「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

黄泉がえるシュタイナー!^_^;

2014-08-02 12:05:11 | 読むと黄泉
少しだけ時間を作れるようになった

ほんとは用事がたまっているのだか、でもこれもやり始めたことだし、ちびちびとでも、電車でも、トイレでも、布団でも、という感じでゲリラ的に読み進めたい

というか、かえってそのほうが、一つの言葉のイメージにこだわることが出来て良いのである

ほんの微かなイメージも、ひどく大事にし、私主体で読み進めようと思う

あーいやいや、そういうことでもなく…

私主体というと少し違うかもしれない
私の中に、言葉を受け取ったその瞬間に浮かび上がる、生きているイメージによって、今も生きているシュタイナー自身と連絡をとりあいながら、援助を受けつつ読み進めたいのである…

そうでもなければ、こんな堅苦しい本読めやしない

例えば、愛犬のローリーの体が、ふさふさとした毛や愛くるしい瞳からではなく、小難しい哲学的言語から構築されているとしたら?
即座に撫でたい気持ちにはなれないだろうが、しかし、もしそれがローリーを物質化させるための唯一の素材だというのなら、仕方が無い
ローリーが生きるのは、私とローリーが出会うのは、文字から浮かび上がる鮮明なイメージの中においてである

これぞ、読み=黄泉

なんちゃって^_^;













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