「大きいことはいいことだ」とされたのは前世紀で終わりです。
産業も重厚長大から軽薄短小に移りました。
今度は国家が、重厚長大から軽薄短小に移るでしょう。
国家にとって、重厚長大が利益をもたらすのは、より多くの資源、より多くの食料、より多くの貨幣獲得の機会に恵まれるからです。
したがって、先の大戦ではより多くの植民地、より多くの領土を求めて争われました。
その後、植民地のほとんどは独立しましたが、今でもお金の力、大資本によって植民地と同じ状態です。
自然主義経済が各国で導入されると、楽して得たお金の力によって、遠くの生産物を買う・・・ということがなくなります。この結果、格差社会は国内・国外を問わず解消されます。
これはつまり国家政府にとってみれば、徴税利権が薄くなるということです。政府にとって徴税利権がないのであれば、宗教や思想の要因を除けば、戦争をする必要もなくなります。
自然主義経済は、貨幣所持が損害をもたらすため、余剰金は公共の福祉に回されます。したがって、徴税によって政府が公共事業をなす必要性も、社会保障を調整する必要もなくなります。
ならば、国家政府というものは大きくて損、小さくて得ということになります。
この「小さくて得」という国家制度が自然に調和したありかたなのです。
インドという国は、我々彼らをインド人と呼びますけれども、そもそもは彼らは「インド」であるという意識がない。インドと名付けたのは英国です。あの半島を一挙に植民地にしたときにそのような名称として認識させたのであって、インド人自体はあれだけ広い最北端から最南端まで、同じ国家であるとは考えていなかったのです。「インド」国内は言語も多数存在するし、民族も違う人たちです。
それが植民地から独立することによって、同国としての認識ができただけの話です。したがって、インド以外でもすべては、西洋諸国の価値基準によって国境がひかれただけの話です。
これはインドだけではありません。インドネシアは二億人の人口がいますが、島が何百もあり、言語も何万とある。民族の数もけた外れに多い。ところがここも植民地支配によって一国と勘定されるようになったのです。
タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマーみなそうです。たとえば、ミャンマーにはミャンマー語があるけれども、それはあくまでも首都で使われていた言語を国家として統一しただけのことであって、ミャンマー語が話せない住民も奥地にいます。
地図に書いてある国境線というのは、彼らを支配した西洋諸国が勝手に引いたものであり、日本の右翼の人たちが言っている「国粋主義」というものも、西洋諸国が作った価値観なのであって、日本の本来の民族意識にあったものではないのです。
だから、誰もかれもが、この西洋の価値観に立たされているのです。
しかし、自然主義経済という価値観が生まれることによって、世界の国家観が変わります。
この国家観が定着すると、アジアがもともと持っていたアイデンティティに帰結することになるでしょう。すなわち、それぞれの国家において、民族単位・自治単位で政治運営が図られるということであり、本来に帰るということです。
インドネシアは一国にあらず、インドは一国にあらず、そして一国でないのに、経済的に発展ができるという素晴らしいシステムです。
「馬鹿なことを言うな。中国はアジアでありながら、清時代以前から大国であったではないか」と言う人もありました。
現在の中華人民共和国から、国内の自治区や台湾をすべて独立させたとしても、それでも漢民族の数は多いです。しかし、彼らは西洋近代化によって一つの国にさせられているという面があります。
以前ならば、北京語・広東語・上海語となっていたものですが、今では北京語に統一されている。彼らが一国でなければならない理由というのは、経済的な強さを求めるからです。
しかし、もし紙幣を求めず、資源そのものを求めることが、真の経済発展であると気が付いたならば、彼らのやっていることは、いかに逆行しているかということがわかるでしょう。
ダライラマ14世は、チベットの独立ではなくて自治を求めています。しかし北京政府は
彼らに自治権を確立させるのではなく、チベット独立を認めないととんでもないことになります。自治などとして自分の国の一部だなどとすることは中国の崩壊を招いていることに等しい。
膨張しきったものは、必ず崩壊します。バブル政治です。
そして、彼らは他民族にまで手をつけたために、自国の漢民族自体の分裂をも引き起こすでしょう。それが積極的に政策としてやるか、それとも引きつられた結果、いやいややるのか、ここに大きな違いが出るでしょう。
積極的にやるならば自然主義経済を導入することによって、毒入り餃子などという問題はおきません。なにしろ、自分たちで食べるのですから、安全に注意するでしょう。そして漢民族は分割することが効率のいいことだと気付きます。
消極的にやるというのは、今のまま資本主義でも社会主義でも、貨幣主義であることは同じなのでどっちでもいいのですが、その場合は漢民族の崩壊を意味し、戦乱を作ってからまた資本主義でやり直すか、自然主義経済を考えるか、どちらかになるでしょう。
いずれにしても中国は、自治区以外の本体が崩壊するということです。こうなってくると、なぜ今まで台湾は国連に加盟できなかったのか・・と国際世論は考えます。
そのときに、国家というありもしない呪縛から解放されるでしょう。
平和党公式サイト http://heiwatou.web.fc2.com
産業も重厚長大から軽薄短小に移りました。
今度は国家が、重厚長大から軽薄短小に移るでしょう。
国家にとって、重厚長大が利益をもたらすのは、より多くの資源、より多くの食料、より多くの貨幣獲得の機会に恵まれるからです。
したがって、先の大戦ではより多くの植民地、より多くの領土を求めて争われました。
その後、植民地のほとんどは独立しましたが、今でもお金の力、大資本によって植民地と同じ状態です。
自然主義経済が各国で導入されると、楽して得たお金の力によって、遠くの生産物を買う・・・ということがなくなります。この結果、格差社会は国内・国外を問わず解消されます。
これはつまり国家政府にとってみれば、徴税利権が薄くなるということです。政府にとって徴税利権がないのであれば、宗教や思想の要因を除けば、戦争をする必要もなくなります。
自然主義経済は、貨幣所持が損害をもたらすため、余剰金は公共の福祉に回されます。したがって、徴税によって政府が公共事業をなす必要性も、社会保障を調整する必要もなくなります。
ならば、国家政府というものは大きくて損、小さくて得ということになります。
この「小さくて得」という国家制度が自然に調和したありかたなのです。
インドという国は、我々彼らをインド人と呼びますけれども、そもそもは彼らは「インド」であるという意識がない。インドと名付けたのは英国です。あの半島を一挙に植民地にしたときにそのような名称として認識させたのであって、インド人自体はあれだけ広い最北端から最南端まで、同じ国家であるとは考えていなかったのです。「インド」国内は言語も多数存在するし、民族も違う人たちです。
それが植民地から独立することによって、同国としての認識ができただけの話です。したがって、インド以外でもすべては、西洋諸国の価値基準によって国境がひかれただけの話です。
これはインドだけではありません。インドネシアは二億人の人口がいますが、島が何百もあり、言語も何万とある。民族の数もけた外れに多い。ところがここも植民地支配によって一国と勘定されるようになったのです。
タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマーみなそうです。たとえば、ミャンマーにはミャンマー語があるけれども、それはあくまでも首都で使われていた言語を国家として統一しただけのことであって、ミャンマー語が話せない住民も奥地にいます。
地図に書いてある国境線というのは、彼らを支配した西洋諸国が勝手に引いたものであり、日本の右翼の人たちが言っている「国粋主義」というものも、西洋諸国が作った価値観なのであって、日本の本来の民族意識にあったものではないのです。
だから、誰もかれもが、この西洋の価値観に立たされているのです。
しかし、自然主義経済という価値観が生まれることによって、世界の国家観が変わります。
この国家観が定着すると、アジアがもともと持っていたアイデンティティに帰結することになるでしょう。すなわち、それぞれの国家において、民族単位・自治単位で政治運営が図られるということであり、本来に帰るということです。
インドネシアは一国にあらず、インドは一国にあらず、そして一国でないのに、経済的に発展ができるという素晴らしいシステムです。
「馬鹿なことを言うな。中国はアジアでありながら、清時代以前から大国であったではないか」と言う人もありました。
現在の中華人民共和国から、国内の自治区や台湾をすべて独立させたとしても、それでも漢民族の数は多いです。しかし、彼らは西洋近代化によって一つの国にさせられているという面があります。
以前ならば、北京語・広東語・上海語となっていたものですが、今では北京語に統一されている。彼らが一国でなければならない理由というのは、経済的な強さを求めるからです。
しかし、もし紙幣を求めず、資源そのものを求めることが、真の経済発展であると気が付いたならば、彼らのやっていることは、いかに逆行しているかということがわかるでしょう。
ダライラマ14世は、チベットの独立ではなくて自治を求めています。しかし北京政府は
彼らに自治権を確立させるのではなく、チベット独立を認めないととんでもないことになります。自治などとして自分の国の一部だなどとすることは中国の崩壊を招いていることに等しい。
膨張しきったものは、必ず崩壊します。バブル政治です。
そして、彼らは他民族にまで手をつけたために、自国の漢民族自体の分裂をも引き起こすでしょう。それが積極的に政策としてやるか、それとも引きつられた結果、いやいややるのか、ここに大きな違いが出るでしょう。
積極的にやるならば自然主義経済を導入することによって、毒入り餃子などという問題はおきません。なにしろ、自分たちで食べるのですから、安全に注意するでしょう。そして漢民族は分割することが効率のいいことだと気付きます。
消極的にやるというのは、今のまま資本主義でも社会主義でも、貨幣主義であることは同じなのでどっちでもいいのですが、その場合は漢民族の崩壊を意味し、戦乱を作ってからまた資本主義でやり直すか、自然主義経済を考えるか、どちらかになるでしょう。
いずれにしても中国は、自治区以外の本体が崩壊するということです。こうなってくると、なぜ今まで台湾は国連に加盟できなかったのか・・と国際世論は考えます。
そのときに、国家というありもしない呪縛から解放されるでしょう。
平和党公式サイト http://heiwatou.web.fc2.com