朝6時に起床したものの、もう眠い眠い。朝ご飯の用意をして、食べ終わって二度寝、食器を片付けてまた。
デイサービスの送迎の時間には余裕はあったものの、殆どヨレヨレの状態で送り出す。さすがに9時過ぎたら、落ち着いてきたけども。
で、一段落したとこで、カズヒロ君から電話。たまたま振り替え休日になって、芋井の草刈りに来ているという。
先日、いもいの畑で収穫したジャガイモを渡したいって内容で、僕が今日、芋井の戦争展に行くって書いてたし、当然知ってるんだな。
これから出かけて、展示を見ながら、取材(?)して、現地で合流ってことでまとまる。会場の芋井公民館は、畑のある広瀬とは少し離れていて、別の道を上っていく。
保育園を過ぎて、少し行ったところに公民館はあった。正直、あまりアクセスが良いとは言えないが、芋井はどこでもそう。
正確には、「芋井 戦争と平和資料展」となっている。昨日から始まり、20日まで。2部屋を使って、遺影、手紙、日章旗、海軍の制服ほかが展示されている。
中心になって進めている、いもい農場の地主である和田さんに挨拶をして、30分ほど、ゆっくり見学して、そのあといろいろ質問。
芋井地域では、日露戦争、いわゆる十五年戦争(満州事変からポツダム宣言の受諾まで)に約500人が応召され、112人が戦死したという(志願兵もいたと聞いた)。
その全員の名前と、戦死した場所、年齢までが一覧になっていて、二百三高地から、満州、東南アジアまで。年齢は、16歳から38歳まで。
展示そのものは多いとは言えないものの、農作業体験をずっとしてきた場所で、リアルな戦争の記録が出てくると、結構衝撃を受ける。
特攻隊の兵士はいなかったが、シベリア抑留となった人は何人もいて、広瀬地区のある人は、死ぬまで、その体験を家族にも話さなかったという。
寄せ書きのある日章旗は、左は、出征したご本人が持ち帰ったもの。が、右は、ご本人がレイテ島で戦死。それをアメリカ兵が持ち帰り、そのまま保管。
そこに、東京の先生がたまたまホームステイした縁で、日章旗の存在が判明し、日本の遺族に返したいとの意向を受けて、65年ぶりに遺族のもとに返還されることになったという説明文が。
こうしたものは、散逸しないように、きちんと保管、展示して、次の世代に伝えていくべきものじゃないか、って僕は思うよ。
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