「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

観察対象に思考が反応する→概念が生じる

2014-07-29 06:43:47 | 第4章 知覚内容としての世界
~note~

1.思考する

2.概念、理念が生じる


私が一本の木を見る=「観察」

私の観察に私の思考が反応

観察対象に、それに対応する概念的要素が付け加わる

私は観察対象と、その観念的対応物が相互に関連していると認識する

さらに、

観察対象が私の観察視野から消え去ると

観察対象の観念的対応物だけが後に残る
=観察対象の「概念」

🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿

経験が拡大していけばいくほど

概念の量が増大

ただし、
概念は孤立しているのではない

概念は、一つの秩序ある全体にまとめられる

ex.
概念「有機体」は、
概念「法則的発展」「成長」
と連結している

個々の事物に基づいて形成される諸概念は、一緒になって一つのものに融合する

ex.
個々のライオンについて作り出す
全ての概念

「ライオン」という総括概念に融合

個別概念は互いに結合し、
まとまりのある概念体系となる

一つの概念体系の中で、
諸概念はそれぞれの特殊な位置を占める

🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀

理念とは、質的には概念と同じ

より豊かな、より充実した、より包括的な概念

(包括的=全体をおおっている、全てをひっくるめている様)

hasutama感想

私の観察に私の思考が反応

観察対象に、それに対応する概念的要素が付け加わる

私は観察対象と、その観念的対応物が相互に関連していると認識する


この順序が面白いと思う

私の意思というよりも、人間の器官が働く順番があって、速く反応する器官から用事を終えていくというイメージ

そして、みんながサッサと仕事を終えたあとにやっと私の意識が、結果を見つける

硬貨を入れるとおもちゃが出てくるガチャポンみたいじゃない?
観察対象を入れると、なんだか行なわれて、概念が出てくる
概念だ!と認識

意識ってのんびり屋さんね(^o^)





観察されたもの、それを越えるための「道」=概念

2014-07-27 21:42:28 | 第4章 知覚内容としての世界
人智学出版 p60~
✳︎ハーバート・スペンサー
観察に対して行っている精神的過程

ざわめきや草むらの動き(現象)
→音、草の動いた地点に向かう
→山うずらが溝の中に羽ばたくのを見る→山うずらが音や動きの原因とわかる

好奇心の満足
「現象の説明」を得る

生活の中で、経験により撹乱と運動の関係が普遍化されていた

今目の前で起きた特定の撹乱に対し、その関係の一例であると気づく

目の前の現象の説明を得る

✳︎シュタイナーのさらに厳密な吟味

草むらのざわめきを聞く

観察の概念を探す

観察の概念により、
ざわめきの音という現象を
越えるよう促される

(観察の概念を必要としない者は
音を聞くだけで終わりにしてしまう)

「その音は何の結果だろう?」と、
ざわめきの知覚と結果の概念とを
結びつける

概念と知覚を結びつける(思考する)ときにはじめて、個々の現象の観察を越え、結果として現れているものの原因を求める必要を促される

結果という概念は、
原因という概念を
呼び起こす

ざわめきや草の動きという現象
を結果としてみなし

原因となるものを探す

結果、原因という概念は
決して単なる観察によって得られるものではない

観察は思考を促すが

思考(知覚✖︎概念)によってはじめて
個々の体験(ざわめきや草の動き)を
別の体験(やまうずらが羽ばたく)に
つなぐ「道」(原因と結果の概念)が
私に示される