平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ユダはなぜイエスを裏切ったのか(3)

2006年04月12日 | Weblog
平凡社の大百科事典は、グノーシスについて以下のように解説しています。

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キリスト教と同時期に地中海世界で興った宗教思想運動。〈グノーシス gnosis〉はギリシア語で知識を意味するが,ヘレニズム宗教思想の場合意味が限定され,人間を救済に導く究極の知識をさす。グノーシス主義もこの流れに属するが,それと別に既成の世界に対する鋭い批判を含んでいる。この思想運動は後1世紀のローマ帝国辺境に興り,2~3世紀に最盛期を迎える中で次々と新しいセクトを生んだ(ただし,しばしば誤解されるようにキリスト教の分派〈異端〉としてではなく,独立に成立した)。発生地域はローマ辺境すなわち地中海沿岸のエジプト,シリア・パレスティナ,小アジアにほぼ限られている。こうしてグノーシス主義はキリスト教やギリシア哲学諸派との間に緊張を引き起こすことになり,当時の思想界に少なからぬ衝撃を与えた。しかし4世紀以降一部を除いて急速に衰える。
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グノーシス思想の特徴は、「反宇宙的霊肉二元論」とまとめることができるでしょう。霊肉二元論というのは、人間を霊と肉体から成るとする人間観で、古今東西広く見られる思想です。キリスト教も、肉体に重きを置かず、霊の救済を重視する一種の霊肉二元論です。

キリスト教はユダヤ教をもとにして発生し、ユダヤ教の聖典である、いわゆる旧約聖書も聖典として認めています。ユダヤ教の神ヤーヴェは宇宙の創造神で、この世界を「善きもの」として創造しました。したがって、この世界に悪や不正や戦争があったとしても、それは究極的には神の意志の現われであって、世界は根本的には善きものなのです。

グノーシスは、イエスの死後、キリスト教が徐々に一定の教理をそなえた宗教として成立する同じ時期に、同じ地中海世界で盛んになりました。グノーシスもキリスト教と同じく霊肉二元論なのですが、それが極端に現世を否定する点が異なります。

グノーシスによれば、宇宙を創造したのはデミウルゴス(ヤルダバオト)という悪なる神です。人間の本質である霊は、神と等しいものですが、デミウルゴスは、霊をとらえるための牢獄として、この世界と肉体を創造しました。肉体の牢獄にとらえられた人間は、自分の本質を見失っていますが、彼に知恵=グノーシスが訪れると、この牢獄から自分を解放し、霊なる自己を再発見し、天なる真実の神のもとに戻ることができるとされています。

グノーシス思想はキリスト教と類似する要素もあるので、キリスト教に浸透していき、「キリスト教グノーシス派」あるいは「グノーシス的キリスト教」と呼ばれるグループができました。平凡社大百科事典によれば、正統的キリスト教とグノーシス的キリスト教の教義上の違いは、

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星辰界も含めて被造世界を悪とするグノーシス主義が,創造神の行為を否定的に評価する点。同様に人間の魂は被造物ではなく,神と同質のものであるとする点。このように神と人が本質的に同一であるならば,人間は本性上救われていることになり,改めてキリストの救済を必要としない(ことになりかねない)点。人間の身体がいやしい被造物であると考えるため,しばしばグノーシス主義は,キリストの身体性を否定する仮現説(ドケティズム)をとっていた点など。
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にあるとしています。

正統派キリスト教においては、人間は罪ある存在で、イエス・キリストを信ずることによってのみ救済されます。父なる神と子なるイエスと聖霊は、違っているけれど本質においては同じという「三位一体」の教義にもありますように、イエスは特権的な存在です。

これに対して、グノーシスにおいては、イエスは知恵=グノーシスの体得者で、グノーシスの教師とされます。もちろん、イエスは立派な存在には違いありませんが、ほかの人間も本質においてはイエスと同じ神なのです。グノーシスを体得すれば、誰でもイエスと等しくなれるのです。こういう教義は、イエスを特別視し、イエスへの信仰によって救済を説く正統派キリスト教からは異端視されました。

エジプトのナグ・ハマディで発見された文書からは、グノーシス関係の文献が多数発見されました。その代表が「トマスの福音書」です。この福音書は知恵の教師としてのイエスの語録を集めています。「トマスの福音書」の冒頭の言葉は、

「そして彼(イエス)は言った、この言葉の解釈を見出すものは、死を味わわないであろう」

です。イエスを信じることによってではなく、イエスの言葉の正しい解釈を行なう知恵を有するものが、永遠の生に入れるというのです。

「トマスの福音書」の4福音書との違いは、「トマスの福音書」が、万人の中にイエスと同じ神の光があるとしたことです。「イエスだけが神の光の受肉であると主張するヨハネは、この光は万人の中にあるとするトマスを退けた」とエレーヌ ペイゲルス著『禁じられた福音書―ナグ・ハマディ文書の解明』(青土社)は論じています。

今回、復元・解読された「ユダの福音書」は、ナグ・ハマディ文書と近い関係にあります。

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 古文書学による筆跡の分析でも、この写本とナグ・ハマディ文書はきわめて近い関係にあることがわかったとエメルは言います。「研究者として何百ものパピルス写本を見てきましたが、これは間違いなく、典型的な古代コプト語の文書です。100パーセントの確信があります」
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http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_2.shtml

筆跡、言語がナグ・ハマディ文書ときわめて類似しているばかりではありません。その内容もきわめてグノーシス的なのです。