平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ユダはなぜイエスを裏切ったのか(8)

2006年04月19日 | Weblog
私は新約聖書学に詳しくないのですが、ユダの裏切りの理由として最近出ているのは、ユダを熱心党と結びつける議論です。熱心党というのは、武力によってユダヤ民族のローマからの解放を目指す武闘派グループです。

イエスの死後、西暦66年に熱心党はローマ帝国に対する大反乱を起こしますが、これは弾圧され、エルサレムのユダヤ教神殿は徹底的に破壊されました。そのとき残った壁が今日「嘆きの壁」として知られています。

この敗北にもめげず、ユダヤ人は132年にもバル・コホバという人物を中心にして2度目の大反乱を起こします。当時のユダヤ教の指導者はバル・コホバを「メシア」と認定します。しかし、この反乱も徹底的に弾圧され、ここにユダヤ人の世界離散=ディアスポラが決定的になります。

このように、その当時のユダヤ人は「メシア」という語に軍事的指導者を重ね合わせていたのです。ユダが熱心党員であれば、当然、イエスにそういう役割を期待したでしょう。

この解釈に基づく小説を、ドイツのルイーゼ・リンザーという女流作家が書いています。1983年に発表された『ミリアム』という作品ですが(邦訳なし)、ミリアムというのはマグダラのマリアのことです。これはミリアムの視点からイエスを描いた小説です。

この小説に関する論文から引用します。

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 リンザーのキリスト小説は,ヨーロッパで確立した正統的キリスト教が原始キリスト教から切り捨て,忘却してしまった部分を回復する試みであるが,その忘却されたものの第一は,イスラエルの政治状況であり,リンザーによれば,ユダがイエスを裏切った動機はこれと密接に関係しているのである。この小説では,ユダ=イェフダは単なる守銭奴ではない。イェフダはイスラエルのローマ帝国からの独立解放を目指す革命的知識人である。彼はこう主張する。――

 ラビ〔イェシュア〕は愛と平和について語っている。さて,イスラエルに対する愛とは何か? それはいったい何か? イスラエルが没落することを拱手傍観することか? それとも,イスラエルを愛するとは,その解放のために戦うことではないのか? 戦う者は殺す。イスラエルを愛するということは,何千人ものローマ人を殺すということなのだ。(Mi 91)  

 革命家イェフダは,イェシュアが貧乏人たちに金を簡単に与えてしまうことに我慢がならない。この点において,彼は福音史家が書いたように,悋嗇である。しかし,それにはそれなりの理由があるのだ。なぜなら,そんなつかみ金を与えても,それは貧乏人の一時的な気休めにしかならず,異民族に支配されているユダヤ民族の苦しみは,根本的には解決されないからである。そんな無駄金を与えるより,その金を蓄えて,武器を購入し,来るべきローマへの反乱にそなえたほうが,それをはるかに有効に生かすことができる,とイェフダは考える。自分自身もかつてはユダヤ民族の武力解放を夢見たことのあるミリアムは,イェフダがイェシュアの教えに加える解釈は間違いだとわかってはいるが,心のどこかで彼の議論を認めている部分もある。イェフダは愛国者ではあっても,卑劣漢ではない。リンザーはミリアムの口を通してイェフダの名誉回復をはかる。――  

 ヨハナンは後にイェフダについて,彼は盗人だった,と書いた。悪意に満ちた言い方で,真実ではない。私たちの間にもこんな悪意が生じただなんて,残念なことだ。真実は,イェフダは一つの財布ではなく,二つの財布を持っていた,ということである。彼は第二の財布には,私たちがすぐには必要としない金をしまっておいたのだ。その金は何のために使うつもりだったのか? 自分のためではない。彼は一ディナルといえども自分のふところに入れはしなかった。彼はその金をローマ人に対する蜂起のために,集め,蓄えた。そして,その蜂起は必ず起こるし,イェシュアがそれを率いることになるだろう。イェフダはそういうことをあからさまに言いはしなかったが,彼がそのように考えているということは,ますますはっきりとしてきた。かわいそうなイェフダ。絶望に駆られた革命家。(Mi 64)  
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http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/Rinser/mirjam.htm

イェフダ=ユダは、熱心党的心情の持ち主として、イェシュア=イエスに、ローマへの蜂起のリーダーになることを期待していた、というのです。(この作品では人名はすべて、当時ユダヤ人が使っていたアラム語の発音で表記されています)

ユダは、イエスがユダヤ民族の救済者=メシアになることを望んでいました。その当時のユダヤの民衆にとって、メシアとはあくまでも現実生活の救済者であったのです。どこにあるかわからない、目に見えない「神の国」での救済など、彼らは理解することができませんでした。「神の国」が到来する、とは、彼らにとって、ユダヤ民族がローマから解放されて、自由で平和で豊かな生活を送れることでした。そのためには、武力による闘争しかない、と考えたのが熱心党です。熱心党にとっては、メシアとはダビデのような偉大な軍事的指導者でした。

私は先に、ユダの裏切りは、ユダにとって本来、イエスとの間の「できレース」のはずだった、と書きました。

リンザーによると、ユダは、金と引き替えにイエスを売るという行為を通して、イエスを、自分はメシアであると宣言する場に連れ出そうと計画したのです。しかも彼は、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」というイエスの言葉によって、自分の計画はイエスにも認められたものだと早合点をしたに違いありません。そこで彼は、これでイエスはメシア(軍事的指導者)になるという期待をこめて、正々堂々と大勢の弟子たちの前で、イエスを官憲に売り渡したわけです。イエスがついにメシアとしての宣言をするのですから、彼の行為は、イエスにも弟子たちにも、褒められて然るべき行為ということになります。

しかし、彼の思い込みは根本的に間違っている、とリンザーは言います。

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 しかし,イェシュアが考えている神の国は,ユダヤ民族の政治的な解放による地上的な王国ではなく,人間精神の解放であったが,この点をイェフダは最後まで理解することができなかった。彼は奇蹟力と民衆動員力を持つイェシュアに,民族独立運動の指導者,民族の救済者として立ち上がることを期待した。つまり,イェフダはイェフダなりに,イェシュアをメシアと信じていたのである。

 そもそもユダヤ人のメシア観には,二つの要素が混在していた。アレックス・バインは,「ユダヤ的なメシア観においては,当初から二つの見解が区別できる。一方において,それはダビデ家の子孫から生まれる地上的・自然的な救済者にして支配者の形姿であって,彼はユダヤ民族を解放し,集め,その国へと連れ戻す。他方において,それは超自然的な存在者,世の終わりにおける神的なメシアの理念であって,彼は世界審判と死者の復活によって神の国を到来させる」[7]と述べているが,イェフダがイェシュアに期待していたのは,まさに「地上的・自然的な救済者にして支配者」であるメシアとなることであった。イェフダばかりではなく,その当時の大部分のユダヤ人が待ち望んでいたのは,このような現実的なメシアであった。しかし,イェシュアはみずからをあくまでも精神の解放者と見なし,イェフダの要請を拒否する。イェシュアはイェフダにこう教える。――

 君たちが君たち自身を変えなければ,何ものも変わらないだろう。君たちが心の中に平和を持たないならば,地上に平和は生まれない。君たちの兄弟たちと平和を結ぶのだ。自分の敵だ宣言した者たちと平和を結ぶのだ。(Mi 132)

 君の考えは間違っている,イェフダ。君は救済は外からやってくると考えているが,それは内からやってくるのだ。(Mi 139)  

 イェフダは,いつまでもユダヤ民族の解放に立ち上がらないイェシュアにしびれを切らし,イェシュアを逮捕させ,議会で尋問させれば,ついに彼も窮地に追い込まれて,みずからをメシアであると宣言するのではないか,と考える。イェフダの裏切り――それはイェシュアをメシアとするための策略だったのである。しかし,イェシュアはみずからをメシアとは宣言せず,従容として死におもむき,イェフダの夢は無残にもくだけ散ってしまう。

 リンザーによれば,イェフダが責められるべきなのは,彼が金に目が眩んでイェシュアを売ったからではない。彼の過ちは,彼が政治と宗教,権力と精神の相違を最後まで悟らず,その民族への愛のゆえに,イェシュアを政治的・軍事的なメシアと誤解してしまったところにある。しかし,一人の偉大な人間に出会ったとき,彼に精神的な救済ばかりではなく,地上的・現実的な救済をも願わない人間などいるだろうか。イェフダの誤解は致命的な誤解ではあったが,誰にでも起こりうるきわめて人間的な誤解でもあった。十字架上のイェシュアを見ながら,イェフダの自死の知らせを聞いたとき,ミリアムはこう考える。――

 イェフダ,かわいそうなイェフダ。
 今や私は泣いた。イェシュアのために泣いたのではない。イェフダのために泣いたのだ。三年間,私たちの仲間の一人だった。彼ほどイェシュアを熱烈に,死ぬほどの熱情を込めて愛した者はいなかった。私たちと一緒に三年間。それは記憶から消されはしない。決して消されはしないのだ。(Mi 297)  

 このようにしてリンザーは,イェフダを誤解せる愛の証人として,キリスト教に甦らせようとするのである[8]。  
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http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/Rinser/mirjam.htm

リンザーのこの解釈は正しいでしょうか?