日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

ともだち

2019年04月23日 | 出会った人たち
「そいでさ」

電話からこぼれてくる声が子どもみたいで可愛いなーと思って聞いていた。

私たちすっかりおばさんだし、私たちの子どもたちさえずいぶん成長したけれど、ふたりで話してると土手で遊んでる小さな子ども同士みたいな気持ちになる。

お行儀の悪い女の子がふたり、草の上に座って花をむしったり石を投げたり、でんぐり返しをしたり。

ずいぶん前だけど、退屈してたあなたを会議室から逃がしてあげて、ちゃんと手帳まで持ってきてあげたでしょ。
見た?って聞かれたから、見てないよと答えたけど、いろんな髪型をいたずら書きしてたって。

なんだ、だったら見ればよかった。

あ、いたずら書きのこと、バラしちゃった。






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着地

2019年04月19日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
同じように過ごしていても、体や気持ちの波ってあるよね。長い波、短い波、大きな波、小さな波。

ここのところ、いまいち落ち着かなかった。

いや、落ち着いてはいるけれど何かに耐えてじっとしているような。

家族が新生活に突入したり不調から回復を目指したりしていて、その手をじっと地味に持っている役だったかもしれない。

そういえば忘れてたけど私もずっと大変だったのかも。ほとんど過去のことは思い出さないけれど。

これで終わりではないけれど、みんながこのところの大きな波をそれぞれ一つ越した。

私にはとても前からの長い波が一つ終わった。

肩に乗せていた何かがふわりと天に昇っていくような。

長い跳躍から一旦着地したような。









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不幸なねずみ

2019年04月18日 | 日記
駅のエレベーターに「巡回中の職員が利用することがございます。ご理解とご協力をお願いいたします」と書いてある。
翻訳しても日本人以外には真意は伝わらない。
従業員がエレベーターを使うのを咎める人がいるという発想は世界的には珍しいから。

しばらく前に透明なアイスティとかアイスコーヒーが流行ったことがあって、少ししてから開発理由の一つを聞いて暗澹たる気持ちになった。仕事中に飲んでいるのを見られても咎められないからいいと。
これも世界的には、ああ、以下同文。

「俺たちは誰一人抜け駆けせずしあわせにならずお上に仕えるのだ」という強い規範を、どんなにグローバル化を迫られても、とことん馬鹿にされ騙され搾取されても、手放すことができないのが私たちなのだろうか。

不幸なねずみが狭い檻でお互いを噛み合うように、おまえひとりにしあわせにならせてたまるかという呪詛。

そうじゃなくて、みんなしあわせになろうよ、っていう考えもある。それが「人権」って呼ばれるものだよね。

そっちに、しようよ。







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ドライブ

2019年04月17日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
久しぶりに助手席に乗っている。

運転するのは、3カ月前にはブレーキをどの足で踏むのかも知らなかった娘。

義父が遺して以来ずっと乗っている黄色い車は、幼稚園児だった娘がドアに小さな指を挟んだ同じ車だ。

そういう計画ではあったけれど、ほんとに運転しちゃうんだ。

割増料金のお急ぎコースのほぼ二月で、人は運転できるようになるんだね。

初ドライブは漁港から橋を渡って江ノ島へ。

思ったよりもずっと上手。
落ち着いていて感覚がいい。
私はこんな橋、最初は怖くて渡れなかったかも。

ああ、なんかいろいろ、感慨深いよ。









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くまのスリッパ

2019年04月16日 | 命について
誕生日にもらったくまのスリッパが壊れてしまったのを見ないようにしてしばらく変な風にはいていたけれど、ついに息子に、それもうだめじゃない?って指摘された。

洗って繕ったらなんとかなるだろうかと自問してみたけれど、どうなおせるか見当もつかない。

ということで今日、お別れをした。

ずっと足蹴にしていたくまを撫でてからグレイの燃えるごみ袋につめた。
自分の足の延長だったのとかわいい形をしているのとで、後ろ髪を引かれながらゴミステーションに置いてきた。

そんな風にたくさんのものを使って使い捨てて私は生きている。
生き物を食べて環境から奪って。
原罪って言うけれど、生きていることはそれだけで幾多のものを引きちぎり千の罪を起因することだ。

返せる以上に許されながら、与えられながら、愛されながら。


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