おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

警察消防という自治の原点

2009年09月24日 03時55分15秒 | Weblog
ブログなどで、他の地域の消防団の火災出動状況を見ると、年に一回ぐらいか、あるいは何年も火災出動してないとか、他には、隣町の大網白里町消防団でも去年一年出てないとか、そういう話が多い。

しかし私のところでは月に3~4回出動している。今年は、自分の地区ばかりに火災が発生し、しかも三軒も全焼している。

春には連続放火事件があり、犯人は全く無関係なところに二名いて両方とも逮捕された。

東金市の火災発生状況を見ると10日に一回起きている。これは他からすると多いんじゃなかろうかと思う。

それで出動にあっては、班長の出勤時間が深夜2時で正午ぐらいには帰宅する人なので、私は深夜零時から朝8時までがだいたいの勤務時間であるから、たいがい2人で出て行く。我々2人がいない時間帯は、他の団員が勤務時間ではない深夜であるため、平日の早朝から正午を除き、ほとんどの時間帯をカバーしている。したがって我が班は出動率が極めて高く、火災現場到着も常にベスト3には入り、半分の確率でポールポジションをとる。

今年度の火災出動率は私と班長で九割強を占めている。したがって東金市の火災という火災は全ての出動要請に応じている稀有な班だと考えられる。そして現場での活動も、炎上している場合は、水の中継よりも最前線の放水が多い。

だから年がら年中ホース洗いをしているような感じで、平和なときのほうが少ない。

これが消防団として普通だと思っていたが、どうも違うようだ。

東京の消防団なんかは成り手がいなくて七十才のおじいちゃんがたがやっているらしく、団員不足に歯止めがかからないという。

なぜ消防団が必要なのかと言うと、常備の消防署だけでは人員と水が足りないからである。それを住民がカバーするというのが近代消防の体制であるが、近代以前に立ち返れば、消防は行政機関の業務ではなく、住民自治でなしたわけで、これは警察機能についても言えるが、江戸時代の十手持ちはヤクザ出身などの民間人である。

これらを近代に入ってからは税により成り立たせ、自衛から他衛が始まった。自治から他治へ、お金さえ払うからあとはやってくれという発想にある。

確かに現代では、特殊な化学車両や高層ビルへのハシゴ車など必要で、専門的技術者としての消防官も必要であるのだが、それによって、他治というリスクを負う。


今朝、私がやったシャブ中野郎の捕物も、民間人の協力なくしてはうまくいかぬことであるのだが、警察官はなるべく民間人には協力させまいとする。これは彼らの意地であるのだろうが、そんなことをしているから地域の密着性を離れてしまい、情報の不足が起きる。


かつて地方自治を管轄する自治大臣は消防行政を管理する傍ら、国家公安委員長の兼務も慣例化されていた。

このように自治の原則は治安の維持であり、国の政治のいの一番は武の政治なんであって、それがあってこそ、教育・文化・法律という机上のものと経済・産業・財政が成り立つ。

しかし現代の発想はいつも財政が先立ち、あるいは法律がどうであるとか、教育をいかにしなければならないと論じられる。

今の政治は、自治という原点に立ち返るべきであろうと思う。

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