空の巣
2024年04月11日 | 禅
少し深く潜って無音の水にゆらゆらと映るに任せると、立ち上がらせた仮の像(この場合は小鳥である私が見た巣)に角度に応じた色と意味がふわりと浮かびあがる。
どれも全てではないし暫定の意味合いだけどそれぞれが何かをまとっている。
もちろん空の巣というのは誰もが知る子育ての終わり。
番う時期、命懸けで産み守り育てる時の終わり。
だけどそれだけじゃない。
その空っぽさ、からっと気楽なちょうどよい小枝の乾燥具合を小鳥の私は好ましく思っている。
自分ひとりにちょうどいい寝床、でもなんならいつでも捨てることもできる。
というか三匹の子豚じゃないけどそもそも小枝だし、捨てることもわかっている。
いまはゆっくり楽しむことをして/終わらせているところ。
巣を。
簡素でシンプルな巣は私の過去の時間、無駄なものや終わったものは取り除けられ整えられ、私にだけわかる満足のいく素敵な作品、と同時に
わかった
巣は
私/前からの私
もう少ししたら
手放すらしい