平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ユダはなぜイエスを裏切ったのか(4)

2006年04月14日 | Weblog
読売新聞の記事をもう一度引用すると、

********************
 13枚のパピルスに古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書は、「過ぎ越しの祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」で始まる。イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。
********************

「イエスが語った秘密の啓示」というのが、まさにグノーシス的です。師による秘密の知恵の伝授がグノーシスの特徴です。

また、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」というのは、イエスが「真の私」=霊なる自己と、「私を包む肉体」=牢獄としての肉体を区別していることを示しています。ユダがイエスをローマの官憲の手にわたし、その結果、イエスの肉体を殺したことを、霊なるイエスを、牢獄としての肉体から解放する手助けをしたこととして解釈しているわけで、典型的にグノーシス的です。この偉大な功績により、ユダは「すべての弟子たちを超える存在になる」という約束をイエスからもらうわけです。これは、ユダをイエスへの裏切り者として非難する、4福音書とはまったく逆の評価です。

「ナショナルジオグラフィック」のサイトはさらに詳しく内容を紹介しています。

********************
 この福音書には、ユダが弟子たちの中で特別な地位を与えられていることを示す記述がいくつかあります。たとえば、イエスは次のように語っています。「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」。イエスがユダにこう語りかける場面もあります。「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
 さらに福音書は、ユダは他の弟子から嫌悪されることになるが、彼らより高い地位に昇るだろうと予言します。「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう――そして彼らの上に君臨するだろう」と、イエスは言います。ユダ自身も、他の弟子たちから猛反発を受ける幻視を見たと報告しています。「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」
 福音書には、ユダの覚醒と変容を示唆すると思われる一節もあります。「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」。地上の人間たちは雲から聞こえる声を耳にするが、この部分のパピルスが損傷しているため、その言葉が何だったのかはわかりません。
 福音書の記述は、次のような場面で唐突に終わっています。「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した」。イエスが十字架にかけられることも、復活することも、この福音書には何も書かれていません。
********************
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_2.shtml

「トマスの福音書」は、イエスの死後、キリスト教教会によって正統的解釈として確立されたのとは異なった、イエスに対する解釈が存在したことを示しています。そして、そのようなグノーシス的解釈の中で、ユダにも異なった解釈が与えられたわけです。

それでは、「イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったから」という「ユダの福音書」の記述は、歴史の闇に埋もれていた「真相」の開示かというと、そうとは言えないと私は考えます。以下にその理由を述べます。