平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ユダはなぜイエスを裏切ったのか(5)

2006年04月16日 | Weblog
ユダがローマの官憲にイエスを引き渡したこと、そしてその代価として金を受け取ったことは、4福音書だけではなく、「ユダの福音書」も認めています。「ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した」とあるからです。そして、その結果として、ユダが他の弟子から迫害を受けたことも「ユダの福音書」はほのめかしています。「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」とあるからです。

これはいわゆる事後予言の典型です。ある出来事が起こったあとで、それ以前にこれこれしかじかの予言や幻視があったという話を作り上げ、その予言が実現した、と言うのが事後予言の構造です。

しかし、こういう記述からすると、ユダがイエスの弟子たちの間で憎まれたこと、そしておそらくは不審な死を遂げたことはたしかだと思われます。

「マタイの福音書」では、ユダは、受け取った「銀貨30枚」を神殿に投げ込んだのち、首を吊って自殺したと書かれています。ユダの自殺の記述は「マタイ」にしかなく、「マルコ」、「ルカ」、「ヨハネ」にはユダの「その後」については書かれていません。「使徒言行録」には、ユダが「不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました」とあります。

おかしな記述です。土地を買ったのはわかりますが、その地面に落ちて死ぬというのは、その土地がよほど高い崖のそばということになります。そんな条件の悪い土地をわざわざ買うでしょうか? 崖から落ちて死んだとしても、事故なのか自殺なのかよくわかりません。ひょっとしたら、イエスの信奉者による殺害かもしれません。

イエスはユダヤの民衆からメシア=救世主として期待されていました。そういう重要人物を裏切ったわけですから、民衆の中にはユダを殺そうとした者が出てもおかしくありません。殺害を事故や自殺と見せかけるのは、昔も今もよく行なわれる偽装です。「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」という「ユダの福音書」の記述は、ユダが12弟子たちに殺されたという伝承も存在していたことをほのめかしています。そういう伝承は、正統派キリスト教会からは当然、抹殺されたでしょう。

いずれにせよ、4福音書と「ユダの福音書」では、ユダがイエスをローマの官憲に売り渡し、その代償としていくらかの金をもらい、他の弟子たちから憎まれた、ということが共通です。したがって、そういう一連の事実が存在したことは疑いえません。ユダの死についてははっきりしませんが、悲惨な死を遂げたことはたしかだと思われます。

ところが「ユダの福音書」は、そういう事実をふまえた上で、ユダをイエスの一番弟子とする逆転の解釈を打ち出しているわけです。

つまり、イエスを金と引き替えにローマの官憲に逮捕させたという事実に対して、4福音書は、金に目がくらんだユダの裏切りという解釈を加え、「ユダの福音書」はこれをグノーシス的に、イエスを肉体から解放してやる行為と解釈しているわけです。4福音書の解釈が非常に素朴な解釈であるのに対し、「ユダの福音書」の解釈は相当に「ひねくれた」解釈です。師を裏切った弟子を、師の真意を実行したとほめたたえているわけですから。

私は「ユダの福音書」の解釈を受けいれられません。その理由は、それが4福音書に示されている正統的なキリスト教の解釈に反するからではありません。ユダを特別な存在としているからです。

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「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」
「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」
「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」
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これらの記述はいずれも、ユダをイエスから特別な秘伝的グノーシスを授けられた人物として描いています。しかし、4福音書の様々な記述からすると、イエスは、貧しき人々、罪ある人々、無学な人々と積極的に交わり、彼らに救いをもたらそうとしています。イエスは、万人の救いを目指したのであって、一部の知的エリートを対象にしたとは思えません。このエリート主義もまたグノーシスの特徴の一つですが、これほどイエスの人間像から遠いものもありません。

私の見るところ、「ユダの福音書」はイエスとユダの師弟関係に関する、エリート主義的・グノーシス的解釈であって、実際の事実ではないと思います。

それでは、ユダは金に目がくらんでイエスを裏切ったという4福音書の解釈が正しいかというと、これもあまりにも単純で表面的だと思います。


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