山の頂から

やさしい風

お多福庵

2008-02-11 10:27:46 | Weblog
 店の飾り棚の鉢植えの福寿草に水をやりながら、滋は外を見た。
「今、おやじが生きていたら幾つになるかな」ふと思った。
自転車に乗った老人が既に亡くなった父・誠一朗に似ていたからだ。
「90歳は越えたか・・」声にして言った。
「えっ?誰よ」ガラス戸を拭きながら妻の明子が振り返った。
滋は奥へ入りながら「おやじだよ」と応え餡の入った缶を取り出した。

 滋の実家は小山市内で名の知れた食品加工会社を営んでいる。
母の幸子は彼が高校生の時に白血病で亡くなった。
穏やかで優しい性格だった。
父親は10年前・81歳のとき脳溢血で倒れた。女の家だった。
再婚こそしなかったが小料理屋を持たせ、殆どそこで生活をしていた。
いい気持ちはしなかったが、男として解からなくもなかった。
倒れて10日ほどで父は呆気なく逝ってしまった。
兄弟2人。滋とは3つ違いの兄がいる。
世間の通念通り会社は兄が継いだ。
次男の滋も役員にはなれたが性格の違う兄とやっていくにしんどさを感じた。
で、大学を出ると大手の電機会社に就職し京都に住んだ。

 妻の明子は同じ町内で家も近く、いわゆる幼馴染だった。
彼女の実家は製餡所を営み3人兄弟の長女、すぐ下の弟が家業を継いでいる。
互いに意識し出したのは高校生の頃からで、滋の母の葬式の日に明子が親と一緒に
小さな花束を抱え線香をあげに来てくれた。それから滋は明子が気になる存在になった。
どちらかと言うと性格が母似の滋は、明子の活溌でハキハキした感じに惹かれたのだ。
地元の商業高校を出て明子は信用金庫に勤めた。

 滋は仕事に慣れてくると休日には京都の寺を巡った。
しかし、心のどこかで営業の仕事は合わない自分を感じていた。
寺を巡っているうちに、必ず近くには何軒かの和菓子屋があることに気付いた。
いずれも上品な甘さで渋い茶に合った。
そうだ!自分は職業を間違っているのだ。
何年か修業をして和菓子屋になろう。突然そんな考えがよぎった。
それからの行動は素早かった。
会社に辞表を提出し、知人の紹介で東福寺近くの【末廣屋】に修行に入った。
26歳の終りの頃だった。そこで5年間頑張ってみようと心に決めた。
3年が経って見通しがつき始めた頃、小山が懐かしくて矢も楯もたまらなかった。
店を出すのは故郷でと決めていたので一週間の休暇をもらい帰郷した。
母親の墓参りを済ませ、久しぶりに近所を散歩した滋は明子の家に立ち寄った。
折しも明子が店番をしていた。女の色気に溢れた彼女に滋は面食らった。
兄嫁によると、明子は23歳のころに結婚したが2年くらいで出戻ってきたという。
理由は知れないが子供は無い様だとも言った。今は店を手伝いながら経理の勉強をしているらしい
と付け加えた。
明子の変わらない笑顔に心が和み、ゆっくり話がしてみたくなった。
そして思い切って太平山に行かないかと誘った。
明子は少し驚いた表情を見せたが快く承諾した。

 次の日、兄の車を借りて太平山に出かけた。
滋は高校は栃木の男子校・栃高だったが太平山には1・2度しか登ったことがなかった。
神社まで250メートルと書かれた看板を見て「あづま家」に車を停めた。
店の女将が往復15分程度だと教えてくれたので、帰りに寄ることを告げて参道を登った。
途中、古い石造りの鳥居の《貫き》に石がたくさん載っているのを見た。
神社はひとが疎らだった。本殿で賽銭をあげ参拝した。清々しい気持ちになった。
 山の空気と木立の香りが心地よかった。あづま家の庭には紅葉の大きな木が沢山ある。
その下で食べられるというので「玉子焼き」と「味噌おでん」を注文した。
鳥居に石がたくさん載っているがと女将に問うと【縁結びの鳥居】だと教えてくれた。
《貫き》に石が載ると縁が結ばれるとの謂れがあるというのだ。
おでんの味噌に柚子の香りがして、そのとき滋は明子が好きだったことを意識した。
それは突然、柚子の香りによって記憶が引き戻されたような経験だった。
「明ちゃん、あと2年待っていてくれないか?」思い切って口にした。
明子は道に迷った自分が、やっと行くべき道に出られたような気がした。
柚子の香りは、子供のころに滋の家の庭で嗅いだことがあったのを思い出したのだ。

 「あらら、シゲちゃん餡子入れすぎよっ」明子の声は今日も響く。
滋は「ハイ・ハイ、お多福さま~」と言いつつ苦笑するのだった。