平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ユダはなぜイエスを裏切ったのか(11)

2006年04月24日 | Weblog
ユダの「裏切り」の真実を知ることは、キリスト教徒にとって非常に大切なことです。なぜなら、ユダの裏切りとその後のイエスの処刑は、キリスト教徒の反ユダヤ主義の原因の一つになっていると思われるからです。ユダが金に目がくらんでイエスを裏切ったという解釈は、中世のユダヤ人高利貸しの存在と結びつき、金に汚いユダヤ人、キリスト教徒を裏切るユダヤ人というイメージをつくりあげるのに力があったと思われます。

ユダが主観的にはイエスを裏切るどころか、イエスをメシアとして信仰していたこと、いやメシアと信じていたからこそ、裏切りのような行為に出たことを、キリスト教徒は知らなければなりません。それを知ったとき、ユダを真に赦すことができるようになるでしょう。

キリスト教徒の中には、自分が神の心になろうとする努力はしないで、終末の世にイエスが超越的なメシアとなって再臨することを待ち望んでいる人々がいますが、実は、彼らもユダと同じ心性の持ち主であるのです。

********************
 宗教の師というのは、あく迄、神と自己とをつないで下さる方で、神への道をさし示し、手をひいて神のほう迄ひき上げて下さる人なので、師を自分のほうにひきよせ、ひき下げて迄、自己の願望を果そうとするのは、誤った信仰態度なのです。ユダの行為を悲難する人々の中にも、それと同じような道を踏んでいる人もあるのですが、自分で気づかずにいるのです。宗教の道はあく迄、神のみ心である、愛と真と美の行為の人間になるように、精進努力することであり、その最も容易なる方法が、祈りによる神への全託ということたのです。
********************

五井先生のこの文章で、ユダに関する考察を終えたいと思います。