おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

貨幣は大地を殺し、大地は貨幣を生かす

2009年12月06日 20時15分39秒 | Weblog
平和党南関東ブロックの愚樵さんに触発されて、いろいろ考えてみた。

中沢新一『純粋な自然の贈与』より引用。

 農業による大地は、たくさんの価値を生み出した。栽培植物は森の動物よりも、ずっと人間の意志にすなおに応えてくれるので、以前のように森の神にデリケートな倫理的配慮をおこなう必要が、少なくなったのである。おまけに穀物は貯蔵がしやすいし、量を計算することもできる。もちろんここでも、大地をつらぬいて流れる贈与の霊が、穀物や根茎の実りをもたらしている。十粒の種を春にまけば、秋にはそれは数千粒に、増殖をおこなう。農業の根底にも、自然の贈与があるのだ。だが、その贈与物は、貯蔵や持ち運びに便利で、しかも計量できる。贈与という行為では、相手があたえてくれるものを、計算したり、価値に見合ったものを返礼するのは、いやしい、倫理にはずれたことだとされていた。ところが、農業というかたちで、人間にあたえられる自然の贈与物は、持ち運びも貯蔵も計量もしやすい。人類は、「死への恐れ」につきうこかされて、農業をはじめた。財産はたしかなものとなり、所有は堅固な形式をもつようになった。そして、そのかわりに、自然との契約の精神を失いはじめた。農業には「死への恐れ」、所有の喪失への恐れが潜在している。ここから商
業の世界までは、一歩なのである。
 貨幣の起源神話に、そのことがはっきり表現されている。ブリギアのミダス王は、ディオニュソスから、手に触れるもののすべてを金に変える贈り物をもらった。ところが王はこれを乱用して、おかげで黄金の砂漠の中で、飢えと渇きで死にそうになってしまった。そこで王は、神にこの贈り物をとりあげてほしい、と頼んだ。ディオニュソスはそこで、王にパクトーロス川での水浴を命じた。そのせいでこの川からは砂金が採れ、貨幣を鋳造できるようになった、というのである。
 貨幣は大地を殺す、とこの神話は語っているのである。ディオニュソスの贈与は、大地が持っていた贈与する能力を殺害するのである。自然の贈与によって、「無」から「有」の発生が可能になる。ところが、貨幣は、「無」から「有」をつくりだす能力を持っていない。「有」を別の「有」に変態させることができるだけだ。そのために、貨幣の登場によって、贈与の霊は致命的なダメージを受けることになる。貨幣が社会の富を貯蔵し、流通させる手段として発達するようになると、人間の生きる世界の底部では、いっせいにあの「充溢した無」の領域への開口部が閉じられはじめるのだ。貨幣の出現を準備したものは、農業である。貨幣にいたって、「死への恐れ」に対処しようとする欲望は、完壁な表現のかたちを見出すことになる。ミダス王を飢え死にさせようとした貨幣は、それ自身が死の様式としてできている。つまり、貨幣による経済の発達は、死の様式によって、「死への恐れ」をのりこえようとする試みだった、といえる。


【引用終わり】

古代人の狩猟採取は、現代人の農業に当たるが、古代人にとっての農耕は、人の手が大きく介入している現代人からすると工業的だったものに違いない。

そしてストックできる富は、現代人にとっては貨幣だが、古代人にとっては穀物に相当するだろう。

そこから人類は争いを始めたものと思われる。


貨幣は大地を殺すというこの事実はいまもなお進行している。

一方、大地は貨幣を生かす。プラス利子であってもマイナス利子であっても、大地は貨幣を生かす。

大地から生み出す産物が経済を作るからである。しかし貨幣とりわけプラス利子は大地を殺す。

大地ばかりか人を争いに巻き込み、貧富を作り、病気を作る。

したがって、貨幣を基準にするのではなく、大地を基本にした政治が必要となってくる。

大地を基準にした貨幣制度では、減価する通貨制度が必要であるが、私は昨年からか一昨年からか、いつの間にか、「貨幣制度の改革」が基軸になるのではないと感じるに至った。

それは生まれ育った東京を生まれて初めて離れ移り住み、やや田舎での生活を始めたこともあるが、決定的であるのは我が党あさっての内閣メンバーである早雲財務相の言葉である。それは「貨幣は道具である」ということだ。

自然主義経済自体は、貨幣は道具であるから貨幣に埋もれるなと教えておきながら、貨幣制度の改革が全ての改革をもたらすとしている。

しかしながら、これは貨幣を道具と見ていない考え方であることに気づいた。

貨幣はあくまでも、大地の道具なのであって、例え減価する通貨といえども道具の一つにすぎない。

したがって、大地を殺さない貨幣を作る必要はあるが、拠って立つは大地なのである。

だから若干の修正変更として「土地」に対する政治経済という方針にして、党メンバーで、土地とりわけ農地に向かって常に活動を始めたわけだ。宅地という貨幣取得目的の土地開拓ではなく、農地・山林原野という「大地」に向かっての働きかけである。


歴史のサイクルは、「流通・金融・商業」を商人感覚の守銭奴政治が推進し、貧富格差が生じて、貧困層が暴れ出し破壊する。

そして次の新しい時代に切り替えていくのは武勇性を持った武人たちが、貨幣中心をやめて土地に戻り開拓してきている。

アメリカ大陸の開拓も、徳川政権開幕も、時代の切り替わりはことごとく土地に戻る。


したがって、大地を切り開いてこそ、自然通貨は生まれてくるのであって、決してその逆ではない。私がシルビオ・ゲゼルの自由貨幣論には賛同できても、自由土地論に賛同いたしかねる部分はここにある。

自由土地論というのは、土地を貨幣の価値基準に当てはめてしまっている。標準とすべきは土地である。貨幣ではないのだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿