「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

思考の性質についての抜粋 その2

2013-10-12 12:03:39 | 第3章 世界認識に仕える思考
思考は特別なのだとシュタイナーは言うが、普段「よし今から思考するぞ」と区切って考えはじめるわけではない
目に見えない意識の流れや領域の区分、観察対象としての思考と感情の根本的相違なんて言われても、どうもすんなりと入ってこない
言葉の遊び的な、自分が導きたい結論にとって都合のよいこじつけじゃないの?と、めんどくさく思ってしまったりして^^;

しかし彼の言葉にそって、なんとかイメージをはっきりさせてみたい

われわれがどんな原理を打ちたてようとも、それはどこかでわれわれによって観察されたものであることが証明されなくてはならず、そしてまた他の人が後から辿ることのできる思考形式をとって明瞭に述べられなくてはならない

でもシュタイナーはほとんどの著作でそのような書き方をしていないのにね
と言いたくもなるが


思考が、またはその他の何かが宇宙進化の主要因であるのかについては、ここではまだ決定しないでおく

この話し方は相当唐突ではないだろうか
思考が宇宙進化の主要因だなんて、寝耳に水である
またはその他の何かがって何?

疑問には事欠かない文章である

馬についての思考と対象としての馬とは、われわれにとって別々に現れてくる

この言い方も笑える
別々にというのは、空間的なことだろうか
馬は、たとえば草原にあらわれ、そして「あれは馬である」という概念形式は意識上にある、ということ?
それとも、わたしの視覚が捉えた馬がわたしの意識上の見たものを写し出す「体験領域」にあらわれるが、それは同じ意識上でも「概念のお部屋」とは別だという意味だろうか

アンチテーゼとして、その違いを述べてくれていると捉えるとわかりやすいのかもしれない

観察結果は、意識の外側に認識できるのに対し、思考結果は、意識の内側に認識される
これは、INとOUT、まるで呼吸のようなものにも思われる

おまけの写真


鉢から庭に放ったオミナエシ
最近、庭仕事も自然農風
作業を月や惑星にも合わせたいが、
出来る時間が限られるので、今後の課題…というか、楽しみにとっておこう
それに、惑星の意味とかまるでわからないままで、そうすることに抵抗もある












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