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社民党、自由連合、みどりの会議、日本新党、小泉自民党に見るリーダーシップとボトムアップ

2009年12月06日 20時07分51秒 | Weblog
3~4年ほど前の話なのだけれども、東北の某中核市の市長選挙に出馬予定の男性が、私どもグループ(当時平和党でない)を頼ってきた。


しかしその組織では、いろいろと関係があって、なかなか相手にしたくない様子で、私になすりつけられた。


まずこの立候補予定者は、全くセンスがないといっていい。政策もありきたりだし、現職に代わってこの人が市長をやる必要性もないのだ。もちろん現職は現職で問題があるのだが、それを放置したとしても、薬にもならないような人に市長をやらすのはいかがなものか。


この人はもう少し修行しなおしたほうがいいのだが、先にいったグループで、「俺にまかしとけ」みたいな威勢のいいこといって、私の元によこしてきたのである。


私のほうとしても、どのようにしてお茶を濁すかいろいろと考えた。まず、その日の翌週に何の会合だったか忘れたが、福島瑞穂社民党党首と会うので、その人に「社民党の推薦依頼とかしてみますか」と聞いたら、喜んでいた。私なら社民党単独推薦などはお断りだが、彼にとっては藁をもつかむ思いだったに違いない。

それで福島さんに、「こういう人がいるのだけれども、この市長選挙ってどうなってますか」と聞いたらば、「私が党首でも、社民党は地元が決めるので全く割って入ることはできない」と言われた。

だいたい予想通りだったけれども、この党は小規模になってからはますますボトムアップ方式が強くなったと感じた。
そもそも労組関係がみな民主党に行く中、数少ない社民党になったのならば、その組織の小ささを生かしてこそであるが、やはり彼らは「民主主義こそ素晴らしい」と思っているのである。

逆に自由連合ならば、徳田虎雄代表がいいといえばOKだ。しかし、代表がいいと言っても、地元の徳洲会病院の人たちはいやいやながら「選挙をやらされる」ので力にならないこともしばしばだ。


すでに消滅したが、みどりの会議の中村敦夫代表の場合は、当初は敦夫さんのリーダーシップ型であったが、次々に市民運動崩れや、新社会党みたい人たちがたくさん入ってきてからは、ボトムアップが重視され、何でも協議にかけられるようになる。あいつは嫌だとか、こいつは嫌だとか、もはや政策以前の問題が多く出てくる。理性的でなく、実に女々しい嫉妬根性などで戦いがなされるのである。

実はリーダーシップ型ほど民主主義が機能するものはない。そしてボトムアップ方式は、会議が増えるばかりで結局何ももたらさない。誰も満足しないシステムである。

リーダーシップ型で進めると、そのリーダーはつねに民意を意識し、民意につねに問いかけるよう心がける。

たとえば小泉純一郎元首相を見るといい。彼は当初リーダーシップ型でなんでも決めてきた。しかし途中、青木幹雄氏などの言い分を聞くようになった。この時点で支持率がいったん下がるが、そのまましばらく潜水活動をはじめて、抵抗勢力を手中に収めた。
ボトムアップ方式にみせかけたが、やがて一挙に郵政解散を行って、自分ひとりの基準つまり郵政を民営化するか否かという選挙に持ち込んだ。

逆にボトムアップでやっていたもの。たとえば日本新党なんてのは、いちいち協議に諮っていた。しかし、それは政治家の自己満足にすぎず、結局支配していたのは日本新党の職員であり、つまりは官僚支配だった。民主的にやるというのはあくまでも自己満足にしかならず、何が決定されても、事務的なことを実際になす人々によっていろいろいと様変わりするのである。


リーダーシップ型であると、責任の所在は明確にリーダーにあるため、リーダーはなるべく幹部や庶民の意見を大切にする。ボトムアップ型であると責任の所在が明確でないため、ボトムアップ型をやっていること自体に満足し、政策実現についてはなおざりになるのだ。

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