章13~23節

2018-03-05 16:43:22 | ローマの信徒への手紙

2018年2月4日 大阪東教会主日礼拝説教 「確信に基づく」吉浦玲子(当日、長老による代読)

<不自由な人への愛の配慮>

 何回かお話ししたことですが、クリスチャン以外の方から、時々「クリスチャンって偉いですねー」と言われることがあります。まだ会社に勤めていた頃、贅沢だったのですが、どうしても奉仕の関係で教会に行くのにタクシーで行かなくてはならなくなって、行ったことがあります。もちろん普段は電車で行っていたのですが、どうしても時間に間に合わずタクシーに乗ったのです。タクシーの運転手さんが、行き先が教会であるので、「毎週、教会に行かれてるんですか、えらいですねー」とおっしゃいました。運転手さんは、別に客商売だから、特別におべっかを使われたという感じではなく、熱心に教会ではどのようなことをするのかとお聞きになりました。そして「いやあ、毎週、教会に行かれるなんて、ほんとうに偉いですねー」と繰り返されるのです。「わたしには、とてもとてもそんなことはできませんわー」とおっしゃるのです。「いえ別にむずかしいことをしているわけではないですよ」と申し上げても「いやあ教会の方は皆さん、えらいですねー」と言われるのです。似たような体験は時々します。その根底には、宗教というのは戒律があって、宗教を信じて生きている人はまじめにその戒律を守っている人という感覚があるようです。つまり、自分の自由を放棄して戒律にしたがって生きている「偉い人」、「普通の人にはできないことをしてる人」という感じがあるようです。そういう方に、キリスト教は愛と自由が基本なんだと言ってもなかなか理解していただけません。

 すぐる週、食べ物のこと、あるいは、特別な日のことで、教会の中に分裂がおきていたことを共にお読みしました。それに対してパウロは、神学的に言えば、何でも食べていいし、特別な日を重んじることは不要なことだという考えを持っていました。食べ物や特別な日のことを気にするのは「信仰が弱い人」だと教会の中で言われていたことを、ある意味、パウロ自身もうべなっていました。いわゆる「信仰の弱い人」は肉を食べてはいけないという不自由に生きていた人だといえます。「信仰の強い人」は何でも食べていいという自由を得ていた人だといえます。

 しかし、ほんとうに問題なのは、食べ物のことにこだわる人、あるいは特別な日にこだわる人を「信仰が弱い」と見下し、馬鹿にすることだとパウロは語っていました。「わたしは信仰が強い」「あなたは信仰が弱い」と互いに裁きあうことをパウロは厳しく諌めています。今日の聖書箇所でも「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう」と語りかけます。もちろん、パウロは信仰において「なんでもあり」と考えていたわけではありません。異端的な考えや、本質的な誤りについては厳しく指摘しました。

それにしても肉を食べる食べないといったことで教会内が揉めるなどということは今日的には馬鹿げたことに思えます。しかし、すぐる週にも考えましたように、私たちは往々にして肉を食べる食べないレベルのことで揉めるのです。揉め事の根っこにあるのはだいたい肉を食べる食べないレベルのことなのです。一方で肉を食べる食べないのレベルではないこと、たとえば信仰告白のこと、聖礼典にかかわること、礼拝や教会組織の本質的なあり方についてなどの問題については、どうでもいいことでは断じてありません。

パウロはそのようなことを総括して、信仰者としては生まれたばかりの<赤ん坊>の人も、信仰的に<大人>でいわゆる自分たちで「信仰が強い」と言っている人も、共に、キリストの血と肉によって「主のもの」とされていることを覚えるべきだと語っていました。

 「主のもの」とされている者には、まず大事なことがある、そう今日の聖書箇所でパウロは語ります。「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心をしなさい。」とパウロは語ります。ここで「決心しなさい」とパウロは語っています。つまり、情感的に皆で仲良くしましょう、相手を傷つけないようにしましょうとパウロは語っているのではないのです。信仰的な判断に基づいて、神の前で決心をするのだというのです。信仰において、キリストの十字架によって、ほんとうの自由を得たはずの者が、実際はまだ不自由なところに囚われている人を糾弾するのではなく、愛の配慮をもって向かい合うべきだとパウロは言うのです。それには信仰の上での決心がいるのだと語っています。その決心こそが愛の実践なのだと語っています。

 実際、「何を食べても良い」という自由をキリスト者はすでに得ています。しかし、食べてはいけないと感じる人のために、その自由をいったん放棄することをパウロは選ぶのだと語っています。「信仰が弱い人」が肉を食べている人を見て心を痛めるならば、その人の前で肉を食べるべきではないとパウロは語ります。それはいってみれば「愛のゆえの決心」をするのです。パウロ自身、コリントの信徒への手紙では、「食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」と語っています。マタイによる福音書で主イエスは「口に入るものは人を汚さず、口から出てく来るものが人を汚すのである。」とおっしゃっています。旧約聖書において、清い清くないというのは大問題でした。細かい食物規定がありました。しかし、主イエスがすべてを新しくされたのち、神の前で清いもの清くないものはなくなったのです。むしろ、わたしたちの口から出る言葉、お前は信仰が弱いとか、分かっていないと言った裁きの言葉こそ、汚れたものなのです。その「口から出てくるもの」こそが人を汚すのだと主イエスは語っておられます。

<聖霊によって与えられる義と平和と喜び>

 「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」とパウロは語ります。「肉を食べていいんだ」と肉を食べる人が、肉を食べない人に忠告して、肉を食べない人が、心素直に理解できて受け入れることができるのであれば、問題はありません。しかし、頭では理解できても、やはり、どこかそこにわだかまりがあり、なんとなくつらい思いをして肉を食べるのであれば、その人にとっては、悪いことになります。その人にとって肉を食べないことが神に仕えるやり方だからです。もちろん、本来、清いものも汚れたものもありません。しかし、その人が心の中で、やはり汚れていると感じているのなら、その人にとっては汚れているのです。その人にとって汚れたものを無理やりに食べさせる時、その人にとっては、神から引き離される行為を行うことになります。つまり罪を犯すことになるのです。その人の信仰の確信をひっくり返すことになるからです。肉を食べることによって、その人は結局、罪を犯すのです。そして肉を食べる人がそこに導いたのであれば、肉を食べる人は肉を食べない人を罪へ誘ったことになります。

<罪に誘う行為>

 人を罪へ誘うという時、あからさまに背徳的な行為やみだらな行いへ誘うのではなく、むしろそれぞれの信仰の確信のズレがあり、無理やりに信仰の強い人が信仰の弱い相手を自分の考えに引っ張るとき、それが罪へと誘う行為になるのです。実際、こうした方が良い、こうすべきだ、逆にこうやってはいけない、ということは教会の中にも、日々の生活のなかでたくさんあります。

 私自身、受洗して間もないころ、クリスチャンなら、こうやるべきと、逆にこうやってはいけないと、いろいろと思いこんで自分でしんどい思いをしていたときもありました。しかし、そういったことが、ひとつずつ、やがて腑に落ちて来る時があります。これはこうした方が良い、これはしない方が良い、それは自分の信仰の確信に基づいていることが分かってきます。聖霊の働きによって分からせていただくのです。

 逆に、こうした方がいいんだけど、ちょっと嫌だなあということを無理に行うことはむしろそれは罪なのです。また人に対してそれを押し付ける時やはり罪になります。

 先週も申し上げましたように、仏教式の葬儀で焼香をあげるべきかあげないでおくのか、ハロウィンをどう考えるのか、それはそれぞれの確信に基づいて行えば良いことです。ハロウィンはどうでもいいのだと言って、ハロウィンは悪魔崇拝と考える人を無理やりハロウィンパーティに連れて行く必要はないのです。その人にとってはハロウィンは間違いなく悪魔崇拝で、その人を神から自分を引き離すものだからです。

 大事なことは「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」なのです。これはローマの信徒への手紙の前半で語られてきたことの総括でもあります。私たちは聖霊によって、キリストの十字架の意味を知らされます。キリストのゆえに自分がすでに義、正しいものとされていることを知らされています。神との平和を与えられ、喜びに満たされています。

 私たちは自分たちが肉を食べるとか食べないではなく、ハロウィンを祝う祝わないということでなく、ただキリストのゆえに義と平和をあたえられているところに立つのです。すでに神によって、そしてキリストの血によって、義と平和を与えられている者が、食べる食べないというところやハロウィンがどうこうというところで、つまり、<人間の側の行い>によって裁きあうことのないようにとパウロは語っています。そのような愚かなことで、私たちはふたたび「不自由な者」とされることはあってはならないのです。

 それはキリストの十字架の血と肉をないがしろにすることです。キリストの十字架の血と肉の出来事を、聖霊によって悟らされていく時、私たちはまことを平和を与えられます。愛に生きることを得させて頂きます。愛に生きることを決心して生きていく時、私たちと隣人、そして共同体の中にまことの平和が与えられます。