平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

昭和天皇の御製(2006年4月号)

2006年04月29日 | Weblog
 四月二十九日は昭和天皇の誕生日である。先帝が逝去されて、今年でもう十七年になるが、これだけの時間の経過は、昭和という時代を少しずつ歴史に変えつつある。そのような中で、いま昭和史関係の書物が数多く出版されている。筆者が最近読んで感銘を受けたのは、保阪正康氏の『昭和天皇』(中央公論新社)である。この本は、昭和天皇の御製、側近たちの日記や回顧録、昭和天皇と宮内記者との会見記を三つの主な資料として、人間としての天皇の想いを描こうとした書物である。

 昭和天皇は、日本が戦争の泥沼に入り、敗戦という未曾有の国難に直面する困難な時代に天皇の座にあった。二・二六事件や終戦の御聖断をはじめとして、その間の昭和天皇の政治的決断や行為については数多くの研究があるし、またそれに対する評価も、評する人たちの立場やイデオロギーに応じて様々である。しかし、昭和天皇は、立憲君主として、またすべての国民に対して「一視同仁」でなければならない立場上からも、ご自分の感情や本心については、つねに寡黙であられた。

 保阪氏の本を読んで驚かされ、また自分の無知を知らされたのは、昭和天皇が、生涯にわたって一万首もの和歌をお詠みになった、たぐいまれな歌人であったという事実である。昭和天皇が生物学者であったことはよく知られているが、すぐれた歌人でもあったことはあまり知られていない。とはいっても、この無知は必ずしも筆者だけのものではなく、ほとんどの日本人がその事実を知らないであろう。というのは、これまで宮内庁から公表されたのが、その中の九百首にすぎないからである。

 保阪氏の本で引用されているのは、いずれも公表された和歌ばかりであるが、それをその時代との関連で読むと、国民の幸福と世界の平和を願う昭和天皇のお心が痛いほどよくわかる。いくつか引用してみよう。

 昭和二十年の終戦のとき――

・みはいかになるともいくさとゝめけりたゝたふれゆく民をおもひて
・外国と離れ小島にのこる民のうへやすかれとたヾいのるなり

 昭和三十九年の東京オリンピックのとき――

・この度のオリンピックにわれはただことなきをしも祈らむとする

 昭和五十年――

・わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎを祈る朝々

 昭和天皇は祈りの人であった。こういうお方を天皇とした日本人は、その幸福を心から感謝しなければならない。宮内庁には、ぜひとも先帝陛下の全歌集を出版していただきたいものである。