平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ユダはなぜイエスを裏切ったのか(7)

2006年04月18日 | Weblog
イエスほどの人間であれば、人の心を読むことなどは簡単だったに違いありません。福音書の様々な記事は、そのことを示しています。したがって、イエスがユダの裏切り計画を見抜いていたことは確実です。

福音書を読んで私が奇妙に思ったのは、イエスがユダの裏切りを事前に察知していながら逃げなかった、ということではありません。イエスは、ユダが自分を裏切るということを知りながら、あえて逃げ隠れせず、自分の肉体を十字架に磔にすることによって、人類に大いなる救済をもたらそうとしたことは確実だと思われます。

私が奇妙に思ったのは、ユダが、イエスがユダのたくらみを知っている、ということを知っていたことです。ユダは、自分の計画がイエスにはとっくにばれているということを知りながら、あえてその計画を実行に移したのです。私が知るかぎりでは(といっても、そんなに知っているわけではありませんが)、この奇妙さを指摘した学者はまだいないようです。

「マタイ」では、イエスは最後の晩餐の時、「はっきり言っておくが、あなた方のうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言います。「マルコ」でも「ルカ」でも同様のことを言っています。ユダは、イエスが名前こそ出さなくても、自分のことを指しているということをすぐにわかったはずです。「ヨハネ」では、イエスはわざわざユダに向かい、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」とまで言っています。

このような言葉を聞いたユダは、イエスが自分の計画を見抜いている、と確信したに違いありません。もしユダが本当にイエスを裏切るつもりであったなら、ユダは恐ろしくなって、身がすくんだことでしょう。相手はなにせ、死人をも甦らせる超人です。そんな人を裏切ったら、自分がどんな目に遭うかわかりません。ユダは、自分の計画が見抜かれたとわかった時点で、イエスのもとからいち早く逃走するか、イエスに平伏して謝罪したはずです。

ユダはそのどちらもしませんでした。彼が計画通りの行動に出たということは、自分の計画はイエスに認められていた、と彼が信じていたことを示しています。

卑近な言い方になりますが、この裏切りは、ユダにとっては本来「できレース」であったのです。この裏切りはイエスとユダの間の秘密の了解事項であった、とユダは信じていたのです。ユダはイエスに、「私はあなた様を裏切るような行動に出ますよ。それでもいいですか」と心の中で問いかけたに違いありません。それに対して、イエス Jesusから「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」という答え、文字通り「イエス Yes」の答えをもらっていた、と彼は信じていたのです。そこで彼は計画通りの行動に出ました。ユダは自分の行為になんの恐れも疚しさも感じなかったに違いありません。なぜなら、それはイエスの命令であったと信じたからです。ところが、本来「できレース」であったはずのものが、思いもかけない結末を迎えたところに、ユダの悲劇があったのです。