「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

表象とは個別化された概念である件

2020-12-16 09:05:22 | 第6章 人間の個体性
なんとかシュタイナーの意図をくみ取ろうと自由の哲学を開いてみる
よくわからないことがあった時
自分の思った疑問は、他の人はどう思ったのだろう?と
すぐにweb上に答えを見つけてしまおうとする
でも同じ疑問を抱く人がいないときはそれが見つからない

人の意識が外界に向かった時
それについて何かを考える場合には
人は内界にも空間を持つと言っていい
外界vs内界の構図がその時に生まれる
でも外界の何かについて考えるのであるから
外界の印象を内界で扱うことになる
隔たっている世界をまたいで、どのように外界は内界に入り込むのか?

その疑問を持つこと自体がなんだか変な気がしてしまう

だが論旨がそのように展開して
知覚内容はうんぬんうんぬんと様々な論客を相手取って
シュタイナーは反駁論を繰り広げた
そして最終的には世界の側から
何かの情報が人の中に入り込んでくるという
その考え方そのものが違うのだという

表象は、その方向からでは
知覚との関係をはっきりさせることは出来ないとのこと

だから別のやり方で、正しい道を行くのだそうだ

表象とは個別化された概念であるという
あんなに表象についての他の説に対して反駁していて
急に今それを言い出されるとびっくりしてしまう

表象とは一定の知覚に関わりを持つ私の直感だ
表象は知覚に従って形成されたもので
観察の瞬間に概念と知覚が提携することで生まれる
概念は、知覚を通じて個別的な形態をとり
この特定の知覚との関りを獲得したと言える

表象は知覚と概念の中間にあって
知覚を指示するような特定の概念だ

その表象を形成する事物の総和を、経験と呼ぶことが出来る


・・だそうだ
なんだ、それを先に言ってはだめだったの?
あまりに長くややこしい反駁に疲れてしまって
少し恨みがましくなってしまう

「指示する」は観察の瞬間にも、これはリンゴだ、ミカンだというように
概念(言葉の)側から指し示すという意味かな
「指示する」ことが含んでいる意味は人間の意識の場での出来事として
意識に対して二つの方向性の力が働いているということだと思う
「見えたものの像」と「それを指示する概念」が
意識に同時に知覚されるときに新たな個別的な表象となる?
こらは人の意識の舞台上での出来事とは言え
意識的に行っているというより、ほとんど無意識に行われていることだろう
何かを見たその瞬間にも、内側(概念の側)からの働きかけがあって初めて
そのものがそのものとして出現するということ?

外から中に入り込むことばかりに気を取られていたのは
シュタイナー自身がそこに注目すると言ったからなのにな

でもその経過を踏んだことで、意識に普段気付かないうちにも働いている
概念というもののあり方をはっきり認識することが出来たのかもしれない
それがシュタイナーの意図なら、それを理解できてよかった
(そうかどうか、確信が持てないけれど)

知覚内容は外界からのものだけではないから
知覚も二つの方向性があることになる
その知覚が瞬時に同時に可能だということ

ゲーテに近づいてきた気がする

おさらい ↓

表象は外から与えられた知覚像だとばかり考えてきたが
実は内界(概念)からの働きも加わって形成されたもので
私が出会った個々の事物に対応した個別的な概念である
それが蓄積すると自分の経験値となる

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