日記

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悪取空見、「一切は縁起し空である」縁起について

2024年07月28日 | ブログ
悪取空見の最たるは、一切空を理由として、悟れる、救われるとすることです。

まあ、もとから一切空なのであるのだから、それなら輪廻の衆生、迷い苦しむ自分なども、もとから存在しない、していないことになるわけです。

しかし、実際の現実は、自分自身も含めて、衆生は全くそんなわけなどはなく、一切空だからとして、悟れる、悟れている、救われる、救われているわけなどないのであります。

結局のところは、輪廻、迷い苦しみの原因となっている無明、煩悩を対治しない限り、悟れることなどないのであります。

また、「一切は縁起し空である」という場合の「縁起」は、世俗の側で「空」を理解するための便宜的な概念であり、仏陀、如来の側からは、「縁起」もあくまでも世俗、衆生の側の顕現してある世界におけることであるため、空性現量了解しかなされていない仏陀、如来には「縁起」しているものなど微塵にも認識されない、顕現されないのであります。

仏陀、如来が縁起してある顕現、縁起してあるもののありようを認識なさるのも、衆生一人ひとりの認識を借りて、その一人ひとりの顕現してあるありようからお知りになられるのであります。

次回にもう少し補足したいと思います。


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