「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

「ルドルフ・シュタイナーと人智学」

2014-12-22 20:47:28 | 読書ノート
水声社 フランス・カルグレン著
高橋明男氏訳

この本を久しぶりに開いてみた

すると、一番最初のページに前書きとして記されているシュタイナーの言葉は、やはり人間が出会う相反する二つの世界とその統一についてだった

自由の哲学のメインテーマ「二元→一元」は、シュタイナーの著作のあちこちに色々な言葉で表現されているようだ


運命は、2つの異なる事象から成っている。
それが人生の中で統一的なものへと融合していくのである。
その一つは、魂の欲求としてうちからほとばしりり出る。
もう一つは、外界から人間に近づいてくる。
ルドルフ・シュタイナー


p36『自由の哲学』

この本の初版の表紙には「自然科学的方法による観察結果」というモットーが掲げられている。シュタイナーは、近代自然科学における観察の鋭さを哲学に生かそうとした。

ただ、観察の方向をいわば反転し、内面へと受けたのである。

シュタイナーがそこで示したのは、およそ次のようなことである。

つまり、近代の認識論は、人間の認識には限界があることを確認している。

しかし、人間が思考を駆使して純粋理念を、つまり感覚に束縛されない理念を知覚するとき、人間は認識の限界を踏み越え、理念的精神的世界の自由市民としての自分を見出すことができる、というのである。

シュタイナーはこれに続いて「フリードリヒ・ニーチェ反時代的闘士」「ゲーテの世界観」を出版している。これらの本も先の著作と共通する問題を扱っているといえよう。


hasutamaノート

「人間が思考を駆使して純粋理念を、つまり感覚に束縛されない理念を知覚するとき、人間は認識の限界を踏み越え、理念的精神的世界の自由市民としての自分を見出すことができる」

純粋理念

感覚に束縛されない理念

これを知覚する

その時、認識の限界を踏み越え、

理念的精神的世界の自由市民である自分を見出す

とのこと

純粋理念
理念的精神的世界

der Geist der Reinheit
die Idee des Reinen

自由と言っても、理念界での自由ってことなのかな

理念界があるとしての話だけど

なんだか…
シュティルナーに皮肉でも言われそう

シュタイナー自身の思考体験について

2014-11-25 09:40:57 | 読書ノート
昨日、久しぶりに「神智学」を開いてみた

この本には、私の好きな"認識の小道"が出てくる

どうして認識の小道が好ましいのかについて、考えてみたことがなかった

シュタイナーの言っていることは、具体的にはよくわからないことが多いので、なんとなく、予感のような漠然とした感覚だけで、いいような気がしたというだけなのかもしれない

でも、昨日読んでみたら、以前に比べ具体的にわかる気がする箇所が増えていた

自分の人生の経過の中で見えてきた部分と、「自由の哲学」を少しだけ読み込んだことで分かりやすくなったところとがある気がする

認識の小道は、思考→霊視の道らしい

霊という言葉には、今だにひいてしまう
しかし、人間の思考、言葉の可能性に限界が設けられず、宇宙全体の把握にまで広がるのかもしれないと考えるのは、楽しいことだ

この認識の小道の中でも、やはり思考することの重要性が繰り返し述べられている

それで思ったのは、
おそらくシュタイナー自身にも、修行となるほどの思考経験をして、そしてそれが霊視へと繋がって行ったという実際の体験があったはずだということである

彼の厳密な思考経験というのは、具体的には何だったのだろうか?

私が思うに、それはカントを読んだことではないだろうか

哲学の本は、言葉のイメージを厳密に定義付け、筆者の頭の中にあるそれらの関係性をも厳密にマッピングしながらでなければ読み進むことが出来ない

しかしそれをきっちり行うことが出来たときには、その構築性を持った建造物内の空間を散策し、柱の一つ一つを触り、壁画を鑑賞したり、階段を登って二階の窓から外の景色を眺めたりすることが出来るのである

1人の人間の思想体系を丁寧に理解することは、並大抵の作業ではない
それが完全に出来たなら、自分がその人物になることが出来ると言ってもよいぐらい、滅私的な、根気のいる作業ではないだろうか

そしてその作業で培われる能力、厳密な思考の能力が、事物をその内側から理解する能力へと繋がると言われるのならば、それはある程度理解出来る話である

シュタイナー自身にとってのカント経験は、いったいどのようなものだったのだろう?
カント哲学の内容の理解もさることながら、その読解の為の思考作業の経験そのものからシュタイナーが得たものは非常に大きかったのではないだろうか

哲学と神秘学

2014-02-19 19:42:30 | 読書ノート

「シュタイナー哲学入門 」高橋巌 著 メモ

《 哲学と神秘学》

共通点

宇宙、あるいは世界と人間の問題を、その根底まで突き進んで把握しようとする

違い

☻哲学

認識したことを概念化、論理化

獲得された認識内容を一般に通用する形で表現しようとする

☻神秘学

理論上の可能性として、認識の限界を設けない

どこまでも体験を深めようとする


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哲学と神秘学は、同じものの二つの側面を表す二つの言葉

・宇宙あるいは世界の問題と人間の問題
・外部の問題と内部の問題
との関わりにおいて、

哲学は顕教的(エクソテリック)
神秘学は秘教的(エソテリック)

哲学は、神秘学の対社会的な側面

神秘学は、哲学と共有する内容の内的な側面

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hasutamaイメージ

「自由の哲学」との関連で


意識があって、観察と思考が対立項としてあるとすると、(この対立項こそ、あらゆる対立項の中で重要、根源的とシュタイナーは「自由の哲学」の中で述べている)

自分の意識が外側の世界を観察し、
その観察内容を、意識の内側で思考することで、認識内容を得る

意識の内側の思考の体験を、さらに内側の地点にたどれば神秘学になる

観察した対象があった世界の側に、認識内容を差し出す時には哲学の形をとる

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追記

世界と人間 と考えるとき、内側と外側の話になる のは、自意識の存在形式のためであるとすると、

もし自意識の存在形式が変化するなら、世界と人間、内側と外側のあり方も変化する

そういう方法論の中に実験的に存在してみようとする場合、自意識が人間の全存在を含めるなら、その実験を「生きる」ということになる